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Black Pearl for you

 いつも乗っている小舟は二人で乗るには小さいため、以前使用していた一回り大きな船に乗ってアルとオースは大陸に向かった。

本日の波は穏やかである。オースは心地の良い海風に上機嫌でオールを漕いでいるが、アルは大陸に近づくにつれ顔が白くなっていった。話しかけても上の空なアルをオースは大層心配したが、その度に「元気だ」と白い顔でアルは笑った。

大陸に上陸し、いつもの場所に船を止める。アルの顔色はいよいよ青白く染まり、今にも倒れてしまいそうだった。


「…アル、具合が悪いのなら休んでいなさい。そもそもお前は朝方まで外で眠っていたんだ。健康そうに見えても風邪をひいていたり…」

「いや、行くよ」

「アル、」


 顔面蒼白のまま、アルはふらふらと歩き始める。惨劇の村はすぐそこだ。アルの顔は更に青白くなっていくが、歩みを止めるわけにはいかなかった。

…本当はもう、見たくない。けれども、大切な友人の死を知りながら、それを見て見ぬふりもしたくはない。アルは荒くなる呼吸を感じながら一歩、また一歩と歩を進めた。その後ろをオースが訝し気についてくる。本当なら祖父にもあの惨劇を見せたくはなかった。

 ふと、楽しそうな子供の声が聞こえた。それは明らかに村の方角からだ。

 アルは咄嗟に走り出した。背後でオースの静止の声が聞こえるが今は返事をする時間すら惜しい。持てうる限りの力で村の入り口まで走ったアルは大きく目を見開いた。

 村はいつもと同じ光景だった。

 大人は仕事で駆けまわり、子供は遊戯に勤しむ。家屋に壊れているところはなく、村の人間たちは元気に息をしていた。


「なん、で…え、?」


 アルの口から戸惑いの声が零れる。それはそうだ。アルが昨日見た惨劇はどこにもない。ふらふらと歩きながら、アルはヒスイの家へ向かう。遠目から見ても壊れている部分はない。まるで何事もなかったかのように。


「あら、名も知らぬお兄様」


 戸惑うアルの背後から少女の声がした。

アルがおそるおそる振り返ると、昨夜ヒスイにラブレターを送った少女が不思議そうにアルを見つめていた。


「こんにちは、名も知らぬお兄様。昨夜ぶりね。ここはヒスイお兄様のお家なのですけれど、ヒスイお兄様に御用かしら?」


 可愛らしく笑う少女にアルは言葉を失う。おかしい。明らかにおかしい。アルは昨夜、眼前の少女が涙を流しながら事切れていたことを知っている。羽空とキララも村人は全滅だと言っていた。おかしい。なぜ。どうして。

 アルが一歩後退すると、少女は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「まあ、どうされたのお兄様。顔色が悪くていらっしゃるわ」

「すまんね。うちの孫は朝方から体調が悪いようなのだ」

「あら!オースおじい様!こんにちは!」


 いつの間にかオースがアルに追いついていたらしい。彼はアルの頭を軽く叩くと、膝を折って少女の頭を撫でた。少女は嬉しそうに目を細めると、アルの顔を下から眺めてにっこりと微笑んだ。


「オースおじい様のお孫さんでしたのね。昨夜、お孫さんにとってもお世話になりましたの。ですから、つい声をかけてしまって…ごめんなさい、体調が悪いことに気づけなくて申し訳ないわ…」

「いいや、悪いのはぼーっとしていたアルだ。お嬢さんは謝らずともよい。それよりも、お嬢さん。家から出てもいいのかい?」

「ええ。不思議ですけれど、今日はとても体調が良いのです。オースおじい様のお孫様、体調が悪いことに気づけなかったお詫びにヒスイお兄様の居場所をお教えするわ。今日は卵を沢山収穫したそうだから、嬉しそうに物々交換に行かれたの。私にもひとつくださったのよ。ヒスイお兄様ったら本当に素敵な方だわ」


 うっとりと、少女は卵を抱き締める。そんな少女の顔を見てアルは返答に困ってしまった。オースはなんでもないかのように礼を言うと、荷車を借りるために村の端まで歩いて行った。

 アルは改めて村全体を見渡す。どこからどう見ても普通の村だ。アルが以前ヒスイに連れられてきた時と全く変わらない。

…昨日のあの惨劇は夢だったとでもいうのだろうか。涙も悲しみも苦しみも痛みも、体験した全てが嘘だとは思えない。けれど同時に、あれらが夢であったならばどれだけいいだろうと思った。

 アルが少女を見つめると少女は満面の笑みを見せた。

 …うん、きっとこれは現実だ。夢なんかじゃない。


「アル、そろそろ市場に行こう」

「あ、うん」


 荷車を引いて戻ってきたオースにアルは先ほどよりも明るい返事をした。これが夢ではないのなら市場に行けばヒスイに会えるはずだ。会いたい。会って話をしたい。もう二度と会話をすることも笑顔を見ることも出来ないと思っていた。けれど、脳裏にこびりついた首だけのヒスイが夢で、このいつもの日常が現実なのだとしたら、何度だってヒスイと会って話が出来る。

 そわそわとどこか気持ちが先走っているような、そんなアルを見てオースは口角をあげた。友達に会えるのが嬉しいのだとオースは思ったのだ。

アルとオースは少女に別れを告げると、二人並んで市場を目指した。


「こうして二人で市場に行くのは久しぶりだな」

「ん?うん、そうだな。じいちゃん、だいぶ年だし。でも、ヒスイやホタルのじいちゃんと比べてもオースじいちゃんはすげえ元気だよ。聞いた話によると、病気とか体力の消耗とかで満足に歩けないって聞いたからさ。ほんと、じいちゃんは丈夫だよな」

「そうさな。じいちゃんは丈夫だからな」


 オースは笑った。けれど、どこか含みのある笑い方だとアルは思った。まるで元気であることが良くないかのような、そんな笑い方だ。アルにとってオースが健康で元気でいることは嬉しいことだが、なんとなしそれは口にしてはいけない言葉のように感じた。

何とも言えない空気にアルは口を閉じる。オースも何も言わなかった。

 二人は暫し無言で歩いていたが、やがて市場が近づくと大声でアルの名前を呼ぶ少女の声が聞こえた。


「アルくーん!」


 ムラサキだ。何やら興奮しているらしい彼女は大きく手を振りながらアルとオースの元へ駆けてくる。彼女の長い髪がバサバサと舞った。


「ムラサキ!走るなよ、こけるぞ」

「きゃー!」

「…言わんこっちゃない」


 石につまずいたムラサキが盛大に前のめりになる。ムラサキは愛想がよく器量もいいが、少し抜けているところがある。特に興奮するとこれだ。地面に倒れこむ前に慌てて彼女を抱きとめると、ムラサキは照れたようにはにかんだ。


「ありがとうございます…すみません…」

「いーよ。でも、ムラサキ。前から言ってるけど、興奮してる時に走るなよ」

「こ、興奮なんてしてません…!少々、感情は高ぶっていましたが…!」

「それ、興奮してるって言わねーの?」


 茶化すようなアルの態度にムラサキは不満げな顔をする。すると、そんな二人を見たオースは楽し気に微笑んだ。


「え、オースおじい様!いらしていたのですね。すみません、私、全く気付かず…お恥ずかしい…」

「気にすることはない。久しぶりにムラサキに会えて嬉しく思うよ」

「ふふ、私もです」

「それでムラサキ。何をそんなに興奮してたわけ?」

「だから、興奮してはいません!」


 アルの言葉を一蹴して、ムラサキはこほんと咳をする。どうやら真面目な話らしい。アルが僅かに身構えると、市場から「ムラサキ」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 いつもと同じ顔、いつもと同じ声、いつもと同じ光景。そんな『いつも』を背負ったヒスイが呆れたように歩いてきた。その隣にはサンゴが、その後ろにはホタルがいる。

 ぶるり、とアルは震えた。

 なんの震えなのか分からない。ただ、ヒスイを視界に入れた瞬間、言語化できない感情が心を占めた。ああ、ヒスイだ。いつもと同じヒスイだ。生きている。喋っている。歩いている。サンゴも元気に笑っている。息をしている。今、ここに、いる。


「え、アル…?」


 ヒスイがアルを見て目を見開く。アルはなぜそんな驚いた顔をされるのか分からなかった。よく見るとムラサキやサンゴ、ホタルも驚愕に目を見開いている。ますます状況が分からない。アルが首を傾げると、隣に立つオースが優しい声で言った。


「アル、泣いているぞ」

「え…?」


 自らの頬に触れると水滴が指に付着した。それは瞳からとめどなくボロボロと零れ落ちる。オースの言う通り、アルは確かに涙を流していた。その涙は昨日のような冷たいものではなく、優しく温かいものだった。

 ヒスイが心配そうな表情でアルに布を差し出す。


「アル、大丈夫かい?何かあった?」


 差し出された布を受け取りながらアルは首を振った。今ここにヒスイがいる。それだけでいい。昨日の惨劇は夢だったのだ。アルは、ヒスイとその隣のサンゴを見て涙を零したまま笑った。

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