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貸しひとつ

 開口一番。そう告げた羽空に、べにはつまらなさそうに唇を尖らせた。


「事実だが…、驚く顔を見るためにここまで引き延ばしたというのに…。さては、アリアに事情を聴いたな?」


 頬を膨らませて唇を尖らせる姿は外見相応だが、鋭い瞳を向けられたアリアは「申し訳ありません」と静かに肩を落とした。そんなアリアの背中を海愛が柔らかく撫でる。

 羽空はべにの言葉には返答せずに、黙ったまま一人掛けのソファに腰を下ろした。海愛とアリアは一瞬だけ顔を見合わせると、手に持っていた茶器をテーブルの上に並べる。途中、連れ立って部屋を出た彼らは、どうやら飲み物の準備をしていたようだ。

 羽空の登場により、部屋の中の空気が荘厳なものに変わる。前回も似たような雰囲気を感じたが、ただの人間であるアルにとってこの空気は少しばかり居心地が悪い。肌を刺すような空気に身じろぐと、緊張をほぐす様にキララがアルの肩を叩いた。


「…!キララ様、」

「体調大丈夫か?側についてやれなくて悪いな」


 そう言って眉尻を下げるキララに、アルは勢いよく首を横に振る。

 流れで連れてこられたとはいえ、ベッドで寝かせてくれた上に、セノラに世話まで頼んでくれたのだ。礼は言えど、糾弾するなど以ての外だった。

 そんな意が汲み取れたのか、キララは朗らかに微笑む。つられてアルも笑みを浮かべると、真顔でこちらを見つめる羽空とばちりと視線が絡み合った。


「は、羽空様、お邪魔してます…!」

「…お前も災難だったね」


 羽空はアルに向けて憐れむような視線を向けると、カップを手に取り足を組む。そして「さて」と瞳を鋭く尖らせた。


「アリアから大まかな話は聞いたけど《皇帝》がA4大陸を襲った経緯を教えて」

「いいだろう。厳密に言えば、襲ったのは別の聖人のチームだ。が、バックに《皇帝》がいる可能性が高い」


 羽空同様、瞳を鋭く尖らせたべにはカップの中の緑茶を見つめる。そして、一度思案するように目を閉じると、滔々と数日前の出来事を語り始めた。



 ——A4大陸。

 紅べにが監視するこのA4大陸には、数多の目が張られている。

 人間には視認することが出来ないその目は、上空から地上から、深海から大陸全土を監視するための目だ。この大陸の人間は勇ましいが心優しく、色とりどりの布類を余るほど作っていた。

 《聖剣》のホームも《絶唱》と同じく、深海に存在する。八十年前から現在までトラブルの一つも起きなかったこの大陸は、聖人たちが直接上陸することもなくべにの目のみで監視を行ってきた。

 しかし、数日前。

 突如として、全ての目が消失した。

 破壊されたのではない。見えなくなったのだ。

 大陸の木々も、土も、風も、空も、生活感溢れる家々も、人間の命の輝きも——。

 緊急事態。

 その言葉が脳裏を過ったべには《聖剣》の聖人を引きつれて大陸へと向かった。そこはいつも見ていた光景ではなく、大陸全土を覆うように黒い霧がかかり、黒い靄でできた巨大な虫が闊歩していた。

 それらを切り伏せ、大陸に足を踏み入れると——人間が消えていた。


「…そして、人間と入れ替わるように、この布の塊が大陸中に散らばっていた」


 語り終えたべには、着物の懐からヒト型のぬいぐるみを取り出す。髪も瞳もあり、服も着ている。とても精巧なぬいぐるみだった。

 それを見た羽空は神妙に眉を寄せる。一目見ただけで分かってしまった。べにの手にある布の塊はただのぬいぐるみではなく、姿を変えられたA4大陸の人間だ、と。


「…なるほどね」


 溜息と共に言葉を吐き出す。

 べにの目を掻い潜り、大陸の人間全てを布の塊へと変える。確かに、バックに《皇帝》でもいなければ、実行不可能だろう。

 聖人の〝強さ〟は平等ではない。戦闘に特化した才を持つ者、癒しに特化した才を持つ者、援護に特化した才を持つ者、様々だ。その中でも羽空はべにを〝強者〟の位置につけている。そんな彼女を欺くことが出来る聖人など限られていた。

 羽空は再度、ぬいぐるみに視線を移す。

 羽空の目には、そのぬいぐるみが鼓動を打っているように感じられた。


「生きてるね、その布の塊」

「ああ。故に、全て回収し、城に保管している。だが、私たちの手では元には戻せない」

「何かしらの能力によるものだろうね。元に戻すには術者を始末したほうが早い。でも、解せないな。どうして《愛猫》の連中はそんなことを?」


 羽空の言葉に、べには首を横に振る。どうやら理由は分からないようだ。

 部屋の中に沈黙が落ちる。

 そんな中、アルは混乱する頭で、状況を理解しようと必死に頭を働かせていた。


「えーっと…《愛猫》っていうのはどこから出てきたんすか…?《皇帝》の聖人様がやったんじゃ…?」


 訥々と呟いたアルに、その場の全員の視線が注がれる。その視線のあまりの強さに、アルはびくっと身体を震わせた。


「…《皇帝》の聖人は、人間をぬいぐるみに変えるなんてまどろっこしいやり方はしない。襲うなら、殺す」


 アルの疑問に答えるように、セノラが淡々と口を開く。その返答にアルが眉尻を下げると、続いてメイクが口を開いた。


「それにね、あの日、オレたちは《愛猫》の連中をA4大陸で目撃したんだよ。人間をぬいぐるみに化けさせたのは、多分《愛猫》。でも、べにの目に干渉したのは《皇帝》の連中だと思う。だって、《愛猫》の連中がべにに勝てるわけないからね」

「勝てるわけない…?」

「そう。《愛猫》の聖人って武闘派じゃないし、そもそも全員〝ルナ〟だもん。あ、リーダーだけは〝ポラ〟だろうけど、それにしたって、べにに勝てるほど強いやつはいないと思うよ?」


 不機嫌そうに語るメイクは僅かに目を細める。数日前の出来事を思い出し、腸が煮えくり返っているのだろう。

 〝ルナ〟…〝ポラ〟…。

 知らない単語だ。アルは口を開こうとして、咄嗟にそれを閉じた。これ以上、部外者の自分が聞いてしまってもいいのだろうか。

 アルは改めて、この場での疎外感を感じた。

 アル自身は何もできない。疑問が解消できたとしても、彼らの力にはなれない。そう思った矢先、淀みのない羽空の声がアルを貫いた。


「…聞かないの?」


 その声に顔を上げる。羽空はまっすぐとアルを見ていた。


聖人(オレたち)のこと、知りたいんじゃなかったっけ?」


 微かに笑みを浮かべる羽空に、アルは目を見開く。

 そうだ。

 アルは惨劇の翌日、海へと叫んだ。聖人(かれら)を知りたい、と。八十年前何が起こったのか、多くの人間が滅びたのは何故なのか、自分の命の意味を、生きる意味を、この世界を知りたいと、アルは心からそう思った。

 そして、全てを知ったその先で、羽空と友人になりたい、と——。

 アルはゆっくりと目を伏せて、深呼吸をする。

 そして、目を開く。その瞳は一瞬だけ星のように輝いた。


「あの…!不躾で申し訳ないんすけど〝ルナ〟とか〝ポラ〟ってなんすか?」


 少々震える声で、アルは顔を上げた。

 羽空を除く聖人たちは一瞬だけ顔を見合わせる。そして、アルの疑問に答えるため、代表してキララが口を開いた。


「説明が少し難しいな…。まず、聖人には〝戦闘特化型〟と〝異能特化型〟そして、その二つを兼ね備えた〝戦闘異能両特化型〟が存在する」

「なるほど…。人間でいうと、運動神経がいい奴と、頭脳成績な奴、または運動もできて頭もいい奴の三種類がいる、と」

「まあ、簡単に言うとそうだな」


 からっと笑うキララに、アルも口角をあげる。

 次いで、キララは海愛とアリアに視線を向けた。


「〝ルナ〟っていうのは〝異能特化型〟のことだな。海愛は〝ルナ〟だ。戦闘能力が秀でてるわけじゃねえけど、その分特殊な能力を持ってる。対して、〝戦闘特化型〟は〝ソル〟。アリアがそれだな。強靭な肉体と、強烈な戦闘センスを持ってる。そして〝両特化型〟が〝ポラ〟。〝ポラ〟は絶対数がかなり少ねえけど、各チームのリーダーは大抵〝ポラ〟の聖人がやってる」


 アルはキララの言葉に頷きながら、先程のメイクの発言を思い返した。

 《愛猫》は全員〝ルナ〟で武闘派集団ではない…。

 それはつまり、何かしらの異能力を持ってはいるが、戦闘能力はほとんどない、ということか。唯一可能性があるのは、チームのリーダー。キララの発言を加味するに、リーダーは異能力もあり戦闘にも長けている。しかし、それはこちらも同じだろう。《愛猫》のリーダーだけではなく、おそらく羽空とべにも〝ポラ〟ということになる。

 メイクが言いたいのはつまり《聖剣》は《愛猫》に勝つ自信がある、ということだ。

 しかし——…。


「…その〝異能〟ってどんな感じの能力なんすか?」

「アル?」

「あ、いや…メイク様はさっき、武闘派集団じゃないから勝てるわけないって仰ってましたけど、武闘派じゃなくても勝てる可能性はあるんじゃないかって思って…」


 例えば、色鬼。

 幼少の頃、ヒスイたちと遊んだゲームだ。

 このゲームはただ足が速いというだけでは勝てない。鬼が指定した色に触れることが出来なければあっという間に捕まってしまう。

 ただのかけっこであれば足の速いものが優位だが、少しのルールが加わっただけで勝敗は分からなくなる。

 つまり、相手の〝異能〟によっては分が悪くなってしまう可能性もゼロではない。それこそ『黄色』と指定した鬼が、周囲の色を『青色』に変えてしまう力を持っていれば、どれだけ俊足であっても全員捕まってしまうだろう。

 思案するように俯いたアルを見て、べには腹を抱えて笑う。そして、メイクの背中を何度も叩くとソファに転がった。


「ふふふ、人間よ。お前の考えは正しい。確かに〝異能〟によっては非常に厄介な戦いになるだろうさ。メイクはただ対抗しているだけだ。《愛猫》はリーダーを除いて全員が〝ルナ〟。対して私たち《聖剣》は私を除いて全員が〝ソル〟だからな」

「〝ソル〟っつーのは種がバレてんだよ。言い方は悪ぃけど、ただの戦闘能力が高い聖人だからな。けど〝ルナ〟は基本的に種がバレてねえ。能力を知られてねえのはデカいぜ」


 べにに続き、カノンが口を開く。その口調は淡々としたものだったが、メイクは心外だとでもいうように頬を膨らませた。


「〝ルナ〟が能力を使う前に叩っ切れば?そしたら〝ソル〟が圧勝じゃない?」

「戦いっつーのはそんな簡単なもんじゃねえだろ。んでそんなにキレてんだよ…」


 再度頬を膨らませるメイクを、カノンはジト目で見つめる。べにはメイクの頭を撫でてやりながら「さて」とソファに座りなおした。


「カノンの言う通り、戦闘は簡単なものではない。だからこそ、同盟相手である《絶唱》に声をかけたんだ」

「オレたちに、A4大陸の人間を救うための協力を申し出るってことで合ってる?」

「いかにも」


 そう言うと、べには床に片膝をつき深々と頭を垂れた。彼女に続き《聖剣》の面々も頭を垂れる。とても美しいその所作に、アルは見惚れてしまった。


「我ら《聖剣》A4大陸を監視する役目を担うもの。此度の戦において《絶唱》の力を借りるべく馳せ参じた。同盟とはいえ、我らが領地内での不始末、力を借りるのは大変忍びない。故に、強制は出来ぬ。しかし、我らの情に免じてどうか協力してほしい」


 べにの言葉に《絶唱》の聖人たちは顔を見合わせる。そしてまっすぐに羽空を見つめた。その瞳には一切疑いの色はなく、彼の答えを見透かしているようだった。

 羽空は口角を上げる。その瞳は優しさではなく、挑戦的な色をしていた。


「貸しひとつ、ね」

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