第四十八話「体育祭④」
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春馬は帰宅後、自室という絶対的な安全圏に戻っていた。机に向かい、しばし呼吸を整えた直後、交換したばかりのスマートフォンの画面が淡く光った。蒼奈からのメッセージだ。
「(警告!私的通信の開始。リスク値、最高レベル)」
メッセージの本文は、二人三脚と大縄跳びの練習計画を論理的に提示するものだった。時間、場所、必要な道具。しかし、末尾には、「放課後、一緒に頑張ろうね!✌」という、感情的な記号が添えられていた。
「(演算中。この『頑張ろうね』という言葉、そして『✌』という絵文字は、論理的な意味を持たないノイズである。しかし、このメッセージ全体が外部に流出した場合、『親密な関係を匂わせる証拠』として切り取られる裏切りのリスクを増大させる)」
彼の頭の中では、過去のいじめや裏切りの記憶がフラッシュバックした。女性の親切は、常に悪意の拡散という形で具現化した。このメッセージのやり取り自体が、過去の屈辱の再現に繋がるかもしれない。春馬は、一文字たりとも無駄のない、完璧な防衛的返信を作成する必要があった。
「(自己防衛論理:メッセージの切り取り、拡散に耐えうる、感情ゼロ、目的特化の文面を構築せよ)」
彼は数分をかけ、返信を作成した。
「了解。提示された時間と場所で、論理的な効率に基づき練習を開始する。遅延はしない」
絵文字も、余計な挨拶も一切ない、論理の防弾ガラスのような文面だった。彼は送信ボタンを押し、蒼奈の「返信を待っている」という状況が続く間、心臓が予測不能な速度で鼓動するのを、「高リスクな状況下における交感神経の過剰反応」と、必死に論理的に処理し続けた。
放課後、体育館裏の隅。二人は、二人三脚の練習を開始した。蒼奈は笑顔で、慣れた手つきでロープを取り出した。
「じゃあ、論理的な第一歩だよ、春馬くん」
彼女が春馬の右足首と、自分の左足首を固く結びつける。ロープの擦れる音。そして、その瞬間、春馬の体と、蒼奈の体が物理的に連結されたという決定的な事実が、春馬の防御壁を揺さぶった。
「(警告!他者との身体的密着。距離:ゼロ。体温、振動を直接観測。裏切りのリスクが、空間的近接性により極限まで増大)」
蒼奈が、春馬の肩に軽く手を置いた。その体温が、布越しに春馬の皮膚に伝わる。
「動揺はしない。これは論理的な目的のための手段だ」
春馬は、心臓の激しい鼓動を無視し、「歩幅」「地面への荷重」「重心の移動角度」といった数値データに全意識を集中させた。彼は、人間として動くのではなく、精密なロボットとして動こうとした。
結果は、即座の失敗だった。一歩目は完璧に同期したが、二歩目の踏み出しで、春馬は論理的な計算が間に合わず、蒼奈の重みに引っ張られ、二人は大きくよろめいた。
転びそうになった春馬の体を、蒼奈はとっさに掴んで支えた。その手の優しさが、春馬の論理を再び混乱させた。
「ダメだよ、春馬くん。解析に時間がかかりすぎ!論理は、一歩の踏み出しの瞬間に役立たないよ」
「何を言っている?俺は、歩幅と同期の最適解を演算しようとしている。非効率な手段で、成功は得られない」
「そうじゃない!春馬くん。最も効率的な協調の手段は、予測だよ。私の次の動きを『論理』ではなく、『感覚』で予測して!」
「予測するには、相手を信じて、自分の体重を預けるしかない。信頼は、論理の壁を超えた、最も効率的な協調の手段なんだよ。春馬くん、私の体重を支えてくれると信じて、動いて」
春馬は、トラウマの根源である「信頼」という言葉を、密着した状況で、逃げ場のない論理的な文脈で突きつけられた。
「(最大警告!『信頼』は裏切りと損失の同意語だ!他者に体重、つまり自己の運命を預けることは、論理的な自殺行為である)」
彼のシステムは拒絶を叫ぶ。しかし、目の前の蒼奈は、「信じれば、成功という利益が得られる」という新しい公式の真髄を、身体的接触という高リスクな手段で証明しようとしていた。春馬は、自身の論理を信じて、蒼奈を信じるという、最も矛盾した、最も論理的な一歩を踏み出すかどうかの瀬戸際に立たされたのだった。




