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宇宙の中の小さな塵

 この世界には六つの大陸があり、それぞれを聖人が監視している。


絶唱(ぜっしょう)》A1大陸を担当する聖人のチーム。リーダーは美鏡羽空。

聖剣(せいけん)》A4大陸を担当する聖人のチーム。リーダーは(くれない)べに。《聖剣》と《絶唱》は同盟を組んでおり、聖人同士の仲がいい。

火車(ひぐるま)》A5大陸を担当する聖人のチーム。メンバーは全員男。噂によると人間を飼っているらしい。

花形(はながた)》E6大陸を担当する聖人のチーム。メンバーは全員女。三姉妹。

愛猫(あいびょう)》N2大陸を担当する聖人のチーム。詳細不明。噂によると異形の姿をしているらしい。

皇帝(こうてい)》S3大陸を担当する聖人のチーム。人間に激しい怨恨を持っており、人間を滅ぼすことを目標としている。


 所属する聖人のチームには固有の紋章があり、身体の一部にその紋章が刻まれている。この紋章を聖人たちはエンボスと呼んでいる。


「簡単な説明はこんな感じだな。アル、分からないことはねえか?」

「…いや、あの、オレにこんな話してもいいんすか…?」

「羽空がいいって言うんだからいいんだろ」


 大袈裟だなあと笑うキララ。アルは大袈裟なもんかと思ったが、何も言わない周りの聖人たちを見て、大袈裟なのか…?と眉尻を下げた。

 話の中に出てきたエンボス。おそらくこれがムラサキが言っていた聖人の身体に浮き出ている刺青——なのだろう。

 よく見るとカノンの左側の額には《絶唱》のエンボスが見え隠れしている。キララと並ぶとちょうど対照的な位置になっているようだ。色は金で、楽譜のような形をしている。

 セノラのエンボスは一見すると分からないが、一体どこにあるのだろう。そう思い、アルはセノラを凝視する。すると、彼は不快そうな顔を隠しもせずにアルを睨みつけた。


「なに?」

「いや、あの…すんません…」

「セノラ、そんなに警戒しなくてもアルは悪いやつじゃない。もしそうならそもそも屋敷には連れてこねえよ」

「…わかってる」


 セノラは未だ不満そうな顔でアルを見る。一瞬だけ視線が交わったが、セノラはすぐに視線を逸らして斜め下を見つめながら小さな声で口を開いた。


「ボクはセノラ。セノラ・ラディアス。羽空とキララはあなたのことを信用してるみたいだけど、ボクはあなたを信用しないし、疑う。ボクの大切な仲間に危害を加えたら許さないから」

「うっす!肝に銘じておきます!」


 セノラの言葉にアルは笑顔で返事をする。その笑顔は屈託ない純粋なものでセノラは目を見開いた。セノラの言っていることは正論である。けれど、言われて不快に思わないはずがない。なんの罪も犯していない無垢な人間ほど、疑われれば怒りを露にする。セノラはアルもそうなるだろうと思っていたのだが、予想に反して彼は笑っていた。


「…変な人間」

「な?悪いやつじゃないだろ?」

「知らない」


 セノラはキララから顔を背けて菓子を頬張る。その様子を横目に、未だテーブルの上のものに手をつけていないアルに、キララは食事をするよう促した。


「アル。どうした?嫌いなものでもあったか?」

「あ、いえ…えっと…」


 煮え切らない返事をするアルにキララは首を傾げる。その様子を見ていた羽空は「ああ、」と何かに気づいたように声を漏らした。


「地上にはない食べ物なんじゃないの?」

「え、そうなのか?アル」


 問われた言葉にアルは苦笑しながら頷いた。

 テーブルの上には美しい絵柄のカップ。その中には紅色の温かい飲み物。湯気と共に芳香な香りが漂い、アルの鼻孔を擽った。その隣には同じく美しい絵柄の皿。その上には三角の形をした真っ白な食べ物がのっている。とても美しい形をしており、横から見ると層になっていた。上には宝石のような真っ赤な果実。あまり見たことはないが、苺という果物に似ていた。飲食物と共に出された銀色の食器で食べ物を突くと、ふわふわと弾力がある。食べ物から香る甘い匂いはとても食欲をそそるが、未知の食べ物を口に入れるのは勇気が必要だった。

 期待に瞳を輝かせるキララを見て、アルはゆっくりと食器で菓子を掬い取る。

 そして、おそるおそる口の中に入れると、世界が一変した。

 包み込むような優しい甘さ。口の中で溶けるほわりとした感触。口と鼻いっぱいに広がる上品な香り、その全てが脳を激しく刺激した。一口、もう一口、と菓子を口に運ぶ。今までアルが食べてきた菓子はどれも美味しいものだったが、この菓子の美味しさはそれらを優に超える。気づけば、皿の上にあった菓子は全てアルの腹の中に消えていた。


「アル、ケーキどうだった?」

「…美味かったっす…こんな美味いもの初めて食べました…」


 あまりにも美味な菓子を食べたためか、アルの全身の力が抜ける。ぐったりとソファの背もたれに身体を預けると、自然と口角が上がった。その表情はとても幸福そうだ。ケーキの余韻に浸っているのか笑顔のままぐったりしているアルを見て、カノンはアルから距離を取った。


「…まるで、天国から天使が迎えにでもきたような顔だね…」


 言いながら、セノラもアルから距離を取る。羽空は何とも思っていないのか、しれっとした顔でケーキを咀嚼している。その場にいる人物の中で、キララだけが満面の笑みでアルを見つめていた。


「ところで、」


 フォークをテーブルに置いた羽空が足を組みなおす。

 その瞬間、場の空気が変わった。先程までの和やかな雰囲気ではなく、ほんの少しピリッとした空気がその場を包む。一体何が始まるのかと瞳を瞬かせると、羽空はまっすぐアルを見つめた。


「お前、どうやってここに来たの?」


 その問いに疑問符はついているものの、おそらくこれは質問ではない。

アルはごくりと唾を呑みこんだ。羽空は目を逸らさない。

 この問いは質問ではなく命令だ。答えないという選択肢はない。そして、羽空の口調からアルが今何かを疑われていることだけは分かった。キララも、カノンも、セノラも、黙ってアルを見つめる。先程まで感じていたケーキの幸福感が一瞬にして消え去った。緊張がアルの身体を駆け巡る。けれど、恐れることはない。アルは彼らを害そうとしているわけではないし、彼らが問答無用でアルを害することもない。なぜならば、羽空とキララはアルとヒスイ、A1大陸の人間たちを助けてくれた心根の優しい人物なのだから。

 アルは一度深呼吸をして、ありのままを羽空へ告げた。


「ポニーがオレをここに連れてきてくれた、んだと思います」

「ポニー?」

「鯨っす。今、この建物の外を泳いでる…」

「は、お前鯨にんな名前つけてんのかよ?馬じゃねえか」

「いいじゃないっすか!」

「まあ、名前はどうでもいいけど。それで?あの鯨はなんなの?」

「何って言われても、オレも分かんねえっす…。この間、船漕いで家に帰ろうとしてたら急に海から現れて…じいちゃんが言うにはオレに懐いてるって。なぜかオレの家から離れようとしないんで雑談とかしてました…」

「ふうん。嘘はついてないみたいだね」


 アルの返答を聞いた羽空は満足げに頷いて飲み物に口をつける。その仕草さえも本当に美しい。そして、飲み物がとても美味しそうである。アルも見様見真似でカップを手に取り飲み物に口をつける。芳醇な香りと上品な苦みを持ったその飲み物は、じんわりと心が温かくなるような味だった。


「羽空。その鯨、ドームをすり抜けてこいつをここまで連れてきたらしいぜ」

「そうだろうね。ドームの外側で人間を捨てたりしたら、深海の圧に耐えられずその人間は地獄行きだよ」

「人間が耐えられる水圧ってどれくらいなの?」

「大体十メートル前後かな」

「随分短いな」

「人間は脆い生き物だからね」


 羽空は再び足を組みなおす。カノンは勢いよく紅茶をがぶ飲みし、セノラは猫のようにちびちびと紅茶を飲み進めた。


「あの鯨だけど、さっきキララと調べに行ったよ。そうしたら、面白いことが分かった」


 先刻。私有地に人間が入り込んだことに気づいた羽空は、自室を出て屋敷の外に向かった。羽空はこの洋館の番人のようなものだ。この洋館で起こった出来事であれば手に取るようにわかる。入り込んだ人間とセノラが衝突したことも、それをキララがとめたことも、入り込んだ人間が先日地上で出会ったアルという人物だということも、アルを連れてきた何者かが鯨であることも。

 羽空が屋敷の外に出ると、キララが真上を見ながら難しい顔をしていた。そんなキララの視線を辿ると、そこには悠々自適に深海を泳ぐ鯨の姿がある。その鯨はアルの居場所を気にしているのか、ドームの外を泳ぎながら屋敷の隅から隅までじっくりと目を凝らしているようだった。

 この新時代の海には数多の海洋生物が存在する。

 その多くは、旧時代から進化を遂げ外見や内面に著しい変異を起こした個体がほとんどだが、そうではない個体ももちろん存在する。その中でも鯨という生物は、海の王者といわれるほどに身体が大きく屈強になった。旧時代よりも何倍も大きな身体。そして、広く深くなった海でも生きていけるよう、中身も急速に変化した。

 こうして、深海でも自由に泳ぎ回り、目を凝らせるほどに。

 しかし、この鯨は他の鯨の個体とは違う、何か歪な気配を感じる。

 鯨は羽空の視線に気づき、僅かに当惑したような声を漏らす。しかし、羽空は素知らぬ顔で鯨の観察を続けた。

 そうして、気づく。その鯨から僅かに聖人の痕跡を感じることに。


「あ?つまりどういうことだよ」


 羽空の話を聞き終わったカノンが苛立たし気に言葉を放つ。フォークで皿をカンカンと叩きながら、彼女は眉間に皺を寄せた。


「聖人が鯨に変身してる、とか?」


 セノラが首を傾げる。しかし、羽空は首を振ってそれを否定した。


「もしそうだったら面白いけどね。あの鯨は多分、聖人から何らかの力を分け与えられたんだと思うよ」

「んなことして、何のメリットがあんだよ。ペットにでもしたかったのかあ?」

「そんなのオレに聞かれても分かるわけないでしょ。鯨に痕跡を残した聖人が生きているなら聞くことも可能だけど…現存している聖人があの鯨に何かをしたのか、それとも…」

「既に故人の聖人があの鯨に何かをしたのか、か」


 羽空の言葉を引き継いだキララが神妙な顔をして瞼を伏せる。それに羽空が頷くと、カノンとセノラも暗い顔をした。

 アルは首を傾げる。

 故人の聖人とはどういうことだろう。聖人に寿命はないと思っていたが、人間と同様そういうものがあるのだろうか。疑問に思うものの、このどんよりとした空気の中でそれを聞く勇気はアルにはなかった。

 言葉を発する勇気はなかったので、代わりに紅茶を啜る。黙って話を聞いていたため紅茶は少々冷めていたが、全く気にならなかった。


「でも…」


 紅茶をがぶ飲みするアルを見ながら、セノラは訝し気に言葉を発した。その声色からは未だにアルに対する不信感が読み取れる。


「その鯨が聖人から何かしらの力をもらったことはいいとして、どうしてこの人間をここまで連れてきたの?ボクたちが深海に住んでることを知ってるのはどうして?」

「さあ?今は何とも言えない。あの鯨を捕まえて隅々まで調べればわかるかもしれないけど、今のところ悪意はないみたいだしわざわざ争うこともないでしょ?」


 羽空はそう言って優雅に微笑んだ。

 その微笑みには自信と余裕が含まれており、セノラは己の狭量さを少しだけ恥じた。


「セノラ、お前がオレたちを大切に思ってくれていることは分かってるよ。大切に思うが故に人一倍警戒してしまうってことも。別に恥じることじゃない」

「…うん」

「そうそう。寧ろセノラのいいとこだぜ。オレや海愛は一度心を許したら相手を疑わずに信じちまうからなあ…。カノンは仲間が白だと言ったら白、って感じだし。羽喰と海に至っては、敵対したらぶっ潰せばいい、って言うし。だから、セノラが警戒してくれるのはありがたいよ」

「そうっすよ!セノラ様!オレのことどんどん警戒してください!」

「…あなたが言うんだ、それ」


 セノラは呆れたように溜息をついた。キララはアルの言葉が面白かったのか、彼の背中をバシバシと叩く。アルはただ、自分を警戒することでセノラが心休まるならそれが最善だろうと思っただけなのだが。

 セノラはまっすぐにアルを見る。その視線に気づいたアルは明るい笑顔を浮かべた。


「…はあ。なんか警戒する必要もなさそう。いや、警戒はするけど。でも、とりあえずあなたが怪しい人間じゃないっていうのは、信じるよ。さっきは殺そうとしてごめんなさい」

「あ、いえ…!あの、はい…」


 やはり先ほど、セノラはアルを完全排除するつもりだったらしい。アルは引きつった笑顔を浮かべて両手をぶんぶんと横に振った。

 その場の雰囲気は段々と和やかなものになり、徐々に談笑が増えていく。アルはその会話に首を動かしつつ、時々口も動かした。

 ふと思う。聖人同士の会話はもっと厳かなものだと思っていたが、実際は自分がヒスイたちと会話をする時と同じように和やかで暖かいものだ、と。こうしてみると、彼らは伝説上の人物などではなく、今この星に生きている存在なのだと気づかされる。

 もっと彼らを知りたい。知ることができればいい、と思う。

 アルは瞼を伏せて瞑目する。

 次はどんな会話をしようか。どんな話題を持ち出そうか。

 弾む心のままに口を開こうとして、そうしてアルは唐突に思い出した。


「あーーーーーーーーーーっ!」


 瞬間、口から転び出る声。その場のアル以外の面々は驚いたようにアルを見た。


「どうした、アル。急に叫んだりして。紅茶のお代わりか?」

「…どう考えても違えだろ」


 ポットを持ち上げるキララを、カノンが片手で制する。

 アルはふらふらと立ち上がり、勢いよく手で顔を覆った。


「オレ、どうしよう…人生最大の危機かもしれません…!」


 情けない表情を浮かべたアルが顔をあげる。彼の口から出てきた言葉は穏やかなものではなく、聖人たちは顔を見合わせると眉尻を吊り上げた。

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