第百話「テスト週間⑥」
窓の外から聞こえる部活動の掛け声が止み、代わりに大勢の生徒たちが登校してくる喧騒が図書館の厚い壁を越えて響き始める。朝のホームルームという、逃れられない定刻が刻一刻と迫っていた。
「……ふぅ。一通りの基礎演習は完了した。論理の欠損箇所は概ね特定できたと言える」
ノートを閉じ、愛用のシャープペンシルを筆箱に収めながら、小さく息を吐き出す。隣では、蒼奈が手際よく自分の参考書を鞄に詰め込んでいた。
「そうだね、そろそろ教室行こうか。……それにしても、テスト勉強、最初は春馬くんが得意って言ってた数学でお手並み拝見!って感じだったけど、意外と苦戦したね?」
蒼奈はわざとらしく小首をかしげ、いたずらっぽい視線を投げてくる。
「春馬くんにとっての『エース』である数学がこのピンチだったら、他の教科も相当危ないんじゃない? これ、赤点回避どころか全教科大捜索が必要かもね」
「……全教科100点という異常値を叩き出しているお前と比較すれば、大抵の人間は苦戦しているように見えるだろう。数学がエースだという自認は変えないが、今回は単に、出題範囲と俺の記憶野の同期が一時的に不全を起こしていただけだ」
悔しさを論理でコーティングしようとするが、蒼奈は止まらない。
「あはは! まだそんな強気なこと言ってる。でも、私の100点だけが特殊なわけじゃないよ?」
「……いや、若宮。お前が全教科満点なのは確かに驚異的だが、むしろ俺は、100点をこれほど容易に量産させてしまう教師たちの難易度調整ミスを疑うね。試験問題というものは、本来能力の差を識別するためのフィルターであるべきだ。全員が最高点付近に固まるような設計は、評価システムとして機能不全を起こしている」
自分の「穴」を棚に上げ、学園の教育システム全体に不備を申し立てることで、春馬は必死に自尊心の残滓をかき集める。だが、蒼奈はその程度のカウンターなど想定内だと言わんばかりに、鞄を肩にかけながら、トドメの一撃を放った。
「そうだねぇ。もし春馬くんの言う通り、先生たちが難易度調整をミスしてて、これからもっと問題が難しくなったとしたら……」
彼女は一歩春馬に近づき、耳元で楽しそうに囁く。
「春馬くん、平均点ギリギリどころか、一気に赤点のラインまで真っ逆さまに下がっちゃうんじゃない? 『難しすぎたから仕方ない』って、また論理的な言い訳を探すことになっちゃうかもよ?」
「…………っ!!」
図星を突かれ、言葉が詰まる。難易度が上がれば、真っ先に振り落とされるのは、基礎を疎かにし、その場しのぎの論理で武装している自分だ。それを、この「100点の観測者」は残酷なまでに正確に見抜いている。
「……ふん。ならば、その難易度調整ミスとやらに、俺も便乗させてもらうだけだ。お前という外部リソースを使ってな。……行くぞ。これ以上の遅滞は、遅刻という名の非論理的な経歴汚点を生む」
春馬は顔を背け、早歩きで図書館を後にした。後ろから「待ってよ、春馬くん! 照れ隠しで逃げるのも、計算通りなんだからね!」という明るい声が追いかけてくる。
朝の光が溢れる廊下。自分を嘲笑うはずの「恐怖」は、いつの間にか、彼女との軽口の応酬に形を変えていた。




