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pony

 翌朝。事態は急変した。

 いつもと同じ時間に目覚めたアルは、いつもと同じように身支度を始める。漁をするにあたって天気は非常に重要だ。カーテンを開け木造の窓を押し開けると、朝一番に天候を確認する。快晴ならばよし。曇りでもよし。。雨天ならば漁は中止。アルの脳裏に真っ青な色が浮かぶ。いつもと同じ、いつも見る景色。窓を開けるとそこは一面の海——…のはずだった。


「は…?」


 アルの視界いっぱいに映ったのは、海ではなく壁だった。

 くすんだ白色のつるりとした壁。上から下まで凝視すると、壁が僅かに動き、横にあった大きな黒い点と目が合った。


「うぎゃああああああ!」


 アルの口からとんでもなく汚い声がまろびでる。

 その声に驚いたのか、大きな瞳の生物は頭ごと海の中に身を沈めた。


「な、なん…え⁉」


 心臓が早鐘をうつ。混乱の最中、口から出てくるのは訳の分からない言葉ばかり。一旦落ち着こうと深呼吸をすると、大きな瞳の生物は再び海から顔を出した。


「うあああああああ!」

「うるさいぞ、アル!」


 オースの声と共に、外から飛んできたハマグリがアルの身体を直撃する。直径40㎝ほどのハマグリの体当たりは、なかなかの衝撃だった。

 海の中からオースが姿を現す。どうやら彼は一足先に漁を行っていたようだ。


「じいちゃん!海洋生物!」

「見れば分かる。鯨だな」

「なんでそんなに冷静なんだよ…」


 服の水を絞りながらオースは鯨を見上げる。鯨は不思議そうにオースを見つめると、やがてゆっくりと瞳に弧を描いた。


「…人懐っこい鯨だな」

「え?なんでわかんの?」


 ハマグリを抱きかかえながらアルがおそるおそると鯨に近づく。そして、ふと昨日の出来事を思い出した。


「…この鯨…」

「知っているのか?」

「昨日見たんだよ。帰り道に急に現れてさ。何もしてこなかったし、すぐに海に帰ったから不思議だとは思ってたんだけど…」


 アルが近づくと、鯨は嬉しそうに身体を揺らした。その反動で海水がアルの膝まで流れてくる。家の中に浸水しないように、アルは咄嗟にドアを閉めた。


「お前には特に懐いているようだな」

「こいつに何かした覚えはねえけど…」


 アルは昨夜の出来事を思い出しながら首を傾げる。

 突然現れたかと思えば、突然去っていた。それが鯨に対する印象だった。


「鯨は基本的に温厚だ。こちらが危害を加えない限り襲ってくることはないだろう。ここから無理に追っ払えば暴れるかもしれんしな」


 オースの言葉に頷いて、アルは再度鯨に視線を向ける。

 昨夜、アルも鯨に対して警戒心はさほど抱かなかった。海に詳しいオースがそういうのであればこの鯨は放置しても大丈夫なのだろう。

 アルと目が合った鯨は爛々と瞳を輝かせて海に潜る。そして、建物を壊さないための配慮なのか、一定の距離を保ちながら家の周りをぐるぐると泳ぎ始めた。



 朝食後、オースはアルを置いて大陸へ物々交換に向かった。

 アルはいつも通り、自らが物々交換へ行くため準備をしていたが、いざ船に乗り込むと鯨が後ろからついてくるのだ。アルが進むと鯨も進み、アルが止まると鯨も止まる。そして、その反動で船の中に海水が何度も浸水した。

 鯨が後をついてくるのはいい。しかし、島人たちは海洋生物に恐怖心を抱いている。島人たちの心に不要な恐怖心やストレスを与えるのはいただけない。

 そんな理由からアルは自宅に取り残され、鯨と留守番をすることになった。

 家で留守番とはいっても、やらなければならないことは沢山ある。

 そのひとつが製塩だ。

 旧時代では様々な機械を使用し製塩を楽に行っていたそうだが、この新時代では製塩は重労働だ。とはいっても、機械が普及する前の、旧時代よりも更に昔の時代に行われていた製塩方法よりはずっと軽労働だ。

 アルは屋根の影に腰をおろしながら、手すりにくくりつけていた紐を引っ張った。紐の先端には燃えるようなどす黒い赤色の石が固定されている。海水から引き上げられたことにより、水蒸気の靄が辺りを覆った。

 この鉱石の名前は、炎柘榴。

 海底火山で入手可能な、危険度レア度共に最高クラスの鉱物である。

 氷水晶と同じく新時代で新しく発見された物質であり、通常温度は二百度ほど。太陽光を吸収することで更に熱が上がる。

 この炎柘榴を使用することで、製塩への時間と手間を格段に短縮できる。

 先端にのみ氷水晶を編み込んだ紐を動かしながら、機敏にしかし丁寧に、炎柘榴を鍋の中に放り込む。

 ふとアルが海に視線を移すと鯨がウミネコと遊んでいるのが見えた。


「鯨…鯨…鯨なあ」


 呟きながら、アルは鯨を凝視する。すると、鯨はその視線に気づいたのか、嬉しそうにアルの側まで泳いできた。もちろん、一定の距離を保って。

 鯨が大きく身体を揺らすと、海水の飛沫がアルの下半身を濡らす。


「あー、もう、やめろってば」


 気だるげにアルがそう言うと、鯨は楽しそうに瞳に弧を描いた。…本当に、人懐こそうな鯨である。いくら温厚だろうと、海洋生物である以上警戒は必要だ。しかし、眼前のこの鯨にはなぜか安心感がある。アルは珊瑚を渡って鯨のすぐ側まで歩み寄ると、鯨の皮膚にそっと触れた。

 見た目とは違い、触れるとザラついていた。


「お前、なんでこんなに人懐こいんだよ。誰かに餌でも貰ったのか?…そもそも鯨って何食うんだっけ」


 アルに触れられて、鯨は楽しそうに笑う。その笑い方に既視感を感じると同時に、不思議と胸の奥が温かくなるような気がした。

 旧時代では動物を家族として迎え入れることがあったらしい。新時代ではそのような家庭は存在しないが、もしも家族として動物を迎え入れるのであれば、こんな感情を抱くのだろうか。


「っと、そうだった。製塩しねえと。お前…うーん、お前お前っていうのもなんかなあ。けど、名前をつけるのは愛着沸きそうだし」


 鯨から一歩離れて、アルは指を顎に添える。鯨はそんなアルに向けて、再び海水を浴びせた。


「だからやめろってば」


 珊瑚を渡って家へと逃げる。鯨はそんなアルを追うように、身体を浮き沈みさせて何度も海水を浴びせた。


「あー!やめろってば!ポニー」


 口から出た言葉に、アルは大きく目を見開く。

 ポニー?今自分はそう言ったのだろうか。

 ポニー…、確か旧時代で馬という意味の単語だったような…。

 アルは頭上に疑問符を浮かべると、鯨と海を交互に見ながら首を傾げた。

 そんなアルとは相反して鯨は勢いよく海に潜ると、身体からぶくぶくと泡を出す。そして、海中で優雅に泳ぎながらアルに見せるように、泡を自由自在に動かし始めた。

 暫くして、鯨はゆっくりと浮上する。その顔は先ほどよりもずっと輝いて見えた。


「…お前、ポニーっていうのか?」


 アルが呟くように問いかけると、鯨は肯定するように尾びれを揺らした。

 …この鯨、名前があったのか。どうしてオレはこの鯨の名前を知ってるんだろう。もしかして、子供の頃見たことがあるとか?

 浮かんできた疑問をそのままに、アルは再度鯨に近づく。

 自分の記憶を辿ってもこの鯨と出会った覚えはないけれど、この肌の感触はなんとなく知っているような気がした。


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