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染める紅

 聖人様を祀る会の開催まで、のこり二週間。

 その間アルは、聖人へ捧げる供物について、昼夜問わず熟考していた。

 しかし、幾ら考えようとも良い案は浮かばない。出会い頭に島人たちに意見を聞いてみたり、キララにさり気なく質問を投げかけたりしたが、なんの収穫も得られなかった。

 そして今日も一日が過ぎる。

 重くなる瞼に逆らえずに目を閉じながら、今日も何一つ思い浮かばなかったと、アルは顔をしかめた。



 ごぽり。こもったような水の音。

 身体の自由が効かず、ただ海の底へと落ちてゆく。

 身体は動かないが、思考はクリアだ。

 これは夢だ。

 アルが幾度となく見る、海へと沈んでゆく夢。

 そして、誰かの歌声が海の中に響く。悲しみを孕んだ、とても美しい声で。


 鼻孔を擽るいい匂いに、アルはゆっくりと目を開けた。

 目だけを動かして部屋の中を見渡すと、キッチンに人影らしきものが見える。白髪で低身長のオースとは違い、その人影は黒髪で背が高い。慣れた手つきで料理をするその男は、アルの視線に気づいたのかゆっくりと振り返った。


「おお、アル。おはよう」

「…キララ様?」


 振り返った男の顔を見た瞬間、アルは布団を蹴って飛び起きた。

 オースの不在時にキララが訪ねてくることは初めてではない。しかし、このような早朝に現れるのは初めてだった。

 それが声に出ていたのか、キララは僅かに目を見開くと「早朝?いいや、今は昼だぜ」首を横に振った。


「アルのじいちゃんは今朝方大陸に行ったよ。にしても、アル。疲れてんのか?昼まで寝てるなんて珍しいじゃねえか」

「疲れて…るわけではねえっすけど、普段使わない頭を使い過ぎて、脳みそは疲れてるかも…?」

「ははは!使わない頭って!何か悩んでんのか?恋の悩みってんなら、オレじゃ力になれねえかもしんねえけど」


 快活に笑うキララに、アルは曖昧な表情で首を横に振る。

 恋の悩み——もしそれが悩みの種だったなら、どれほど良かっただろう。

 アルは蹴飛ばしてしまった布団を片しながら、静かに溜息をついた。

 その間に、キララはキッチンから次々と料理を運んできた。アルの鼻孔を刺激した甘美な匂いはこれだったらしい。アルが瞳を輝かせると、キララは「腹減ってるだろ?食ってくれ」と料理を指さした。

 湯気の出る色とりどりの料理たち。

 香ばしい匂いのパン、真っ赤な色のスープ、見たことがない野菜のサラダ、とろりとした白色のデザート。アルは唾を飲み込むと、スプーンを使ってスープを口に入れた。

 実に美味。酸味と甘みの割合が丁度よく、身体の内側から温まるようだった。じゃかいも、キャベツ、他にも沢山の野菜がスープの中にごろりと入っている。

 無我夢中でスープを口の中にかっ込んでいると、キララが満足そうに口角を上げた。


「気に入ってくれて良かったぜ」

「…す、すんません、キララ様を無視して飯食っちまって…。キララ様も一緒に食べませんか?」


 子供のように食事に夢中になってしまった。アルは羞恥で頬を染めながら、パンののった皿を手のひらで押し出した。しかし、キララは笑顔で首を横に振る。


「いや、オレたちに飯は必要ねえんだ。胃も腸もねえし、空腹っていう概念もない。まあ、たまに嗜好品として食事したりもするけどな」

「へ、え…」


 キララの言葉に頷きながらアルは目を見開いた。

 胃も腸もない?

 外見は人間と似通っているが、中身は本当に、まるっきり、別の生物なのだとアルは再認識した。

 その事実にほんの少し寂しさを覚えてしまう。アルはそれを払拭するように「でも、キララ様。料理上手なんすね!」と努めて明るく笑った。


「ありがとな。無限の時間を生きるオレたちにとって、娯楽っていうのは大事なものでさ。それがオレの場合は料理ってわけだ。食材探しとか、下拵えとか、結構時間かかるし、一から何かを作るのは楽しいぜ」

「確かに、料理って時間をかければかけるほど美味しくなりますよね」

「そう!作った料理は《絶唱》の仲間たちが食ってくれるし、無駄にはなんねえからな。ちなみに、羽空の娯楽は楽器演奏なんだぜ。機会があったら聞かせてもらえよ。あいつ、どんな楽器でも演奏できっから」

「楽器…。じいちゃんから聞いたことあるっす。色んな音が出る道具だって」

「ああ。オレの武器も側は楽器だから見せ——…っと、その前に、スープのお代わりいるか?」


 アルの手の中にある空になった器。キララはその器を見ながら立ち上がった。オースの分を考慮して作ったのだ。それなりに量はある。

 キララはキッチンに向かうと、鍋ごとスープを持っていこうと取っ手を掴んだ。

 そして、僅かに目を見開く。

 鍋が軽い。まるで、空の鍋を持ち上げているかのようだ。咄嗟に蓋を開けると、先程まで大量にあったスープがごっそりと消えている。

 それだけではない。キララが先程作ったパンも、サラダもデザートも、全てキッチンから消えていた。


「あれ…?パンが…」


 異常事態はアルの皿にまで起こっていた。

 アルが食事を続けようと皿に視線を落とすと、パンがまるごと消えていた。無意識のうちに食べてしまったのだろうか。そう思ったが、今の今まで視界に入っていたサラダに、何者かが手を伸ばしたのをアルは見た。そして、サラダは一瞬で消える。

 その手の先にゆっくりと視線を向けると、アルと同じ食卓に幼女が座っていることに気がついた。紅色の長い髪。団子状に纏められた髪には、不思議な形をした棒状の何かが刺さっている。舌なめずりをしたその幼女は「ふむ。相変わらすいい腕をしているな、キララ」と妖艶に微笑んだ。

 その声に振り返ったキララが目を見開く。

 幼女が発声する今の今まで彼女の存在に、アルはおろか、キララまで気づかなかった。

 明らかに只者ではない。アルは幼女の唇の端に浮かぶエンボスを見ながら唾を飲み込んだ。キララとは形の違うエンボス——、剣の形をしたそのエンボスは、幼女が他大陸の聖人であることを示唆していた。

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