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猫の悪夢

《愛猫》の担当する監視大陸はN2大陸である。隣接する大陸はA1大陸とS3大陸。N2大陸の島人たちは工芸品を作ることを趣味としており、それを家々や人が多く集まる場所に飾り付けているらしい。アルが日常的に着けている髪飾りも、N2大陸からの輸入品であり、ヒスイたちが誕生日にプレゼントしてくれたものだった。

 閑話休題。

 聖人の多くは監視大陸の深海にホームを持っており、それは《愛猫》も例外ではない。《絶唱》《聖剣》の両チームは、N2大陸の区域内に入ると、そのまま真っ直ぐ深海へ進んだ。数分後、見えてきたのは巨大な箱。その箱は妙にファンシーで、箱の蓋部分には巨大なリボンが結ばれている。その姿はまるで——。


「プレゼントボックスか…?」


 訝し気なカノンの声が辺りを包む。深海は暗く冷たいが、眼前のプレゼントボックスは電気がふんだんに使われた電子看板のように、ギラギラと——いっそビカビカと、光り輝いていた。

 羽空、カノンを筆頭に、聖人たちがプレゼントボックスの周りに降り立つ。羽空はプレゼントボックスの周囲を見回すと、溜息をつきながら一度指を鳴らした。すると、プレゼントボックスを覆うように、突如透明な膜が張られる。ドームの中は一瞬にして水と空気が入れ替わり浮力が消えた。

 と、同時に鯨の口がそのドームを貫通する。鯨はどこか不機嫌そうに、口からアルとべにを吐き出した。


「あーはっはっはっは!楽しい!楽しいな!」

「…どこが、っ、ぐふっ、気持ち悪っ…」


 大声で笑うべにとは相反して、アルは両手両膝を地につけながら、激しく咳を繰り返した。そんなアルの背中をキララが何度も撫でる。

 先刻。《絶唱》《聖剣》の両チームで《愛猫》のホームの戸を叩くことが決定した。戦闘になる可能性は半々だが、安全を考慮してアルを連れていくことは出来ない。それはアル自身も聖人たちも理解していたが、唯一それを理解できない——…否、しようとしない者はこう言い放った。


「先程の鯨の口は楽しかったな。古代の人間風な言い方をすると、線路を走らない電車のようだった。ジェットコースター!アトラクション!実に愉快!」


 と。

そこからの展開は早く、アルを手刀で気絶させたべには彼を抱え、鯨のポニーの口の中に飛び込んだ。行先はもちろんN2大陸だ。ポニーはアルに危害を加えられたことに腹を立てていたが、彼の身の安全のために大人しくべにに従った。焦ったキララがポニーを追いかけ、残りの聖人たちも溜息をつきながら鯨を追いかける。ただし、蒼滴だけはアルへの嫉妬で奥歯を噛み締めていたが。

 キララに背を撫でられ回復したアルは、眼前の巨大なプレゼントボックスに目を見開く。こういった類の木箱は見たことがあるが、ここまでファンシーで派手なものは見たことがなかった。

 …なぜ、プレゼントボックス?

 その疑問はアルだけではなく聖人たちも抱いたようで、代表してもすが口を開いた。


「可笑しな形だが、これが《愛猫》のホームだろうな」


 もすの声を聞いて、アルは僅かばかりに目を見開いた。

 彼は幼児の姿をしているが、姿に似合わずその声色は大人のそれだった。相反してべには、姿形声色も幼女然としている。

 もすは刀を鞘から抜くと一歩踏み出した。彼の刀は太く長い。しかし、その重さを物ともせずに、軽く一振りした。


「とりあえず、壊すか」

「そうだな」


 カノンもどこからか武器を出して構える。巨大で不思議な形をしたそれは、とてもじゃないが武器には見えなかった。

 アルはふと、踊り場で海愛が楽器を演奏していたのを思い出す。彼女が持っていた楽器は、羽空が武器として使っている得物とよく似ていた。そして、カノンが手にしている武器もどこか似ている。

 まじまじとそれを見ていると、カノンが不機嫌そうに舌打ちをした。


「…なんだよ?入り口がねえんだから、壊すしかねえだろ」

「え、いや、文句言いたくて見てたんじゃねえっすよ⁉」

「はあ?じゃ、何だよ」

「…カノン様の武器、羽空様の武器に似てると思って…」


 小声で呟いたアルの言葉に、カノンは目を細める。

 …敵陣に乗り込もうという時にするべき発言ではなかったかもしれない。

 緊張感のない言葉を吐いたことに、アルは身を固くする。しかし、カノンは左程気にしていないようで、自らの武器を大きく掲げた。


「コントラファゴット」

「こんとら…?」

「コントラファゴット。この武器の名前だ。お前の見立て通り、元は楽器だが、今は違う。羽空の武器も、ついでにキララと海愛の武器も、側だけは楽器だ」


 側だけは——。そういえば、キララもそのようなことを言っていた気がする。もともとは楽器で今は武器…?一体どういう仕組みなのだろう。

 疑問を口から発したいが、これ以上の追求はよくない。アルは口を真一文字に引き結ぶと、首を横に振った。

 と、その時。

 武器を構えたカノンともすに反応してか、プレゼントボックスの蓋が僅かに開いた。

 アル以外は即座に反応し、臨戦態勢を取る。

 蒼滴は抜刀した後、べにの側に。べにはゆっくりと鞘から刀を抜く。メイクは矢を構え、キララと海愛も武器を構える。アリアは一歩前に踏み出し、羽空は無言のまま瞳を鋭く尖らせた。

 その間にもリボンは解け、蓋はゆっくりと開いていく。三分の一ほど開いたところで中からクラッカーのような音が響き、大量の星屑が流れ星のように箱から飛び出した。


「やあやあ、ようこそ。《愛猫》のおもちゃ箱へ」


 大量の星屑の中から、何者かの声がする。少年のような、少女のような、そんな声。かろうじて見えたのは、大きな耳と尻尾だった。

 星屑の光で視界が眩む。アルがたまらず目を閉じると、劈くような声で誰かが自分の名を呼んだ気がした。



 ぱたん、とプレゼントボックスが閉じる。

 巨大なリボンは独りでに動き、元通りに箱を包んだ。

 深海に静寂が訪れる。

 誰もいなくなったその場所に、ポニーの不安げな声が響いた。



 ——音が聞こえる。いつも夢の中で聞くような水音と歌声ではなく、激しく甲高い音と衝撃音、それから誰かの笑い声が聞こえる。

 水中からゆっくりと浮上するように、アルの意識も緩慢に覚醒した。それと同時に感じたのは、激しい身体の揺れと、移り変わる景色。たまらず悲鳴をあげると、背中側からセノラの声が聞こえた。


「とってもうるさい」

「すんません!」


 反射的に謝罪する。その間にも景色は移り変わり、黄色や赤、青や緑の色が視界に映っては消えた。アルの目がまともに捉えることが出来るのはセノラの背中のみ。それ以外は移り変わるのが早く、目で追うことができない。酔いそうになったアルは再び目を閉じ、冷静さを取り戻すためになぜこのような状況になったのかを考えることにした。

 アルは、先程まで《絶唱》《聖剣》の聖人たちと共にいた。目的は《愛猫》によって布の塊にされたA4大陸の人間たちを救うため。そのため、元凶である《愛猫》のホームへとやってきた。《愛猫》のホームはプレゼントボックスのような形をしており、とてもファンシー。そのホームを眺めている最中、突然プレゼントボックスが開き、息をする間もなくその箱に飲み込まれた。

 アルは再び目を開ける。これまでの経緯は理解できた。しかし、やはり状況がいまいち理解できない。分かるのは、セノラと共にいること。セノラがアルを抱えて移動していること。そして、姿は見えないが、先程から誰かの笑い声が響いていること。

 セノラが小さく舌打ちする。

 首を動かして彼の顔を見ると、セノラは可愛らしい顔を歪め、ただ一点を鋭く睨みつけていた。


「セノラ様…」

「喋らないほうがいいよ。舌がダメになると人間は死んでしまうって海が言ってた」


 そう言って、セノラは大きく飛躍する。巨大な積み木がセノラとアル目掛けて飛んできたが、セノラは大鎌でそれらを一閃した。粉々に砕かれた積み木は地に落ち、床と一体化する。

 セノラの飛躍時間は長く、積み木の城の上でこちらを見下ろしている猫のぬいぐるみを、アルは一瞬だけ視界に捉えた。猫のぬいぐるみは二股のしっぽをゆらゆら揺らし、その口は不敵に弧を描いている。目が合った瞬間、蛇に睨まれた蛙のごとくアルは震えた。


「簡潔に説明するよ。多分、ボクたちは分断された。ここには今、ボクとあなたしかいない」

「っ、それは…!」

「喋らないで。他のみんなは心配いらない。強いから。…ねえ、キララの説明覚えてる?あ、頷くか首を振るかで答えて」


 …説明?主語がないためどの説明かは分からないが、キララの言葉は一言一句覚えている…と思う。

 アルが頷くと、セノラは「よかった」と息をはいた。


「ソルとルナ。戦闘に特化した者と、異能に特化した者。ボクはソル。だから異能は使えない。ルナと相対した時、力技でなんとかなるんじゃないかと思ってたけど、そうもいかないみたい」


 セノラは床に着地すると同時に、再び飛躍する。そして、再度殴るように飛んできた積み木を切り裂いた。彼の行動を観察するに、どうやら長時間床に触れることを避けているようだ。


「移動しながら観察したけど、出口がない。それ以前に、部屋の中がどんどん作り替えられてる」


 大鎌を振り回し、ゆっくりと落下するセノラ。アルが部屋の中を見渡すと、彼の言う通り積み木は意思を持っているかのように動き回り、部屋の構造が次々と様変わりしていた。

 セノラは着地した後、再び飛躍し壁へと足をつける。壁はセノラに触れた瞬間、牙のような形に変わり、彼の足を噛み千切ろうとした。

 しかし、その前にセノラは再び飛躍する。牙に変化した積み木は空気を噛み千切った。


「……?」


 それを見たアルは疑問符を浮かべる。小さな、しかし決定的な違和感を感じた。だが、その違和感を深堀することは叶わず、セノラの高速移動によってアルの視界は再び色彩の嵐に変わる。

 セノラは城の上から見下ろす猫のぬいぐるみを見つめた。それは絶えず不気味な笑い声をあげている。十中八九、あのぬいぐるみは《愛猫》の聖人の一人だろう。異形の姿をしているとは聞いていたが、まさか布の塊が本体だとは思わなかった。

 セノラは積み木を大鎌で切り裂きながら眉間に皺を寄せた。

 《絶唱》の聖人のことも《聖剣》の聖人のことも、セノラは信じている。だが、


「…早く、みんなを見つけなくちゃ」


 アルに聞こえないほど微小な声でセノラは呟いた。

 大切な仲間と引き離された。そして、おそらく彼らも襲われている。その事実は、一度仲間を失ったことがあるセノラにとって、耐えがたいほどの苦痛だった。

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