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第百二十二話「第一期末テスト①」


朝、七時ちょうど。

枕元に置かれたデジタル時計がアラームを鳴らす前に、春馬の意識はクリアに覚醒していた。

昨夜、母・春那の作ったカツ定食によってバイタルは完璧に充填され、蒼奈の助言に従った「二十四時強制シャットダウン」が功を奏した。脳内には、深夜特有の濁った霧など微塵も存在しない。昨日まで蓄積してきた膨大な知識が、整理整頓されたライブラリのように、いつでも引き出せる状態で静かに眠っている。

春馬は迷いなく上体を起こした。

「(……全システム、正常稼働。……睡眠によるデフラグメンテーション(断片化解消)は完璧だ。……これより、第一期末テスト・初日の最終シークエンスを開始する)」


洗面台で冷たい水を顔に浴び、皮膚の端々まで覚醒を浸透させる。鏡に映る自分の瞳は、一週間前の「ただ無機質に世界を拒絶していた頃」のそれとは、明らかに解像度が違っていた。

朝食を摂り、母の「頑張ってね」という短い、けれど昨日よりもずっと自然なエールを背に受けて、春馬は家を出た。


玄関を出た瞬間、春馬は思考を開始した。

時刻は七時三十分。通常通り歩いて登校すれば、八時前には学校に到着する。始業までの時間は十分にある。


「(……だが、待て。……『歩く』という行為は、空間把握と身体制御に一定の脳内リソースを割くことを強いる。……現在の俺に必要なのは、全リソースを英語の語彙再確認と、数学の公式パターンの最終走査スキャンに全振りすることだ……)」

彼は、あえて駅の方へと足を向けた。

歩きによる「無料」の移動よりも、電車賃という「コスト」を払ってでも手に入れるべきは、座席という名の「安定した学習環境」だ。

ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、運良く空いていた座席に深く腰を下ろす。

カバンから、一週間使い込み、付箋と書き込みで厚みを増したあの「戦略的学習書」を取り出した。


「(……よし。……昨夜、AIが提示した『逆説の配置』と『筆者の心理戦』の概念。……これをもう一度、脳内ネットワークの深層に定着させる……)」

ガタン、と電車が揺れる。

周囲の喧騒は、今の春馬にとって心地よいホワイトノイズでしかない。

彼は、一文字一文字を「読む」のではなく、論理の骨組みを「視る」ようにページをめくっていく。

昨日まであれほど難解に思えた構文が、今や当たり前の摂理ルールとして、すんなりと受け入れられる。


「(……見える。……解ける。……この論理構築ロジックは、俺のものだ……!)」


学校の最寄駅を降り、校門をくぐる。

いつもと同じはずの校舎。いつもと同じはずの、騒がしい生徒たちの声。

だが、春馬の胸中にある感情は、かつてないほどにたかぶっていた。

それは、焦りでもなければ、不安でもない。

強いて言語化するならば、それは「圧倒的な自信」からくる、静かな、しかし激しい高揚感だった。


「(……奇妙だな。……この数週間、俺の行動原理の根幹にあったのは『平均点以下による夏休みの補習の回避』という、負のインセンティブを避けるための防衛本能だったはずだ……)」

一歩、一歩、廊下を踏み締める。

だが、今の春馬の頭の中から、「補習」という懸念事項は完全に消失していた。

そんな「最低限の防衛ライン」など、今の自分の能力値からすれば、もはや議論の遡上に載せるまでもない。


「(……今の俺が視ているのは、そんな低次元な結果ではない。……俺が証明したいのは、若宮という変数が、俺の論理と融合した結果、どれほどの『不確実な奇跡』を叩き出すかだ……)」

平均点を取るためではなく、己の論理の正当性を世界に(そして自分自身に)証明するために戦う。

そのパラダイムシフトが、春馬の背筋を伸ばし、その歩みをかつてないほど力強いものにしていた。

すれ違う生徒たちが、普段の「陰気な箕島」とは違う、何かに取り憑かれたような、研ぎ澄まされた覇気を放つ春馬を、怪訝そうに、あるいは畏怖を持って見送る。

だが、春馬はそんな視線すら気にとめない。

今の彼にとって、世界は「解かれるのを待っている問題集」に過ぎないのだ。


二年生のフロア。

自教室へと続く廊下を歩きながら、春馬は一度、深く息を吐き出した。

カバンの中に眠る「戦略書」、脳内に構築された「AI演習の残響」、そして昨夜食べた「カツ」の温かな記憶。

それら全てが、今、一つの特異点へと収束しようとしている。

教室の扉の前に立つ。

この扉を開ければ、そこはもはや日常の教室ではない。

自分の未来を、自由を、そして「青春」という名の権利を勝ち取るための、聖なる戦場だ。

そしてそこには、自分をここまで連れてきた、あの「新種ニュータイプの脅威」が待っているはずだ。


「(……若宮。……準備はいいか。……俺の『論理的解体ディセクション』の集大成を、お前に見せる時が来たぞ)」

春馬は、右手を扉の取っレバーにかけた。

微かな金属の冷たさが、心地よく指先に伝わる。

扉の向こうからは、試験前の緊張感と、束の間の喧騒が漏れ聞こえてくる。

春馬は、不敵な、それでいてどこか清々しい笑みを口元に浮かべた。

「研究者」として。

そして、一人の「開拓者」として。

春馬は、一気に教室の扉を引いた。

ガラッ、という音と共に、教室内の空気が一変する。

光が差し込み、クラスメイトたちの視線が、一斉に「変わり果てた」主人公へと集中した。

その中心。

窓際の、朝の光を背負って座っている、あの少女と視線がぶつかる。

蒼奈が、いつものように、けれど今日一番の「勝利の確信」を込めた瞳で、ニッコリと笑った。


「おはよ、春馬くん。……いい顔してるね!」


「……ああ。……チェックメイトだ、若宮」

春馬は、迷いなく自分の席へと歩み出した。

第一期末テスト、第一日目。

箕島春馬の、第一期末テストが、今、幕を開ける。

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