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第二十三話「協力」

第二十三話公開中!


放課後。春馬は、教室でのあの「論理的な鎖」—


『共同作業』という名の次の研究活動—から逃れる術を論理的に見つけられずにいた。拒否は、彼の新しい仮説である「利益最大化の検証」を停止させることを意味する。それは、論理者にとって、データ収集の中断という最も非効率な選択だった。


図書館の自習室の奥。春馬は窓際の席を選んだ。理由は単純だ。


「後背部の防衛リスクをゼロにできる」


壁を背にすることで、周囲の悪意ある視線や不意の接近という外部変数をシャットアウトする。彼は壁を背にし、蒼奈に体の側面を向けて座った。


春馬は、蒼奈の存在を、あくまで「計算効率を最大化するための優秀な演算リソース」として定義し、感情を完全にシャットアウトする防御システムを構築する。


「無駄話は排除する。今回の目的は、『協力』と『達成感』というポジティブな感情が、『裏切りへの恐怖』というネガティブな基幹論理を一時的に上書きできるか、その制御プロセスの有無を検証することだ。効率性を最大化する」

春馬は、自らに言い聞かせるように、明確にルールを宣言した。


「ふふっ。無駄話?」


蒼奈はペンを止めた。その瞳には、すでに研究対象への興味と、かすかな楽しさが浮かんでいた。春馬の隙のない宣言に、彼女はすぐさま論理的なカウンターを仕掛ける。


「ねえ、春馬くんがサラッと宣言した無駄話の定義は? 分からない部分を教え合ったり、聞いたりする『協力のためのコミュニケーション』は無駄話に含まれるの? それとも効率性に必要なプロセス?」


春馬の論理は、自らの宣言によって定義の檻に閉じ込められる。


「……目的の達成に貢献しない全ての音声データを指す。疑問点の共有は、効率性に直結するため、除外される」


春馬は即座に定義を補強し、自らのルールに例外を設けることで隙を埋めようとする。


「なるほどね。じゃあ、この研究活動自体が、春馬くんの孤独の最適解の目的達成に貢献しないのなら、これも最大の無駄話じゃないのかな? 破綻した論理の検証は、新たな時間の浪費になるけど?」

蒼奈の本質を突く問い—この活動自体の効率性への疑問—に、春馬は一瞬、思考がフリーズした。


「……その問いは論理的飛躍だ。これは単なるデータの破綻ではない。より上位概念である最終的な幸福度という絶対的な上位論理の検証が目的だ。これは必要な再構築プロセスだ」


春馬は、母の言葉を借りて、自らの行動を最高位の論理で正当化する。


「うん、わかってるよ。冗談冗談。春馬くんが真剣に研究してくれるってわかって、すごく達成感だよ!」

蒼奈は再び微笑むと、春馬の新しい論理の穴を軽く突いたことを満足げに受け入れた。


「ね、春馬くん。ここ、『達成感』の波動が強くて、研究に最適だね!」


蒼奈は、春馬の論理的な防御を無視し、目の前にノートと資料を広げた。春馬は、教科書に視線を落とし、極度の集中という名の防御壁を分厚く張り巡らせた。


共同作業が始まってから十五分。図書館の静寂の中で、春馬の『集中』という名の防御壁は、繰り返し揺さぶられ始めた。


「ねえ、春馬くん。この二次関数のグラフって、『頂点の座標(孤独の最適解)』を求めることが、『グラフの全体像(人生の幸福度)』を把握するのに、本当に効率的なのかな?」


蒼奈の質問は、常に春馬の論理的なテーマに寄り添いながら、勉強という論理の境界線を巧みに、そして意識的に超えてくる。


「何を言っている。頂点は関数の特徴を最も効率よく表すデータだ。全体像はそこから派生する。基本論理だ」


「ふむふむ。でも、この放物線の広がりって、頂点の値だけじゃわからなくない? ねえ、ちょっとここ見て」

蒼奈は、そう言うと身体を春馬のノートに近づけ、赤いペンでグラフの傾きを指し示した。二人の肘が触れるか触れないか、危険な近接距離ディスタンスだった。春馬のパーソナルスペースは、物理的に侵食されていた。


春馬の体内に、女性の接近というトリガーが発動し、微細な硬直が発生する。彼は、この女性不信に起因する生理的な拒絶反応を、「非効率なノイズ」として脳内で強制的に無視しようと試みた。彼の論理回路は、「ノイズを排除せよ」と命じる一方で、「ノイズの排除は、共同作業という論理を破綻させる」という矛盾に直面していた。


「……その傾きは定数だ。個人の感情のような変動変数ではない。離れろ」


春馬は、極めて冷静な言葉を選びながら、内側では生理的な拒絶反応を抑えつけていた。これは、「論理的な目的(勉強の効率)」が、「感情的な防衛(女性不信)」に一時的に優越している状態だったが、その優越は極めて不安定だった。


春馬の論理的な集中は凄まじく、難解な数学の問題を次々と片付けていく。その高効率な演算能力は、蒼奈の研究への協力という目的を十分に果たしていた。蒼奈はそれを横で真剣に見つめていた。


「あ!春馬くん、この問題、私には論理的なステップが見えなかったんだけど、この補助線を引くってことは、非効率な手順を省く最適解ってことなんだね! さすが、研究者さんだね」


蒼奈は、感激したように目を輝かせた。その純粋な尊敬の眼差しとポジティブな評価は、春馬の裏切りを警戒するセンサーに、悪意のない光として記録される。


そして、その瞬間が訪れた。


春馬が使っていた消しゴムが、勢い余って机の上を滑り、蒼奈の資料の近くで止まった。蒼奈は、それを拾い上げ、何の迷いもなく春馬に手渡した。


その際、指先が、わずか 0.5 秒だけ触れ合った。


春馬の身体は、女性との不意の接触という絶対的な禁止事項により、全身の筋肉が瞬間的に硬直した。

「(これは、論理的な事故だ。彼女の動作に悪意は観測されない。裏切りではない。裏切りではない。裏切りではない)」


春馬は、脳内で拒絶の論理を懸命にリピートするが、蒼奈の表情は、ただ「消しゴムを渡す」という協調性の手続きを完了しただけの、曇りのない笑顔だった。


「春馬くんのおかげで、この問題の理解度が100%になったよ!ありがとう!」


蒼奈は、春馬の硬直を気にする素振りも見せず、心からの達成感に満ちた笑顔を投げかけた。彼女が発したのは、『協力』というポジティブな感情の結晶、『ありがとう』という最も非論理的で、最も強力な言葉だった。


春馬は、その『協力(ポジティブな感情)による高効率な成果』と、『悪意の不在』という決定的なデータに対し、「否定の論理」を発動することができなかった。彼の論理回路は、ポジティブな感情を利益として処理し始めていた。


「……ああ」


春馬が発した「ああ」は、「協力という行為の承認」であり、「感謝の受容」であり、そして「この新しい研究活動を継続する」という論理的防御の完全な譲歩を示していた。


「やったね! 春馬くん、『協力』という感情の定着が、論理的に成功したね! じゃあ、次はもっと難しい『信頼』の定着プロセスに移るよ」


蒼奈は、勝利を確信したように静かに微笑んだ。春馬は、自分が「論理的な鎖」によって、より深く非効率な関係性へと引き込まれていることを、嫌というほど理解していた。


この共同作業は、彼が最も警戒すべき「女性」との距離を、最も論理的な大義名分をもって縮める究極の最適解だった。

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