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Prologue

 転校の切っ掛けなんて、父の転勤赴任の都合でしかなかったけれど、越してきたこの狭い田舎町では、あっという間に噂が拡がったらしい。


天樒そらみつて名前、なかなか聞かないよね。元アイドルみたい」

「――、どこぞのレモンを言ってるならそうだね、うちの姉だよ」

「え……そうなんだ、なんかごめんなさい」


 できたばかりのクラスメイト、自分から話を振っておいてすぐ謝るとはどういう了見だろう?

 まぁ、ホテルのバルコニーから転落したのは報道でみな知るところだから、仕方ない。

 僕はそれとなく、話題を楽なほうに持っていく。


「気にしないで。姉さんの話するの、好きなんだ。

 藝名の“蜜”には、モクヘンないだろう?」

「あ、そういえば」

「そのほうがわかりやすくてかわいいからって。

 ヘンな噂は流されてるけど、優しいひとなんだ――芸能界ってコワイよね」


 天蜜そらみつレモンこと本名を天樒檸檬そらみつれもん、人気絶頂にあったアイドルは、薬物の服用による異常行動で、ホテルのバルコニーから飛び降りたとされる。

 二週間前、そんな姉は死んだ。裁判は当人不在のまま、とっくに済んでいる。

 姉に薬を盛った犯人、被告は傷害罪その他で実刑判決を受けたが、植物状態から容態が急変したのはその判決から直後のことだ。母はどうしても被告を殺人罪ないし未遂罪にはしたかったわけだが、それは叶わなかった。あるいは二審以降を今からでも戦えなくはなかろうが、姉が死んだ日、あの人は風呂場で手首を切った。――二人の死後、入院期間中の費用や葬儀にごたついてからの今更裁判の延長戦は、遺された父と枸櫞にしてみればすでに逼迫した生活をかけてまでできるほどの現実的ではない。……いや《《枯れてしまった》》とでも言うか。


「姉さんはみんなの想ってるような、ヘンな人じゃないから。優しい人なんだ。

 ○○さんはそういう噂に振り回されたりしないでくれるよね?」


 姉の死は公表されていない。事務所も表に出されれば、世間をまた下手に騒がせるのは忍びなかったらしい。とはいえ、ほとぼりが冷めるまで伏せるだけであり、いずれハイエナのようなメディアに嗅ぎつけられるやもしれない。


「う、うん。もちろんだよ」


 姉譲りの枸櫞の甘いフェイスが、またひとりの少女をときめかせている。枸櫞自身はそんな自分の顔はさほど好きでないのだが、周囲をコントロールするには、そのような処世も必要だと最近は割り切っていた。

 ……呼び止められたのは廊下だが、近くには階段がある。踊り場のほうから、見下ろす誰かの視線を感じた。

 枸櫞に口説かれた少女は、顔を上気させて立ち去る。

 すぐに声が降ってきた。


「気色悪いな、きみ。お姉さん、亡くなったばかりでしょう?」

「……なに、あんた」

「天樒くんは、どうしてそんなに平静を装うのよ。

 実質、男に殺されたようなものでしょう」

「――」


 枸櫞は訝しむ。姉の死は公表されていない。

 この女はなぜ知っている?

 見覚えがあると思えば、あれだ、この泉客学園の理事長には娘がいる。

 学内では有名人だから――確か、泉客美岬せんかくみさき


「あぁ、きみが考えるような情報漏洩とはまた違うから。

 身構えるのは無理もないけれど、安心して。私は誘いにきただけ」

「誘い、なんの」

「人ひとり死んだのに、裁判では決着しかかって、上告するだけの余裕なんてないのでしょう」

「なんだよ、裁判を手伝ってくれるのか?」

「ううん、もっと単純な話だよ。

 天樒枸櫞そらみつくえんくん――きみはこの世界に納得していない」


 世界とは、これまた主語のデカいな。

 途端に胡散臭くなってきたので、枸櫞は身構える。


「世界?」


 こんな電波女の話、まともに取り合うべきじゃない。十中八九、ろくでもないことに巻き込まれるだけだ。そも、興味を持ったような素振りをしてはならなかった。反射的に、彼女の言葉をなぞるなんてのはもってのほか――とはいえ、あまりに突拍子がなくて、ほかのリアクションは取りようもなかった。まるで自分は世界の真理、核心を触れ得ているかのような、傲岸不遜な物言いに聞こえるのは気のせいか。


「あなたには資格がある、天樒くん、世界へ復讐してみない?」

「さっきから君は何を言っているんだ。姉さんはもういないのにッ」

「そうだね。喪ったものは取り戻せずとも、報いることはできる。

 来ればわかるよ、来なければ一生わからない。さぁ、えらんで」


 話に乗ったら途端、後戻れなくなる、そんな気がした。

 いやまぁ、彼女は導線に過ぎない。僕は自分の鬱屈を終わらせられる、刹那の口実が欲しかっただけで――。

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