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鳥の幻覚、亀の境界

 カノン、もす、べに。同時に目を開けた彼女らを待っていたのは、両脇に聳え立つ巨大な壁だった。

 壁を目で追いながら上空を見ると、そこに天井はなく、今にも雷が落ちてきそうな灰色の雲で覆われている。

 顔を引きつらせるカノン、溜息をつくもす、楽し気に笑うべに。三者三様の反応をした彼女らは、情報を整理するため顔を見合わせた。


「…おい、このクソみてえな状況を誰か説明しやがれ」

「クソ?愉快じゃないか」

「べに、お前は少し黙ってろ。とりあえず《愛猫》の連中のアジトに引き込まれ、尚且つ仲間とは引き離された、って感じだな」


 言って、もすは再度溜息をつく。

 両脇には壁。一見すると道は一本しかないが、よく見ると奥に進むにつれて曲がり角が幾つも存在している。

 いうなれば、ここは——。


「迷路、だな」


 もすの思考が読めたのか、べにが続きを口に出す。もすは若干目を見開きながら「ああ、」と賛同するように頷いた。


「…迷路ぉ?んでそんなめんどくせえことすんだよ!」

「意図があるのは間違いないが、その意図は分からねえよ」

「面と向かって戦いやがれ!」

「ルナがソルと面と向かって戦うのは無謀だ。無謀以前にただのバカだ」

「分かってるっつの!」


 眉を吊り上げるカノンに、もすは三度目の溜息をつく。そんなもすとは対称的に、べには至極楽し気にカノンの背を叩いた。


「心配するな、カノン。迷路には必勝法がある」

「はあ?…あー…、確か何だっけ、壁伝いに進めば必ずゴールにたどり着く、だっけか?」

「いいや、その方法は些か面倒だ」


 べにはふるりと首を横に振る。そんな彼女の反応にカノンともすは訝し気に眉を潜めた。

 すると、べにはおもむろに腰と髪から刀を抜く。右手に短刀を、左手に太刀を構えたべには、その切っ先を巨大な壁に向けた。


「必勝法とは〝壁を壊して進む〟だ」


 意気揚々と壁に向かうべにに、もすは頭を抱える。しかし、カノンはハッとした表情をすると、次の瞬間深紅の瞳を輝かせた。


「べに、お前——…やるじゃねえか!協力するぜ!」

「おい、そこのバカな女二人。止まれ」


 今にも壁を破壊せんとばかりに武器を構えるべにとカノン。たまらずもすが制止の声を投げると、それとほぼ同時に上空から何本もの剣が降り注いだ。まるで雨のように降り注ぐそれを、三人はいともたやすく弾き落とす。

 カラン、と無機質な音が辺りに響き、一瞬の静寂が訪れる。三人は顔を見合わせると、再度上空に視線を移した。

 すると、灰色の雲の隙間から火球のような炎を纏う玉が顔を出した。上空を覆う雲全体から、ひとつ、またひとつと火球が増殖していく。


「…走れ!」


 それらが三人に狙いを定めるのと、もすが叫んだのはほぼ同時だった。火球は三人が立っていた場所に一斉に落下し、周辺諸共その場所を轟轟と燃やす。火球のうち幾つかは、落下する前に方向転換し、駆け出した三人の後を追った。

 盛大に舌打ちをしたカノンは武器を構え「激昂!」と叫ぶように声を張る。カノンが武器を振ると、それは空気を殴り、圧となって迫りくる火球を叩き落した。


「んっとにマジで…面と向かって戦いやがれ…!」

「だからそれはただのバカだ」


 怒りで震えるカノンを見て、もすが冷静に呟く。べにはけらけらと笑いながら、手にしていた短刀を髪に収めた。



「アリア!」


 焦ったような、海愛の声が響く。そんな彼女の声とは相反して、部屋全体を包むオルゴールの音はとても穏やかだった。

 大量の玩具に囲まれた空間の中心で、アリアは真横に剣を薙ぐ。その剣は通常とは異なり、電車や車の模型でびっしりと覆われていた。幾度剣を薙いでも、それらは剣から剥がれることはなく、むしろ時間が経つにつれて固定されているような感覚がある。

 アリアは背後の海愛を振り返ると「海愛!このおもちゃには触れるな!」と声をあげた。


 アリアと海愛が目覚めたのは数分前。

 穏やかな音色のオルゴールに刺激され、二人は同時に目を開けた。目覚めて最初に理解したのは、仲間と分断されたこと。そして、玩具で覆われた空間に捕らわれていること。

 壁が視認できないほどに、この空間は子供向けの玩具だらけだ。

 二人は手分けして出口を探すため、空間の調査を始めた。

 アリアは剣で玩具を斬り伏せ、空間の壁を探す。しかし、幾度玩具を斬り伏せても一向に壁が見えてこない。訝し気に思ったものの、空間に変化はなく、敵が現れる様子もない。それならば、やはり出口を探すことが最善策だろう。

 アリアは仮面越しに背後の海愛を盗み見る。

 仲間たちと分断されたことは痛いが、それ以上に彼女と離れずに済んで良かったと、そう思った。

 ふ、と海愛が何気なく振り返る。視線が重なった瞬間、彼女は驚愕に目を見開いた。


「アリア!」


 それと同時に彼女の口からまろびでる焦ったような声。

 アリアも同様に目を見開くと、剣を握る腕に急激な重さが加わった。

 見ると、今しがた斬り捨てた玩具の残骸がびっしりとこびりついている。薙いでも振っても剥がれることはなく、まるで磁石のように固く重い。


「海愛!このおもちゃには触れるな!」


 仮面の下で眉を潜めながらアリアは声を張り上げた。

 剣は更に重さを増し、周囲の玩具が次々と剣に張り付いていく。…いや、張り付くというよりも、融合しているといったほうが近いだろう。先程まで視認できていた剣と玩具の境目はなく、吸収されているかのようにひとつの物質になりかけている。

 まごうことなき、敵の攻撃だ。

 アリアは剣から玩具を剥がすことを諦め、海愛と合流するため飛躍する。——否、飛躍しようとした。

 しかし、爪先に力が入らない。そも、足の感覚が鈍い。

 驚いて自らの足に視線を落とすと、指どころか踝までどっぷりと床に沈んでいた。剣に張り付く玩具のように、アリアの足はゆっくりと床と融合していく。

 背後の海愛も同様、踝まで床に沈んでいた。

 冷や汗を滲ませる二人を嘲笑うように、オルゴールの音色が軽快なものに変わる。そして、ぽんっという愉快な音と共に上空にカメのぬいぐるみが現れた。

 ぽん、ぽん、ぽんと何度か玩具に弾かれながら、それは床に転がり落ちる。アリアと海愛が警戒に顔を歪めると、次の瞬間。部屋中の玩具が台風のような竜巻へと変わった。

 八十年前、人間が使っていた乗り物の模型、歪な形の古時計、人形やボール、そんな玩具たちがアリアと海愛の身体に張り付いていく。

 竜巻の外で、そんな二人を見つめるカメは存在しない眉尻を下げた。


「…申し訳ございません。決して殺めることは致しません」


 悲し気に呟くカメはただ一心に竜巻を見つめる。

 瞳は竜巻を映してはいるが、存在しない瞼の裏側では仲間たちの顔が浮かんでいた。

 暫くして、ゆっくりと竜巻が消えていく。

 完全に風が治まると、竜巻があった場所には熱で溶かして固めたような、どろりとした玩具の塊があった。

 カメはぽてぽてと塊に近づくと、顔をあげてそれの中心付近を見つめた。

 聖人は呼吸をしない。つまり、窒息して死ぬことはない。この玩具の塊の中で動けなくなっているだろうが、命の危険はないだろう。

 カメは安堵の息を吐く。


 瞬間。


 ずしり、とカメの身体が重くなった。頭を動かせないほど、手足を動かせないほど、歩けないほど進めないほど、重い、重い重い重い。

 苦痛で歪む視界の中、かろうじて視線を動かす。

 すると、眼前の玩具の塊が一閃された。


「——あなたは、話が通じそうだな」


 同時に、割れた玩具の塊から聞こえる男の声。

 カメは逃げるため藻掻いたが、身体は全く動かない。

 アリアの背後から現れた海愛は「ムダだよ」と左手をカメに掲げた。


「あなたの周りの空気を〝鉄鋼〟にしました。どう頑張っても動けないよ」


 …鉄鋼?

 カメは存在しない眉を吊り上げる。目視できる範囲で、自分の周囲は依然として変わらない。しかし、何か固く重たいもので身体を固定されているのは明白だった。

 柔らかい銀髪、夜明けの空のような瞳。眼前の美しい少女は《聖剣》の聖人ではない。となれば《絶唱》の聖人なのだろう。かのチームには詳しくないが、髪と瞳の色から推察するに〝美鏡羽空〟の身内である可能性が高い。…ともすれば、彼女が卓越した能力者だという予想はつく。

 しかし、それでも。

 カメは存在しない口を真一文字に引き結ぶと、尚も抵抗するように手足をバタつかせる。

 アリアは一ミリも動いていない体躯を不憫に思いつつ、玩具の剥がれた剣の切っ先をカメに向けた。


「さあ、洗いざらい吐いてもらうぞ」


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