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第十一話「春馬の研究活動準備」


翌日の「研究活動」を前に、俺は自室で非効率的な課題に直面していた。服装の選定だ。

「このTシャツは、摩耗度45%。快適性は高いが、耐久性は低い。このポロシャツは耐久性80%だが、周囲の視線という非論理的な変数を無駄に集める可能性が70%を超える。……最適解が見つからない」


俺はクローゼットの前で腕を組み、すべての服を論理的なリスク分析の対象として評価していた。

これは、『裏切りリスクゼロ』を追求する俺にとって、最も精神的エネルギーを消費する工程だ。

そんな時、俺の論理的な静寂を破る、極めて非論理的な存在が部屋のドアを開けた。母、箕島 春那だ。

「春馬、夕飯、ハンバーグでいいかしら?」


「ハンバーグのタンパク質とカロリーは、明日に必要なエネルギー補給において高効率だ。問題ない」


「ふふっ、相変わらずね」

春那は俺の様子を見て、すぐに異変を察知した。彼女は俺がクローゼットの前で静止し、壁に貼られた『映画館までの経路分析図』を睨んでいることに気づいたのだ。

「あら、春馬。お出かけの準備? しかも、明日? 誰かと約束をしたの?」

春那の視線が、俺の手に持っている、最も無難で非効率なグレーのパーカーに向けられた。


「何を驚いている。これは、究極の最適解の証明に必要な、単なるデータ収集のための行動だ。論理的な必然性によるものだ」

俺は、不機嫌さを隠さず言い放った。


「まあ! 春馬がデートだなんて、何事かしら? デートだなんて〜! やだ、私ったら、非論理的な想像が止まらないわ!」

春那は、わざとらしく両手で頬を覆い、高校生の女子のような仕草をした。


「何を馬鹿なことを言っている。二人で出かけるだけでデートと煽るなんて、母さんは高校生かよ。論理的な定義を破綻させるな」


「あらあら〜そうよ、高校生! 心は永遠の20歳よ! これくらいの非論理的な楽しみがなきゃ、主婦なんてやってられないわ」

春那は笑い飛ばす。


「それ、高校卒業してるだろ。もしくは留年した2回目の高校3年生か?論理的な齟齬がある」


「うるさいわね、理屈っぽい子!」

ひとしきり、いつもの軽妙な論争を交わした後、春那の表情が深い理解の眼差しに変わった。彼女は、俺の『裏切り』というトラウマの全てを知っている。

「冗談はさておき、約束をしたことがすごいわ。どんな非論理的な行動力を持つ子なのかしら? 春馬の心の壁を崩そうとしているのは、誰なの?」


俺は、隠し通せないと悟り、淡々と事実を述べる。これは、感情の開示ではない。データの提示だ。

「相手は、若宮 蒼奈だ」


「若宮さん? 学園のマドンナって噂の? 春馬の隣の席になったって話は聞いたけど……へえ。そんな子が春馬と?」

春那は、からかいを再開する。


「だから、デートではない」

俺は強く否定し、蒼奈の情報を客観的な論理の言葉に変換した。


「若宮蒼奈は、周囲の人間から『学園のマドンナ』という非論理的な呼称で呼ばれている存在だ。見た目の特徴としては、黒髪のロングヘアで、ハーフアップという非効率な髪型を好む」


「絶対評価は、成績優秀、容姿端麗、天真爛漫という、論理的な矛盾をはらんだ評価で構成されている。最初は、周囲が感情的な増幅をしているだけだと思っていたが、観測結果はそれを否定した」


「彼女は定期テストで毎回トップという論理的な実績を維持し、芸能事務所に複数回スカウトされるという、彼女の絶対評価を裏付ける客観的事実が存在する。俺は女性を信じることはできないが、事実を認めることはできる」


「そんな子が春馬と、二人で映画に……ラブストーリーを観るんでしょう?」

春那は、再び「デート」という非論理的な言葉を突きつける。

「春馬。お母さん、心配してるのよ。あなたは女性不信という、克服が困難な精神的な壁を持っている。それでも、あなたは彼女の誘いに応じた」

春那の目が、真剣になった。


「それは、彼女が、あなたの論理に触れ続ける姿勢に対して、感謝という名の非論理的な感情を抱いたからじゃないの? 蒼奈ちゃんに対して、少しは信じられると思う部分があるから、行くのよね?」


俺は、喉の奥に鉛を詰め込まれたような感覚に襲われた。『感謝』という感情を認めることは、俺の『感情の排除=論理的な安定』という等式を崩壊させる。


「……否定はしない」


俺は、最も小さな声で答えた。


「俺は、若宮が何を考えているのか、その行動の裏に悪意があるのかを、完全に予測することはできない。だが、俺が明確な拒絶を示しているのに、めげずに笑顔で接し続けてくる彼女の非効率な姿勢には……論理的な評価を与えざるを得ない」


「席が隣同士になってから、今日まで、彼女の

『研究と称する介入』が継続しているという事実は変わらない。少なくとも、彼女は、これまで俺に関わってきた感情的な人間のように、すぐに裏切って去るという行動はとっていない」


それは、俺の孤独の論理の中での、蒼奈への最大の承認だった。


「そう。じゃあ、決まりね」


春那は、俺の複雑な感情をすべて受け止めた上で、結論を急いだ。


「そんな『事実を積み重ねてくれる子』との研究活動なら、あなたの孤独の最適解を破る価値があるかもしれないわ。だから、服は私が選ぶ」


春那は、グレーのパーカーを俺の顔に押し付け、他のクローゼットの服を分析し始めた。


「映画館は暗いから、周囲の視線リスクは低いわ。だから、少しだけプラスの利益(楽しさ)に寄った服装を選ぶべきよ」


「待て。俺の論理では、地味で目立たない服装が最適解だ」


「それは裏切り回避の最適解よ。利益最大化の究極の最適解には、新たな変数が必要なの!」


春那は、俺の論理を応用し、母親としての非論理的な優しさで、俺の防御を破った。


最終的に、俺は春那が選んだ、少し明るめのネイビーのジャケットと、白の無地のインナーという、俺の孤独の論理ではリスク値が高いと評価された服を着る羽目になった。


「この服装は、非効率だ」


「いいえ、春馬。それは非効率じゃないわ。『楽しさ』という利益を追求するための、最初の一歩よ。行ってらっしゃい、研究者さん」


俺は、論理を破ってまで選んだ、非効率な服装を翌日着るという事実を前に、わずかな高揚感と、それを上回る裏切りへの恐怖を感じながら、ハンバーグを待った。


第十一話公開しました!

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