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深海の洋館

 冷たくて、重い。

 自分の口から漏れる気泡を見つめながら、アルはそう思った。

 気泡がゆっくりと太陽の光に呑み込まれてゆく。

 深海に沈んでゆく最中、誰かの歌声が聞こえた気がした。



 アルは目を開けた。

 まず視界に飛び込んできたのは光。頭痛と吐き気で焦点は合わないが、明るいことだけは理解できた。次いで、自分の身体から飛び出す激しい咳。未だかつてこれほど咳き込んだ経験はない。それほどまでに激しい咳が口から何度も飛び出した。生理的な涙が地面に零れ落ちる。地面は白く柔らかい砂だった。

 再び目を閉じ、咳が鎮まるのを待つ。暫くすると段々と咳は治まり、頭痛や吐き気も消えた。冷や汗が全身を流れて不快だったが、それ以上に自分の身体を濡らす得体の知れない液体が不快だった。

 液体はどろりとした感触で、いい匂いとは言えない。

 アルは僅かに痙攣する手足に力を入れ、仰向けに身体を横たえた。


「う、わ!」


 そして、驚愕の声を漏らす。

 アルの視界に映ったのは、輝かしい星空と美しい建物だった。

 純白の外壁にマリンブルーの屋根。窓がいくつもあり、その全てに半透明な絵が描かれている。外壁にはところどころ大小様々な白い花が咲いており、建物は平屋ではなく二階建てだった。建物の真正面には大きな扉。建物の周りには白以外の淡い色の花が咲いている。よく見ると、建物と庭を覆うように透明なドームが張られていた。

 あまりにも幻想的な光景にアルの瞳は釘付けになる。

 ドームの外側は真っ暗闇。しかし、その中に幾つもの星が浮かんでいた。その星は優しい白色を放ち、ゆらゆらと揺れている。

 目を凝らすと、その暗闇の中に巨大な何かが垣間見えた。星に照らされてその輪郭が僅かに見て取れる。大きな体躯に大きな瞳。その生物は目覚めたアルの姿を見て嬉しそうに鳴いた。


「ポニー…?」


 呟いて、目を見開く。

 星空を優雅に飛ぶ鯨は、確かにポニーだった。

 ポニーはアルのすぐ側までやってくると、ドームを壊さないように柔らかくその身を寄せた。まるでアルに頬ずりしているような、そんな動作だ。

 混乱する頭で、アルは必死に頭を働かせる。

 

 オレの名前はアル・デッダー。

 じいちゃんの名前はオース・デッダー。

 親友の名前はヒスイ、サンゴ、ホタル、ムラサキ。

 誕生日は七月二十日。

 好きな食べ物はメレンゲクッキー。


 心中で呟きながら、アルは再度深呼吸をする。

 自分のことはきちんと覚えている。問題ない。

 次に考えるべきは、ここはどこなのか、だ。

 空を優雅に飛ぶポニーを見つめながら、アルは先程までの状況を思い出した。

 行商人の船を見ていたこと。ポニーに聖人の存在について質問したこと。その直後、突如暗闇に呑み込まれたこと。そして、俄かには信じられないが、ポニーが夜空を飛んでいること。それらを加味すると、ここは——…。


「…人間?」


 思考を飛ばすアルの背後から、突如声が聞こえた。

 びくりと肩を揺らすと、背後の人物が警戒したように一歩下がる。一瞬にして場の空気が凍った。心なしか気温が下がったような感覚だ。アルはごくりと唾を呑む。

 誰かがいる。

 建物があり花も咲いているのだから、誰かしらが住んでいることは明白だ。しかし、その“誰か”は確実に人間ではないだろう。なぜならば、アルの仮定が正しければここはおそらく海の中。それも、太陽の光が届かないほど深い場所だ。こんな場所に人間が住めるわけがない。このような深海に住める生き物がいるとしたらそれは——。

 アルは震える身体をそのままに、もう一度深呼吸をした。

 惨劇の際に羽空とキララが言っていた。聖人は一枚岩ではない。背後の声の人物が聖人だとするのなら、彼は果たして人間を害する側か、否か。


「あ、あ、の…」


 言葉の端々を震わせながら、アルは上体を起こす。

 振り返れば、二度と地上には帰れない。

 それほどの気迫と圧を感じた。

 しかし、それでも、意を決して口を開く。

 背後の人物は聞こえていないのか聞いていないのか返事はない。

 アルの耳に届いたのは、こちらに近づく足音と、甲高いキィという音だけ。初めて聞く音だ。けれども、今の自分にとってよくない音だと、瞬間的にそう思った。

 背後の人物が動く。それと同時に風を切る音。何か大きなものがアルへと振り下ろされた音だった。


「っ…!」


 たまらず目を閉じる。衝撃に耐えるために拳を強く握った。

その時。

 ギャアアアアア!と、大きく激しい音がアルと背後の人物を襲った。アルはその激しい音に耳を抑えその場に蹲る。対して、背後の人物は少しよろけただけで、次の瞬間には鋭い眼差しをポニーへと向けていた。


「この鯨…!」


 その時、アルは初めて背後の人物の顔を見た。プラチナブロンドの髪、宝石のような淡い緑色の瞳、顔立ちは非常に整っており少女のように可愛らしい。けれども、声質から男性のようだ。長い髪はサイドで纏め、服装は漆黒。そして、持っている武器も漆黒だった。

 アルはぞっとする。

 まさか、あの鎌のような武器で切り裂くつもりだった…?


「ま、待って…!待ってください!すみません!ここにきたのは偶然で…!迷惑なら帰ります!本当にすみません…!」


 身体を反転させ、一歩、また一歩と後退しながら謝罪する。アルの背後、ドームの外側で鯨のポニーがプラチナブロンドの少年を威嚇している。少年は怯えるアルと威嚇するポニーを交互に見て、その瞳を更に鋭く尖らせた。


「何言ってるの?帰さないよ。あなたがこの場所にやってこれたのは脅威だ。そして脅威は遠ざけるよりも排除したほうがいい。あなただってそうするでしょう?」


 少年が武器を構える。その瞳には闘志が宿っており戦いは避けられそうにない。けれども、アルが戦ったとて少年に勝てる自身は毛ほどもなかった。

恐怖と緊張に包まれながら、アルは背後のポニーを振り返る。

なぜ彼はこの場所にアルを連れてきたのだろう。この鯨は一体何者なんだ。


「考え事?ボク相手に余裕だね」

「え、いや、あのぉ!」

「あなたも後ろの鯨も逃がさない」

「頼むから!話聞いてください!」


 少年が地面を蹴る。彼は軽々と武器を振り回すと、それをアルの首めがけて真っ直ぐ振り下ろした。


「やめろ、セノラ!」


 ピタリ。

 少年の武器がアルの首すれすれで制止する。少年は不機嫌そうに声の主へと振り返り、アルは膝を折ってその場に蹲った。冷や汗が全身からドッと吹き出る。周りの音よりも自身の心臓の音がうるさい。アルが何度目か分からない深呼吸をすると、ポニーが心配そうにドームをつついているのが見えた。


「どうして止めるの」

「話くらい聞いてやれよ。問答無用で始末することないだろ?それじゃ《皇帝》の連中と同じだ」

「あなたは少しお人よし過ぎるよ」

「はいはい。お人よしだよ、オレは」


 プラチナブロンドの少年、セノラは大きな溜息をつく。それを見ながら彼を呼び止めたハンサムな少年は快活に笑った。


「さて、んじゃ、少年。どうしてここにいるのか——って、お前…」

「キ、キララ様ああああああああ!」


 アルを見て目を見開くハンサムな少年——もといキララ。アルは見知った顔の存在と、今しがた自分を助けてくれた事実に、半泣きの状態で彼に飛びついた。

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