第5話 もう乗らない
――世界へ復讐してみない?
泉客美岬はそう言っていたが。
僕が鮫人に乗ることが、はたして彼女の目的に繋がるんだろうか。
あんなえげつない、というか傍からは残酷にも見える戦いをしておいて、枸櫞は久しぶりに自分が充たされていることに気づいた。軟禁という仕打ちは、わけもわからないうちから振り回された憤りだってある、だけれど、それを上回るのが鮫人に乗ってネーレイスを蹂躙したあの瞬間の悦びだ。
ネーレイスが本当に敵なのか、あれに悪意があるかは関係ない――美しいものをみずからの手で暴いて解体したい欲を、鮫人が充たしてくれるのなら、すでにまたそれを味わいたい気分になっている。無論、これが相応に不健全な精神衝動なのは自覚しているけれど、こんなもの、常人が浴びせられたら脳の報酬系がバグってやめられなくなるんじゃないか。
だけど……、
「確かにすごい感覚だった……けどあれ、《《俺には》》必要ないかもな」
人形というツールが日頃の燻っていた鬱憤のそれを解放してくれたのはそうだろうけれど、人形がなくても、自分はあの境地を《《すでに知っていた》》のだから。
そう考えたら――戦った瞬間に覚えたはずのすべての高揚はあっさり遠のいてしまった。
*
おかげで監視中とはいえど、のんびり眠ることができた。
翌朝は美岬と時間帯をずらして登校したわけだが、教室へ入ると隣のクラスからやってきた同級生に絡まれた。
「天樒枸櫞ってのはお前か?」
「おはようございます、随分なご挨拶ですね。
きみリンカー?
なにをかっかしてるか知らないけど――」
「とぼけんなよ!」
急に胸倉を掴まれ、ずいと強面に引き寄せられる。
「お前、美岬さんになにした?」
「なにって」
「人形で、とんでもないことをやったそうだな」
それを知っているなら、やはりリンカーなんだろう。
今朝がた朝食を持ってきた美岬に訊いたところ、世界に十二人いるリンカーの適格者うち、枸櫞を含む八名はこの泉客学園内にいるという。
「だったらいずれ、本人から説明されることだ。
僕から言えることはないよ。そろそろ放してくれる?
顔近いし」
なおも腕を解かないガタイのいい少年。枸櫞は自身を我慢強いほうだと自負しているが、非常識な相手には容赦できない。
「美岬さんに恥をかかせるようなことをするなら、容赦しないからな」
「きみこそ――彼女の飼い犬としたら、躾がなっていないぞ」
「んだと?」
「自分の行動が品位を欠いているとは、考えないわけか」
「っ」
枸櫞は椅子に突き飛ばされた。掴み返すくらいの資格はあろうが、ことを荒立てるのは得策じゃない。
美岬からはまだ、色々と聞きださなければならないし、彼女と懇意にする人らと、そのたび無為な衝突をしていては、埒が明かない。自分がひとから好かれないのは、よくわかっている。
「ところで純粋に興味があるんだが」
「あ?」
「きみはどういう経緯で、あのひとに口説かれたんだい」
「……次にふざけたことを抜かしてみろ、美岬さんはお前みたいなへらへらしたやつに靡いたりしない」
「いや僕の場合、女の子には事欠かないし――この顔(※姉譲りの美形)なんで――安心して、もう鮫人には乗らないから」
「はぁ!!?」
急に大きな声を上げるリンカーの少年。
教室中がどよめいている。
少年は流石に周りを気にしだして、枸櫞に耳打ちした。
「お前がどこまで本気か知らないが、いやリンカーの話は迂闊に漏らすな。
学内で知っているのは、当事者と美岬さんのような一部関係者に限られる」
「きみから話を振ってきたんだろうに、ふざけてんのか?」
枸櫞は流石に苛立ちを隠せない。
「あぁ、忠告は聞いといてやるから、もう行ってくれません?」
勢いで、そのままお帰り頂いた。