第二十六話「未来の最適解」
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放課後。春馬は、蒼奈に『進路希望調査』を返却し、『信頼性』の検証というミッションを完了した。しかし、蒼奈から投げかけられた「自身の未来の最適解」という問いは、春馬の『孤独の最適解』のシステム全体に対する致命的なシステムコールだった。
「……公表するつもりはない」
春馬は、沈黙を破り、極めて中立的かつ効率的な防御論理を構築した。
「進路については、現時点では明確に決まっていない。未定の情報を他者に開示する行為は、不確実性というノイズを発生させる非効率な行為であり、俺の行動原則に反する」
春馬の論理は、「まだ決まっていない」という事実を、「公表しないという正当な行動」へと昇華させる、完璧な防御だった。これにより、彼は「決めていないことへの恥」を回避しようとした。
「ふふっ。現時点では明確に決まっていないことから公表するつもりはない、か」
蒼奈は、春馬の言葉を復唱した。その瞳は笑っているが、分析者の鋭さを失ってはいない。
「それに対して、私の応答はシンプルだよ。本当? 春馬くん、全く考えてないんじゃない?」
蒼奈の問いは、論理の妥当性ではなく、春馬の内心の真実を直接突いた。
「それにしても意外だな〜。春馬くんほど、効率的、非効率ってよく言う人はいないよ。だから、もう二年の時点で、完璧な進路の最適解は決まっているのかと思ってたよ。私なんて、二年で決めてるのに」
蒼奈は、先ほど春馬が示した「計画性への評価」を、そのままブーメランのように春馬に投げ返した。彼女の論理は、常に春馬の論理を鏡写しにして、その自己矛盾を突く。
「若宮が持つ俺へのイメージで決めつけるな。俺の行動原則は、『常に最適解を計算し続けること』であり、『計算結果を公表すること』ではない。君のロジックは飛躍している」
春馬は、表情を硬くし、「決めつけ」という感情的な非論理性を指摘することで、論点のすり替えを図ろうとした。
しかし、蒼奈は春馬の言葉尻を捉え、彼の論理的な逃避を許さない。
「ふふっ、ごめんごめん」
蒼奈は、心底楽しそうに笑いながら、右手を顎の下に添え、春馬のモノマネを始めた。
「『現時点では明確に決まっていないことから公表するつもりはない』。ね、春馬くん」
彼女のモノマネは、完璧なトーンと間合いで、春馬が今しがた発した論理的な防御の言葉を再現した。春馬の頭の中で、「自分の言葉が他者によって悪意なく模倣され、利用されている」という計算外の事態が発生した。
「(くそ。俺の言葉はデータだ。それを感情のノイズで弄ぶな。しかし、彼女の行動に悪意は観測されない。これは、予測不能な楽しさのデータ収集と定義すべきか?)」
春馬の内心の葛藤を無視し、蒼奈は続ける。
「でもね、春馬くん。私は進路希望調査に進路について書いたけど、それが最後まで一緒だとは限らないよ?それはみんなもだと思う。私だって、明日には予測不能な楽しさを求めて、全く違う道を選ぶかもしれない」
蒼奈は、春馬が評価したばかりの「高効率な計画性」という自らの論理を、「予測不能な変化」という新しい論理で打ち消した。これにより、春馬が「決めていないこと」を「非効率」と自認する必要がなくなる。
「だから、私は現時点でいいから聞きたいなって思ったよ!論理的な効率性とかじゃなくて、春馬くんが今、何を考えているのかを、研究者として知りたいの」
蒼奈は、「論理的な効率性」の枠組みそのものを放棄し、「知りたい」という純粋な欲求をぶつけた。これは、春馬の『孤独の最適解』が最も処理できない「無償の欲求」だった。
春馬の脳内の防御システムは、「無償の期待」と「無償の欲求」という二重の非論理的な変数の前に、完全にフリーズした。彼は、「公表しない」という論理的な盾を失い、自己の論理を正当化する言葉を見つけられなかった。
沈黙。教室の隅に座る二人の間に、重い沈黙が流れた。この沈黙こそが、春馬の論理が破綻したことの決定的な証拠だった。
「……まだ何も決めてない」
春馬は、まるで重力に逆らえないように、抵抗を放棄した「事実」を口にした。それは、「俺の孤独の最適解の未来は、未だに論理的に確定していない」という、自己論理への敗北の承認だった。
「やっぱり〜」
蒼奈は、予想通りだったというように、悪意のない、明るい笑顔を浮かべた。その笑顔は、春馬の「敗北」を嘲笑うものではなく、「研究対象の新しいデータ」を得たことへの純粋な喜びのデータだった。
「じゃあ、次の研究テーマは決まりだね。『春馬くんの未来の最適解を一緒に計算すること』だよ」
蒼奈は、春馬の論理的な弱点(未来の未定)を突き止めた上で、それを『共同作業』という名の論理的な鎖で縛りつける、究極の最適解を提示した。




