第百三話「テスト週間⑨」
「……これを見て。私の戦略の、ほんの一部だよ」
彼女が自慢げに突き出したスマートフォンの画面。そこに映し出されていたのは、キラキラとした女子高生らしい彩りでも、美しい風景でもなかった。液晶のバックライトに照らされていたのは、画面の余白を一切許さないほど、無機質に、そして執拗に並べられた英単語の羅列だった。
「……っ、何だ、これは。嫌がらせのメール画面か?」
「失礼だなぁ。私が分からなかった英単語を全部書き出して、それを自分で打ち込んで、ちょっとだけ写真を編集して待ち受けにしてるんだよ。スマホを開くたびに、嫌でも視界に入るでしょ? 全てを脳に刻み込んで、完璧に暗記できたら次のリストに更新する。私はずっと、これを繰り返して知識のネットワークを広げてきたんだよ」
画面上の文字は、フォントサイズや配置までもが、視認性を最優先に設計されているように見えた。それは彼女が「全教科100点」という異常なスコアを維持するために積み重ねてきた、泥臭い努力の結晶だった。春馬はその徹底した姿勢に一瞬だけ気圧されたが、すぐに持ち前の論理的批判精神が首をもたげる。
「……待て、若宮。その『待ち受け画像を作成する』という作業そのものに、過剰な工数が割かれているのではないか? その画像を編集し、文字を打ち込む時間があるのなら、単語帳を数ページ読み進める方が、純粋な学習時間としての密度は高いはずだ。お前の手法は、手段が目的化している恐れがある」
春馬の指摘は、極めて真っ当な「効率論」だった。しかし、蒼奈はその反論を予測していたかのように、不敵な笑みを深く刻んだ。
「あはは、確かにその指摘は正しいよ! 春馬くんらしい、いい着眼点だね。……でもさ」
彼女は一歩踏み込み、春馬の瞳を真っ直ぐに射抜いた。その至近距離から放たれる圧倒的な自信に、春馬の思考がわずかに揺らぐ。
「――その正論、全教科100点満点を出し続けている私が言ったら、最高に説得力があると思わない? 効率が悪いやり方で、結果を出せると思う?」
「…………っ」
「いい? 勉強は『机に向かっている時間』だけで完結するものじゃないんだよ。無意識の時間をハックして、自分の生活の一部に情報を潜り込ませる。それが私のロジック。春馬くんが言う『効率的な学習』の結果が今の平均点だとしたら、私の『非効率に見える執念』の方が、今のところ正解に近いんじゃないかな?」
春馬は沈黙した。結果こそが最強の論理である。全教科100点という動かしようのない事実を突きつけられれば、彼の「効率論」は単なる弱者の負け惜しみに成り下がる。
「……っ、論理的な暴力だな。結果という既成事実を盾に、俺の批判を封殺するとは。……認めよう、お前のその『待ち受けハッキング術』が、お前の知識の城を築いている一端であることを」
「ふふ、認めたね! じゃあ、春馬くんのその自慢のオーロラ、ちょっとお借りするよ? 私が選りすぐった、今回のテスト範囲の『最重要・英単語リスト』でデコレーションしてあげるから!」
蒼奈は春馬のスマホをひょいと持ち上げ、器用に操作を始めた。春馬は自分の聖域が彼女の色に塗り替えられていくことに、言いようのない焦燥と、それ以上に、自分の無機質な生活が「若宮蒼奈」という巨大な変数によって急速に加速していく予感に、激しく胸を騒がせていた。




