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第百六話「テスト週間⑫」


終業を告げるチャイムが鳴り響き、教室の空気は一気に放課後の弛緩した熱気に包まれた。しかし、春馬の周囲だけは、依然として図書館のような静謐な「研鑽の場」として機能し続けていた。


「ん……っ、あれ……。……寝ちゃった?」

蒼奈がゆっくりと上体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。クラスメイトの多くは既に教室を後にしており、西日が差し込む窓際で、春馬だけが淡々とペンを走らせていた。


「起きたか。……若宮、お前の睡眠サイクルは、高校のカリキュラムと著しく同期に失敗していたようだな」


「春馬くん……? もしかして、ずっと待っててくれたの? っていうか、どうして起こしてくれなかったの?」


蒼奈が少し恥ずかしそうに、しかし恨めしげに尋ねる。春馬は手元の英単語帳を閉じ、不敵な笑みを浮かべた。

「……担任の指示だ。『若宮が起きるまで見守っておけ』という、非論理的な命令を下された。……おそらく、全教科100点の優等生を不用意に起こして、その高い学習能率を阻害することを恐れたのだろうな。俺としては、この時間を英単語の定着に充てられたため、リソースの損失はない」


「そんなの、言い訳でしょ? 普通は起こすもんじゃないかなぁ」


「……ふん。ならば、若宮。お前に一つ、俺の『学習成果』を見せてやろう。……君はよく俺のモノマネをするが、俺も君を精密に観測してきた。そこで、もし若宮蒼奈が今の状況に置かれたら、どんな『非論理的なレトリック』で返すかを推測し、英語で再現してみせる」

春馬は椅子を少し引き、蒼奈の瞳を真っ直ぐに見つめた。それは、今朝までの彼には決してできなかった、堂々とした「宣戦布告」だった。

「……いいか、これが俺の導き出した、若宮蒼奈の『想像モノマネ』だ」


春馬はあえて、蒼奈がよくやるように小首をかしげ、いたずらっぽく、しかし流暢な英語でこう告げた。


"The reason I didn't wake you up is... I thought I'd be cursed if I dared to disturb the 'Sleeping Beauty'."

(俺が君を起こさなかった理由は……『眠れる森の美女』を不用意に乱したら、バチが当たると思ったからだ)


「…………っ!!」

蒼奈の顔が、瞬時にリンゴのように真っ赤に染まった。

それは、春馬が今朝まで「拒絶」していた情緒的な語彙(Sleeping Beauty)と、蒼奈が彼に教えた英単語、そして彼女自身の不確実なロジックを完璧にブレンドした、最高精度の「意返し」だった。


「どうだ、若宮。今のフレーズに含まれる関係代名詞の省略と、仮定法のニュアンス……俺の理解度は、君の想定を超えたのではないか?」


春馬は勝ち誇ったように告げるが、蒼奈は両手で顔を覆い、机に突っ伏してしまった。

「……春馬くん……。それ、モノマネじゃないよ……。……バカ……」


「……バカ、だと? 語彙の選択が稚拙だな。……だが、認めよう。今の表情は、俺の『診断』でも予測できなかった、極めてイレギュラーな反応だ」

夕暮れの教室。春馬は、自らの論理が初めて「彼女の余裕」を撃ち抜いたことに、言いようのない充足感を覚えていた。二人の距離は、もはや教科書の中の数式では測れないほど、密接に、そして複雑に絡み合い始めていた。

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