生殺与奪
攻撃、防御、回避、それらを繰り返すセノラの姿を、アルは悲痛な面持ちで見つめていた。
先程から状況はまるで変わらない。
ネコのぬいぐるみは高所から遠隔で攻撃を繰り出し、セノラはそれを避けつつ反撃をする。セノラに疲れの色は見えないが、焦っているのか鎌を振る動作が単調になっているような気がした。
ネコのぬいぐるみは尚も口角を上げながら尻尾を揺らす。その余裕そうな姿にアルは眉を寄せた。
「飛ぶよ!」
その言葉と同時に、セノラは回避のために飛び上がる。アルの身体も必然的に上空に引っ張られた。この吐きそうな浮遊感には慣れそうにないが、セノラが攻撃を回避できた事実に安堵の息が漏れる。
セノラは器用にアルごと身体を一回転させると、壁から出てきた蛇のような積み木の首を切り落とし、その胴体に着地した。
…ふと、アルは先程感じた違和感を思い出した。
敵は絶えず、セノラに攻撃を仕掛けている。そして、セノラはその攻撃を全て回避している。
言葉にすれば単純で矛盾はないようだが、やはりどこか違和感を拭えない。
…違和感、違和感。一体どこに違和感を感じている…?
目を細め、アルは考える。この違和感の正体が分かれば、セノラの一助となれるかもしれない。アルは脳内で先程聞いた聖人たちの会話を反芻した。
ソルは身体能力が高く、ルナは特殊能力を使える。そして、あのネコのぬいぐるみはおそらくルナ。この空間全体が彼の一部であるかのように、前後左右自由自在にうねっている。
対して、ソルであるセノラは身体能力が高く、敵の攻撃を回避しながら反撃をしている。…これ自体に違和感はない。
一番最初に違和感を感じたのは、確か——…。
セノラが死角から攻撃を仕掛けられ、しかし彼は危機一髪のところでそれを回避した——…。
「…あ、あああああああーーーーー!」
突然大声を上げたアルに、セノラは一瞬だけ肩を震わせる。しかし、すぐに眉を寄せると、訝し気に背中のアルに視線を移した。
「なんなの、突然…」
「セノラ様!セノラ様は、あのネコ野郎様より速いんすよ!」
「は…?」
何を当たり前のことを、とセノラは心中で呟いた。だからこそ、これまで攻撃を避けることが出来たのだ。
それがセノラの顔に出ていたのか、アルは「違うんすよ!」と激しく首を横に振る。
「ネコ野郎様の能力は、多分空間掌握とか、空間支配とかそんな感じだと思うんすけど、その能力の操作はネコ野郎様が手動的にやってるんじゃないかと思うんです!…えーっと、つまり…言語化すんのムズイな…。ネコ野郎様は〝自分の目で見てから、攻撃している〟ってことっす!」
「…能力の発動は、彼自身の動体視力に依存しているってこと…?」
「です!だからこそ、セノラ様は攻撃を全て回避できた。だって、ネコ野郎様の動体視力より、セノラ様のほうがずっと速いから」
アルの力強い眼差しにセノラは目を見開く。
ソルとルナは身体能力に大きな差がある。ルナがソルを相手にする場合、目視してから攻撃を仕掛ける、というやり方は愚策だ。アルの言う通り、ソルはルナの目の動きよりも早く行動を起こせる。瞬きひとつしている間に、眼前で得物を振るうことだって可能だ。
おそらく、アルの予想は大方当たっている。それは、セノラが無傷であることが何よりの証明だった。もしも手動ではなく自動発動する能力であったなら、攻撃を全て回避するのは至難の業。戦闘の最中幾度か攻撃を受け、傷を負っていたかもしれない。
セノラは高所のネコのぬいぐるみに視線を移す。アルの言葉が聞こえていたのか、大きく背中を仰け反らせ、体毛を激しく逆立てた。瞳孔は大きく開き、警戒の声で低く鳴く。
攻撃がくる——。おそらく、今までの比ではないほどの。
「セノラ様」
セノラは防御の姿勢を取ろうとした。しかし、それをアルが制する。彼の声は迷いが一切ない、力強いものだった。
「オレを離してください」
「…!…何を言ってるの…?床は積み木でできた牙だらけ。落ちたら死ぬよ」
「大丈夫っす!だってセノラ様なら、オレが落下死するよりも早くあいつを倒せる」
信じてます!と続けて、アルは太陽のように微笑む。その笑顔は八十年前に失ったセノラの兄によく似ていた。明るくて、眩しくて、目が眩み、涙が零れそうになるほどに——…。
セノラは一瞬、強く瞼を閉じる。そして、きつく唇を噛み締めた。
アルはセノラに命を預けると言っているのだ。出会った当初、命を刈り取ろうとした相手に。
セノラは瞳を開ける。彼の視界にはアルの笑顔だけが映った。そして、
——手を、離す。
アルの身体はゆっくりと、降下する。しかし、彼は尚も口元に弧を描いていた。
アルの視界からセノラの姿が消える。
ひとつ瞬きをすると、次に視界に映ったのは真っ二つに胴体を切り裂かれたネコのぬいぐるみと、積み木の城の崩落だった。
そして、アルが床に激突する寸前、抱きとめてくれた腕の感触。
もう一度瞬きをすると、アルの視界いっぱいにセノラの顔が映った。彼の緑色の瞳は水を張ったように揺れ、その瞳の中には数多の感情が見え隠れしている。
アルは安堵の息を吐き出すと、場違いなほど朗らかな声で言った。
「やっぱり、セノラ様のほうが早かったっすね!」
「…言うに事欠いて、それなの…?」
アルの笑顔につられてセノラも口角を上げる。
遠慮がちな、けれども自然なその笑顔は、まるで花のようだとアルは思った。




