恋ひ恋ひて
雲の切れ間から雷が落ちる。
もすはそれを一瞥すると、自らの得物でその雷を一閃した。
この雷は本物だ。
僅かな痛みに顔を顰めたもすは、胸中で舌打ちをする。
彼の背後では巨大な恐竜を粉砕したカノンが「こんな生き物、昔地球にいたな」と感慨深く呟いていた。
同じく、巨大なゴーレムのような生物を切り裂いたべにが「ふむ」と眉を潜める。もすと目が合ったべには小さく頷いた。
「手応えがあるものと、そうでないもの。襲ってくるものはその二つのどちらかに分類されるな」
言いながら、べには得物を横に薙ぐ。
彼女に襲い掛かろうとしていた不気味な植物は、彼女の得物によって真っ二つに切り裂かれた。
これは偽物。
べにはこの感覚に覚えがあった。
A4大陸の異常を感じ取り上陸した際、こういった手応えのない幻覚に襲われたのだ。あの時は瞬時に正誤の判別ができたが、この場所では幻術がより強固になっているのか、非常に分かりにくい。襲ってくるエネミー自体はそれほど強くはないが、とにかく精神が疲弊する。
「カノン、もす。急ぐぞ」
べには顰めた眉をそのままに、二人の先導のため走り出す。
幻覚に対処するには幻術そのものをどうこうするよりも、術者本人を仕留めたほうが早い。
しかし、それは本人も理解しているのか一向に姿を見せない。
べには迷路のあらゆる場所に視線を飛ばしながら、姿を現さないのであればこちらにも考えがある。と僅かにほくそ笑んだ。
「なんだあ、行き止まりじゃねえか!」
と。思考を飛ばしていたべにの耳にカノンの声が届く。
彼女らの眼前には、道を遮るように巨大な壁が聳え立っていた。
カノンのこめかみに皺が増える。
《愛猫》のホームに招かれてからというもの、仲間とは引き離され迷路からは出られず、カノンの沸点は煮え滾っていた。
どこかで消化してやらねば、とべには瞳を伏せる。
もすは苛立つカノンの横を通ると「この壁、幻覚だな」と手で壁をすり抜けた。
「クソムカつく」
「気持ちは分かる。けど、落ち着け」
真顔で壁をすり抜けたもすが、続いて二人を先導する。カノンは舌打ちをしながらそれに続き、べにが最後尾を担当した。
黙々と走り続けていると、再び現れる壁。また幻覚かとカノンはその壁を通り抜けるため速度を上げる。しかし、次に相まみえたその壁は幻覚ではなく、カノンは鼻から壁に激突した。
カノンのこめかみに皺が増える。
怒りでぶるぶると震えたカノンは、その拳で思いきり壁を殴った。
刹那。背後から「カノン!」とよく知る男の声。
カノン、べに、もすが振り返ると、息も絶え絶えに駆けてくるキララの姿が見えた。キララだけではない。彼の後ろには笑顔の羽空や、海愛。困り顔のセノラ、大きく手を振るアルの姿も見える。
カノンのこめかみにまたもや皺が増えた。
よりにもよって仲間たちの幻覚を作るとは。キララはともかく、満面の笑みの羽空など気持ち悪いことこの上ない。
杜撰である。全てが杜撰。そして最高に腹立たしい。
ゆらりとカノンの身体が揺れる。それと同時に何かを発見したべには「見つけたぞ」と不適な笑みを浮かべて、迷路の壁を駆け上がった。
分厚い雲の中、かどわかした三人の聖人の姿を上空から見下ろす。
手強い聖人だと聞いてはいたが、本当にその通りだった。
数多の攻撃を仕掛けても、あの三人は軽々とそれをいなす。
トリのぬいぐるみはイヌのぬいぐるみを足で掴みながら、更に上空へと舞い上がった。
ここは灰色の雲で覆われた偽りの空。いくら身体能力が優れたソルであっても、自分たちの姿を捉えることは不可能だろう。念のためネコに確認してもらったが、彼の視力をもってしても自分たちの姿を捉えることはできなかった。故に、このままこの雲に身を隠していれば決して見つからない。自分たちはただ、下界の三人が瀕死になるまで時間稼ぎをしていればいい。
トリのぬいぐるみは更に舞い上がる。
もっともっと上空へ。
舞い上がり、そして——…巨大な瞳と目が合った。
「…っ!」
紅色の大きな瞳。それはギョロリとトリとイヌの姿を捉える。
トリのぬいぐるみは咄嗟にそれを回避したが、ひとつ、またひとつと瞳は増殖する。大小様々な瞳はあっという間にトリとイヌの周囲を取り囲み、二人を強く凝視した。
逃げられない。
そう悟った瞬間、分厚い雲を突き刺すように、鮮烈な紅色が現れる。
右手に短刀、左手に太刀を構え、不適に笑う幼い紅色。
彼女は音もなく刀を振り下ろ——…そうとして、刃が触れる寸前、刀を回転させた。
「カノンが立腹だからな。お前たちにはその贄になってもらう」
柔らかく笑んだべにが今度こそ刀を振り下ろす。
トリのぬいぐるみとイヌのぬいぐるみは、べにの得物に殴打され、下界へ叩き落された。
落ちた先は、先程幻覚として用意した彼女らの仲間の足元。
顔を上げると、般若の顔をしたカノンと視線が絡まり、トリとイヌはか細い悲鳴をあげた。
「おい、お前ら。最も強い感情は何だと思う?」
カノンの低い声が辺りを包む。もすは遥か後方へと避難し、べには迷路の上から楽し気に下界を眺めていた。
カノンの口から出てきたのは質問だった。しかし、トリとイヌが口を開く前に、カノンは言葉の続きを紡ぎ始める。
「怒りか?悲しみか?それとも恐怖か?…いいや、そんなんじゃねえ。この世で最も強い感情——それは…、
〝恋情〟…‼」
腰を低くし、得物を構えるカノン。
瞳は鋭く、敵を捉える。
その感情の名を口にした瞬間、カノンの内に広がったのは激しい恋心。
身を焦がすような、魂を灼かれるような、この身体すら塵と化してしまいそうなほどの、熱。
その激情に身を委ね、得物を振る。
カノン・アーネット。
彼女は身体能力の高いソルである。
羽空のように特殊能力と身体能力を併せ持ったポラではない。
しかし、彼女は自身の感情を、自由自在に変化させることができた。
怒りは攻撃力の上昇を、悲しみは殺傷力の上昇を手助けする。
そして、抱く感情が激しく大きいほど、カノンの強さもそれに比例する。
カノンが最大限に力を発揮できる感情——それが〝恋〟だった。
一瞬の静寂の後、大きな破壊音と共に眼前の幻覚や迷路が粉々に崩れ落ちた。崩れた迷路の上を、べには飛び跳ねて移動する。何とも楽しそうなその行動に、もすは溜息をついた。
真っ二つになったトリのぬいぐるみとイヌのぬいぐるみ。しかし、未だ震えていることから生きてはいるようだ。
カノンは得物を振り回しながら大きく息を吸い、吐く。こめかみの皺はキレイさっぱり消えていた。
「…うん!少しはすっきりしたぜ」
「お前、沸点低いのどうにかしろよ」
「なんにも聞こえねえなー」
もすの言葉を聞き流しながら、カノンは二匹のぬいぐるみを掴む。噛みつかれるかと思ったが、どうやら抵抗の意思はないらしい。
黙ってぬいぐるみを睨みつけていると、迷路の残骸で遊んでいたべにが地上に降りてきた。
「カノン、先程の感情云々の話、お前の持論か?」
「まあなー。べに、お前は最も強い感情、何だと思う?」
「ふむ、クサいセリフだが、無難に〝愛〟はどうだ?」
「本当にクせえし、感情を扱う身から言わせてもらえば〝愛〟じゃ誰も殺せねえよ」
ぬいぐるみ二匹と自らの得物をジャグリングしながら「それにしても、」とカノンは上空を見上げる。
べにが刀を振り下ろした際、天を覆っていた分厚い雲は霧散した。
カノンに倣ってべにともすも上空を見上げる。真っ白な天井の中央付近には扉があり、出入り口はここだと小さく主張していた。
「迷路の必勝法ってやっぱ壁を破壊することだよな」
「間違いないな」
「ちょっと待て。今、そのセリフを言う流れだったか?どう考えても〝出入り口はあそこだ!さあ、ここを出て仲間を探そう!〟とかじゃなかったか?」
自由過ぎるカノンとべにの発言に、もすは頭を抱える。
バカ女二人…と胸中で辛辣な言葉を吐きながら、一刻も早く仲間たちに会いたいと切実に思った。




