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黒百合

「こんばんは。ヒスイお兄様」

「あ、ああ…こんばんは」

「そちらのお兄様はお名前を存じ上げませんが、こんばんは」

「…こん、ばんは」


 抑揚のない声だとアルは思った。ヒスイも若干顔を強張らせて少女を見つめている。初めて会ったのだ。アルは少女がどういった性格だとか、普段の話し方だとか、そういったことは知らない。けれど、この少女の様子はどこか変だと、そう思った。

 少女特有の大きな丸い瞳がアルを捉える。その瞳には一切の光がなく、ただ暗闇を映しているだけだった。ぞっとして思わず一歩後退する。…気のせいだろうか。この夜が少女をそう見せているだけなのだろうか。しかし、どうやらヒスイもこの少女に違和感を覚えたらしい。彼は控えめに、隣に立つアルの手首を掴んだ。

 冷や汗がゆっくりと二人の首を流れる。その間にも少女はアルとヒスイの顔を交互に見つめて、そうして、やがてにっこりと微笑んだ。


「(あれ…?)」


 微笑んだ少女はとても穏やかで、先ほどの違和感は微塵も感じられない。ぱちぱちと瞬きするその瞳も暗闇ではなく夜空の月を映している。

 アルとヒスイはお互い顔を見合わせると苦笑した。やはりこの夜が自分たちに恐怖心を植え付けていたらしい。ヒスイは大げさに咳をすると、少女と目を合わせるようにしゃがみこんだ。


「それで君はどうしたんだい?家から出てはいけないんじゃないのかな」

「ええ、ヒスイお兄様。その通りなのよ。でもね、聞いてほしいの。私…、私、どうしてもヒスイお兄様にお渡ししたいものがあって…」

「渡したいもの…?」


 少女の言葉にヒスイは大きく目を見開いた。予想外の言葉だったのだろう。けれども、少女の真っ赤な顔を見てアルは理解してしまった。

 この林檎のように赤い顔を、アルは市場で何度も見たことがある。そして、そんな顔をしている女性は大抵、ヒスイに好意を寄せているのだ。

 案の定。少女は恥ずかしそうな、けれどもどこか嬉しそうな顔で、ヒスイに布を差し出した。麻ではなく、絹。高級品である。受け取ったヒスイがその布を広げると、拙い——けれど懸命に書かれた文字が顔を出した。


「これは…」


 所謂、手紙である。

 ヒスイは最初の文字を見て察したのか、さっと布を折りたたむ。少女の赤く染まった顔から手紙の内容が分かってしまったのだろう。おそらく少女を気遣って、手紙の内容をアルに見られないための配慮だ。

 アルはそんなヒスイを見て、こういう気遣いがモテる要因なのだろうかと心中で思った。

 少女は顔を真っ赤に染めたままヒスイを見上げる。年齢は幼くとも、その姿は一人の恋する女性だった。


「手紙を書いてみたの。今日の夕方出来上がったばかりで、すぐにヒスイお兄様にお渡ししたくって。文字が滲んでないといいのだけど…」

「そっか。ありがとう。家に帰ったら読ませてもらうね」

「…ええ!」


 真っ赤な顔はそのままに、少女は花開いたように破顔した。見ているこちらまで嬉しくなるような、そんな笑顔である。


「さあ。それじゃ、家まで送ってあげるからもう帰ろうね」

「え、送ってくださるの…?」

「勿論。同じ村だし、こんな夜に出歩いている子を放っておけないからね」

「ヒスイお兄様…」


 少女はヒスイの言葉に感動したのか、両手で頬を包み幸せそうに笑った。

 …全く、このような子供まで誑し込むとは、ヒスイは本当に罪な男である。


「アル。ごめん。オレ、この子を送っていくよ。船に品物を積み込んだら近場に荷車を放置しておくれ。後で取りに行くから」

「いや、それだとお前が危ねえじゃん。一緒にその子送ってから、」

「そうしたら、今度はアルの帰りが遅くなるだろう?そのほうが危険だ」


 眉尻を吊り上げるヒスイに、今度はアルが困ったような顔をした。

 折衷案を出したつもりだが、お気に召さなかったらしい。

 身を案じてくれるのは嬉しいが、既に太陽は沈みかけているし、海へ出るのが多少遅くなっても危険度は変わらないだろう。それならば、少女を家へと送り、その後で船へ品物を移し、荷車を村へ返すほうがヒスイの身は安全だ。アルが海へ出た後、ヒスイが一人で海岸にくるのは危険すぎる。

 お互い譲る気はなく、無言で睨みあう。間の少女は異様な空気を感じ取って、おろおろと両手をさ迷わせた。


「はいっ!そこまでだよ」


 とうっ!という掛け声と共に、サンゴが荷車から飛び降りた。アルとヒスイのちょうど真ん中に着地したサンゴは、厳しい顔をして二人の顔を見上げる。

 先ほどまで夢の中にいたというのに、一体いつの間に目覚めたのだろうか。


「もう、お兄ちゃんたち。このままじゃケンカになっちゃうよ!二人とも、お互いのことを心配し過ぎなの!」


 眉尻を吊り上げたサンゴは、困っている少女の手を掴む。そうして、兄たちに向けていた厳しい顔を崩しにっこりと微笑んだ。


「ボクが君を家まで送るよ!そしたら、ヒスイお兄ちゃんはアルお兄ちゃんを海まで送ってあげられるでしょ?」


 にこにこと屈託なく笑うサンゴに、少女は黙って何度も頷いた。


「そういうことだから、お兄ちゃんたち。ちゃんと仲直りしてよね!」

「あ、あの、サンゴ様の言う通り、私のために争わないでくださいまし。ヒスイお兄様に送っていただけないのは残念だけれど、争いの種になるくらいだったら身を引くわ。だから、どうかヒスイお兄様はそちらのお兄様を送ってあげて?」


 何を勘違いしたのか、少女はアルのことを、ヒスイに送ってもらえず駄々を捏ねていると思ったらしい。

 アルは訂正しようと口を開くが、その前に少女に手を握られて口を閉じた。少女は背伸びをし、そっとアルの耳に口を寄せた。


「名も知らぬお兄様」


 少女の大きな瞳が、アルを捉える。先程ヒスイに向けていた目とは違い、少女がアルに向ける目には異質な何かを感じた。


「どうかお気をつけてお帰りくださいね。今宵はきっと、とっても恐ろしい夜になりますわ」

「…それ、どういう——…」


 少女に囁かれた言葉にアルは目を見開く。追求しようと少女の顔を見つめるも、彼女は穏やかに笑ってアルの手を離した。


「それでは素敵なお兄様方、おやすみなさい」


 少女はそう言って、村へと走り出す。サンゴが慌てて少女の後を追うと、その場には静寂が漂った。

 アルは無言で、遠くなっていく少女とサンゴの背中を見つめる。先程少女に囁かれた言葉が、嫌に明瞭に頭の中で木霊した。


「アル?どうかしたのかい?」


 そんなアルを見つめて、ヒスイが心配げに声をかける。アルはヒスイに視線を送ると、ゆるく首を横に振った。少女の言葉の意味は気になるが今考えている時間はない。

 空を見上げれば、既に漆黒。二人は顔を見合わせると、どちらともなく足早に海へと歩き出した。

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