第7話 海原の起源
裁判の判決が下った日、そして姉と母までもが死んだ日のことを、枸櫞はずっと忘れられないでいる。
「テルクの海原には、泉客グループが求める特殊な資源があるの。それらは因果律に干渉できるとされている」
「因果律?」
「うーん……また説明ややこしいんだけど。
これから未来の運命を、人間の都合でいい方にも悪い方にも書き換えることができる、特殊なマテリアル群――うちいくつか手に入れば、きみが私的に扱えるリソースも出てくるでしょう」
「人間の都合って、けどテルク界は」
「太古の昔、ネーレイスと海原は、人間の術者らによって生み出されたと考えられている。無論、超常的な存在の背景にあったことは確かだけれど、テルクの海原には先人が遺したそのような道具がおおく眠っているのよ。
それさえあれば、誰を幸運にして、あるいは誰を破滅に導くも自由――生きながらに、死ぬよりもおぞましい苦痛を与えることだって」
「どうして……どうしてそんなことを、僕に持ち掛ける」
「この世界は理不尽で、超常は現にあるのだし、神様だっているとして、人間は己の領分を弁えなきゃならないかもしれないけれど、それじゃあ《《面白くない》》でしょう?
人間が摂理を超えていけない理由なんて、ないのだもの。
あなたのお姉さんは結果殺されたに等しいのに、あの男に付けられたのは『殺人』や『傷害致死』じゃなく『傷害』、裁判の前後に生き死にが縺れただけで、死に至ったという結果は無視される――犯人に逃げ切られたとき、きみはどうだった?」
「――」
「時間と言うボタンの掛け違いひとつが、その男を本当の罪から逃したとき、運命を捻じ曲げてでも、罰したかったんじゃないの」
「……それは俺じゃない。きみの執着じゃないか」
常人なら、まっとうな人間なら、他者を破滅させるなんて提案を持ち掛けたりしないだろう。
「そうだね、私は善人じゃなく、功利主義者だから。
非常識な提案だってことは、これでも自覚しているつもり。
だけど――あなたはリンカーだから」
「?」
「ことあなたを相手には勝算があった、という程度に聞き流して頂戴、そんな深い意味はないわ。
本来は、ネーレイスとの戦闘に並行してその資源の回収を試みていたけれど、昨日の八号機の変質でまた事情が変わってきた」
「テルクの海原へ、八号機みずから踏み込むことができるようになった」
「もちろん謝礼は出すわ。ネーレイスの干渉を受けず安全に済むのなら、グループの財力の及ぶ限りのことは何だってしてあげられると想うし」
「子会社をひとつくれとか?」
「その程度なら造作ないけど、あなた経営できるの?」
「あ、はい」
「意外と堅実な志向なのね、すこしほっとした」
「じゃあ世界の半分僕にください」
「急に悪ノリしだしたな、一応、日本国内とシリコンバレーあたりまでなら融通できなくもないけど、世界の半分には遠く及ばないわねぇ」
「妙に生々しいスケール感ですね。流石にそこまで本気じゃないけど――くぅ、苦学生だと足元見られてるカンジだなぁ、ちきしょう」
「あ、そこは悔しいんだ」
姉の治療と裁判だけでも多額の費用が吹っ飛んで、姉の芸能時代の稼ぎの殆ど、母の死後には、父が酒とギャンブルで擦ってしまったり。そんなわけで、枸櫞も別段裕福な経験もないのだ。そも事務所自体、売れっ子だった姉の給与を生前からして随分とけちって、この前脱税で摘発されていたり――姉の死を公表しないでくれることとは、また別問題だった。世の大人というやつは、本当にそういうものらしい。
「ま、思いついたらその都度ちまちま頼むかもしれない」
「契約成立、ってことでいいかしら」
「あとで書面でお願いしますね?」
「その点はご心配なく。どこぞの事務所さんとは違いますから、きちんとプロデュースさせていただきます」
西日の傾く堤防の上で、二人は握手を交わした。