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蒼い箱舟

 耳が、声を拾う。そう意識すると同時に、瞼もゆっくりと持ち上がった。

 ぼやける視界の中に、金色と深い青色の髪が見える。

 何度か瞬きをすると、金髪の少年がアルの顔を覗き込んでいるのが分かった。


「あ、起きた」


 サイドに結われた彼の毛束が肩を流れる。それをぼんやりと眺めていたアルは、急速に意識が覚醒し、勢いよくベッドから飛び起きた。

 しかし、アルが起き上がる前に、金髪の少年はその肩を押しベッドへと戻す。膝を抱えるように座りなおした彼は眉間に皺を寄せた。


「勝手に起きようとしないで。キララからあなたの世話を頼まれてるんだから」

「セノラ様…」


 淡いプラチナブロンドの髪に、緑の瞳。見知った彼の名を呼ぶと、セノラは「まったく、」と膝に顔を埋めた。

 なぜ自分はここにいるのだろう。

 アルはそう考えて、先程までの出来事を思い出す。

 キララと談笑している最中〝べに〟という聖人が現れ、彼女に海へと連れ出された。酸欠で苦しむ中、最後に見たのはポニーの大きな口。目の前にはセノラ。この部屋の天井にはシャンデリアがぶら下がり、ステンドグラスの隙間から見えるのは、真っ暗な夜空。

 アルは自分がどこにいるのか悟り、申し訳なさに両手で顔を覆った。


「…すんません」

「あなたが謝る必要はないよ。べにが勝手に連れてきたんでしょう?」

「…勝手に?それはべに様の悪口か、セノラ」


 セノラの言葉を遮るように、第三者の声が響く。セノラはその声に辟易するような顔をすると、小さく溜息をついた。

 セノラから視線を外して扉の方向に顔を向けると、深い青色の髪をした高身長美女が立っていた。鋭い目つきをしているが、泣き黒子がそれを緩和している。首には、べにと同じ形のエンボス。そして、腰には武器のようなものが引っ付いていた。

 セノラは、面倒くさいという表情を隠しもせずに再度溜息をつく。そして、一瞬だけ彼女に視線を向けると、すぐに逸らした。


「べつに、そんなこと言ってないでしょ」

「私にはそう聞こえたが?『勝手』この言葉は、同意を得ずに自らの行動で相手を振り回す時に使う言葉だ。つまり、あなたは今、べに様がそこの人間を無理やり深海に引きずり込んだ、と言ったのだ」

「いや、実際にそうだよね」


 セノラは眉間に皺を寄せて小声で反論する。しかし、彼女には聞こえていないのか、両手を広げながら何やら恍惚な表情を浮かべた。


「べに様には何かお考えがあったに違いない。例えば、そこの人間が作戦において重要な役割を持っているだとか、敵の弱点を炙り出す重要なパーツだとかな。美しく、素晴らしいべに様のことだ。ただの興味本位で人間を深海に連れてくるなど、そんな浅慮なことをするわけがない」

「ただの興味本位だと思うけど」


 蕩けるような表情を浮かべる美女には悪いが、アルもセノラと同意見である。ほんの短い間しか会話をしていないが、べにという聖人の行動原理は、面白いか、面白くないか、その一点だと思った。

 セノラはアルを一瞥する。アルはセノラが何を言いたいのか分かった気がした。

 美女が長々とべにの素晴らしさについて語っている間、セノラもアルも一言も口を開かなかった。数十分ほど経った頃だろうか。やっと口を閉じた美女は軽く咳払いをした後ベッドに近づく。切れ長の鋭い瞳の中にアルの顔が映った。


「私は竜牙(りゅうが)蒼滴(あおしずく)。ここまで語れば、あなたもべに様の素晴らしさについて理解出来ただろう。私たちはきっと同士になれる。さあ、名を名乗るといい」

「…アル・デッダーっす」


 セノラに倣って小声で返答しながらアルは思った。絶対に同士にはなれない、と。



 セノラの話によると、キララは、今にも戦闘を始めそうなべにとポニーを止めに行ったらしい。巨大な鯨であるポニーと一戦交えるのは面白そうだ、とべにが声高々に叫んだそうだ。

 アルの予想通り、ここまで連れてきてくれたのはポニーらしい。彼は命の恩人だと、アルは心中でポニーに合掌した。

 アルの目が覚めたことにより、一同は客間に移動することになった。

 以前キララが案内してくれたが、やはり天井も壁も装飾品も、この洋館を彩る何もかもが美しい。セノラの背を追いながら、アルは忙しなく視線を動かした。

 その最中、不意にアルの耳に柔らかい音色が届く。

 ゆっくりと侵食していくように、穏やかで優しい音が頭に響く。

 それは、初めて聞く音。

 あまりにも美しいその音色に、アルの心臓は震えた。

 音の出どころを探そうと、辺りを見回す。

 視界に入る場所にはいないようだが、よく耳を澄ますと、その音色はどうやら屋敷の奥から聞こえているようだ。

 引き寄せられるように、アルの足はその音の出どころへと向かう。

 廊下を真っ直ぐ進み、広間に出る。その広間を右に曲がると、再びまっすぐ進む。段々と、音色が近く大きくなってきた。

 廊下を出ると、再び広間。しかし、先程の広間とは違い、そこには大きな階段があった。その階段の踊り場で誰かが小刻みに揺れている。まるで風になびく花のように、とても楽しそうに揺れていた。白銀の髪、純白の衣服、瞳は閉じられていて色は分からないが、恐ろしいほど美しい顔立ち。アルは無意識に「羽空様…」と名を呟いた。

 彼の手には銀色の細い筒のようなものが握られている。音はどうやらそこから出ているようだ。

 アルはその銀色の筒に見覚えがあった。

 惨劇のあの夜、羽空が使っていた武器。それによく似ている。

 アルはふらふらとした足取りでゆっくりと羽空に近づいた。

 先程まで激しかった音色が段々と落ちついていく。歌に例えるならば、サビが終わり、終盤に近づいているのだろう。

 音色を最後まで聞き終えたアルは、音が止んだ瞬間、大きく拍手をした。

 羽空が驚いたように目を見開く。

 アルは拍手したまま破顔すると、飛び跳ねるように階段を駆け上がった。


「羽空様!すげえ綺麗な音色でした!もしかして、それが楽器とかいうやつですか⁉でも、羽空様、それ得物なんじゃ——…」


 最後まで言い切る前に、アルは羽空の姿を見て口を閉じた。

 白銀の髪、宝石のような薄紫の瞳。しかし、どこか、違う。

 よく見ると、羽空は髪を結っていた。衣服は所々同じだが、デザインが別物だ。そしてなにより、眼前の羽空が身にまとっているのはスカートである。

 アルは呆けた顔で首を傾げる。その表情が面白かったのか、眼前の羽空は控えめに笑った。


「もしかして、あなたがアルくん?」


 羽空が口を開いた。しかし、その声帯から出た声はいつもとは似ても似つかない。少女特有の高く愛らしい声だった。

 アルの脳裏にキララの声が流れる。

 《絶唱》のメンバー、まだ会ったことがない、羽空の双子の妹——。

 点と点が繋がったアルは、目を見開いて口角をあげた。


「もしかして海愛(のあ)様っすか⁉」

「アール―?」


 質問に海愛が答える前に、アルの肩に何者かの手が置かれる。

 アルを呼ぶその声は低く、怒りが滲み出ていた。

 壊れた機械のように、アルはゆっくりと背後を振り返る。

 そこに立っていたのは、セノラだった。


「何やってるのかな?」


 セノラは笑顔だが、額に欠陥が浮き出ている。

 おそらく、いなくなったアルを探しにきてくれたのだろう。

 アルは口元を引きつらせながら「…すんません」と小さく謝罪した。

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