表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/24

無言のラピスラズリ

 翌日も、その翌日も、鯨のポニーはアルの側を離れなかった。

 それが一週間も続けば、愛着というものが沸いてくる。

 朝一番にカーテンを開けたアルは、いつもと同じ白色の壁を見て溜息をついた。


「ポニー、お前マジでどこから来たんだよ」


 製塩をしながらアルはポニーに問いかける。

 問われた鯨は少し困ったように身体を揺らした後、海中に潜って泡で遊び始めた。

 この一週間のアルの考察。

 おそらく、この鯨は人語を理解できる。しかし、それに対して返答はできない。当たり前のことだが、鯨は人間の言葉を話せないからだ。そして、アル自身も鯨の言葉を理解できない。問いかけが無意味なことは分かっていたが、それでも質問せざるを得なかった。

 ポニーは人間に慣れ過ぎている。

 通常の海洋生物は人間に対して関心をもたない。過去、海洋生物が原因で人間が死に至ることは多々あった。しかし、海洋生物にとって人間とは、気にかける価値もないほど小さきものであり、彼らは一様に人間を襲うつもりなど毛頭ない。旧時代風に例えるのならば、象と蟻の関係だ。象は歩行する際に足元の蟻に意識など向けない。例え、踏み殺してしまったとしても気づいてすらいない。海洋生物にとっての人間とは、そういった生き物だ。

 故に、目の前のこの鯨——ポニーが、これほど人間に慣れているのは珍しいことだった。いや、珍しいだけでは片づけられないほどに異常だ。

 異常だというのならば、海洋生物相手に心を許しかけているアル自身も、おそろしく異常なのだけれど。

 浮上したポニーがウミネコと戯れる姿を見ながら、アルは再度溜息をついた。

 ふと、アルは大陸の方向へ視線を移す。

 目を凝らさなければ分からないが、行商人の船がA1大陸へ向かっているのが見えた。

 大陸から大陸へ物々交換を行う行商人。

 その姿を見るのは初めてだったが、普段アルが使用する船とは大きさが桁違いだ。興味津々という表情で船を見つめていると、ポニーが少しだけ近くに寄ってきた。

 

「ポニー、あれは行商人の船だぞ。見たことあるか?」


 問いかけに対する返答はないが、ポニーは黙ってアルの言葉に耳を澄ませていた。


「大陸間を渡るためにはあんな大きな船に乗らないといけねえんだな。どうやって操縦すんだろ?オールなんてねえし。そもそも、あんなでけえ船、オールだけじゃ動かせねえか。

 ポニー、お前はすげえでけえから長生きなんだよな?他の大陸は見たことあるか?A1大陸と似てる?それとも全然違えのかな。

 いつか、いつかきっと、行って見てえなあ」


 輝くアルの瞳を見て、ポニーは身体を揺らす。

 水飛沫でアルの身体が濡れた。

 いつもならポニーに対して文句を言うが、行商人の船に夢中になっているアルは濡れたことを左程気にはしなかった。

 ふと、アルは先程の自分の発言を反芻する。

 ポニーは長生きで、他の大陸にも行ったことがあるかもしれない。それならば、もしかして——。

 アルは船から視線を移して、ポニーの顔を見た。


「なあ、ポニー。お前、聖人様って知ってる?」


 問いかけに返答はない。しかし、ポニーは目を逸らさなかった。

 あの惨劇以降、アルは羽空とキララとの再会を願ってきた。しかし、彼らとの再会は叶わず、どこにいるかの手がかりすらも掴めない。

 アルの行動できる範囲は限られている。

 しかし、アルよりもずっと長生きで、アルよりもずっとこの世界を知っている彼ならば、聖人について何かしら知っているかもしれない。

 期待を滲ませるアルの瞳が、鯨の瞳の中に映る。

 ポニーはそんなアルの眼差しを受けて、ゆっくりゆっくりと彼から距離を取った。そして、静かに海中に潜る。

 アルは目を見開きながら、ポニーが潜った場所を凝視した。

 しかし、ポニーは浮上してこない。


「…知ってるわけ、ねえか」


 眉尻を下げ、吐くように呟く。

 アルの期待の眼差しに耐えられなくなり、海に戻っていったのだろう。溜息をつきながら俯くと、ウミネコが慰めるようにアルの頭にのった。


——その時。


 ざぶん、と水の音。アルが顔を上げると、海水が一瞬にして盛り上がり巨大な山が眼前に現れた。瞬きをすると、次に見えたのは暗闇。そして、緩く締められるような圧迫感。

 何が起こったのか分からず、思考が止まる。

 咄嗟に叫び声をあげると、咎めるように内側からポニーの鳴き声が響いた。

 海水と生臭い匂いが鼻孔を充満する。

 アルは口と鼻を手で覆いながら、昔祖父から聞いた話を思い出した。


 ——昔、本当に昔だが、私は鯨に呑み込まれたことがあってな。ヒゲ鯨だったからすぐに吐き出してくれたが、呑み込まれた時は本当に困惑したよ。暗くて、窮屈で、お世辞にもいい匂いとは言えない空気に包まれた。鯨も吞み込みたくて私を吞み込んだわけではないが、あれは本当に凄まじい体験だったな。ははははは!


 走馬灯のように、祖父の言葉が一言一句リアルに再生される。

 アルは顔を真っ青に染めながら、薄れゆく意識の中で『全然笑いごとじゃねえよ、じいちゃん!』と祖父にツッコミをいれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ