時空を越えて2.5~花開く愛~
前項が逆になっていて慌てました。辻褄があわないと読んでみればファイルの設定に問題がありました。
2.5に両方なっていて前編も後編も書いてなかったんです。副題だけで。これで、ちょっとはシリアスな恋愛物語になったでしょうか。このあとも甘々があるようなのでそれも合わせますね。
「Dr.ワトソン。DR.ホームズ様がお見えです」
幼児に注射をしていたクリストファーはそう呼び出された。
「シャーロック君が?」
同じ医者同士で姉妹の夫同士、気楽に付き合っている。マクロフトや従兄弟のワトソン博士によれば昔はもっと陰鬱で鋭い顔つきの医者だったと聞いている。それが、あのアミィと結婚し、三児のの父となると陽気なマイホームパパとなったらしい。あの総合病院ではシャーロック・ロスが院内で起きたと言う。可哀想に、と思い返しながら、別室へ行くと従兄弟のワトソン博士もいた。
「やぁ!」
ワトソンが気軽に手を挙げる。シャーロックもにこやかだ。その後ろに美人薄命とも言えるような女性が立っていた。
「君の力を借りたくて、ね」
シャーロックが言う。
「この方はエルシーさんという患者さんだ。昔、事件解決をした依頼者の妻だ」
依頼者、というところで女性がびくり、とする。
「私は小児科医、なんだが……」
「別の医者の面も持ってるだろう?」
ワトソンが言う。自分で従兄弟をワトソンというのも何だが。
「ああ。もしや、ガンを患っておられるのですね。エルシーさん。まだ治験の段階が終わっていませんが、効果は確実に出ています。ご希望なら国の補助も降りますから大丈夫ですよ」
何人もの幼児を虜にした笑顔でクリストファーは言う。
「夫のいない今、特別生きる事を考えていませんが、かかりつけ医に優秀な外科医を訪れることを強く勧められて、縁故を頼ってきたのですが、こちらに連れてこられたのです」
悲しげな瞳がゆれていた。
「そうですか。ご主人を亡くされたのですね。それは残念だ。念のため、詳しい検査をしましょう。さ、こちらです」
デバイスで別の小児科医を呼び出すと、クリストファーはエルシーという女性の検査に入った。
頭部の画像には、すさまじい傷跡が映し出されていた。自殺を図ったことがあるようだ。それほどまでに駆り立てた物は何かわからないが、おそらく夫の事と関係してるのだろう。クリストファーはシャーロックと関わって以来、自分にも観察癖があることに気づいて感化されていた。観察眼と洞察力は従兄弟のワトソンより上かもしれない。ワトソンはそんな物、気にも留めていないが。
しらべると小さくでもなく大きいとでもなく、中途半端な大きさの脳腫瘍ができていた。これでは頭痛もひどかったろうに。画像を見ながらクリストファーは思う。検査室の中では技師のエドワード・ジョーンズが夫人を手伝っていた。そのエドワードはなにか夢見がちな視線で夫人を見ている。
こりゃ、厄介な事になるな。
直感的にクリストファーは思う。夫人は夫を一途に思っていると、シャーロックも従兄弟のワトソンも言っていた。困ったロマンスが始まる予感がクリストファーにはしていた。
ほどなくして、エルシーの闘病が始まった。初期なら副作用もさほど起きず、治癒していくのだが、エルシーは未沙並みにしぶとい脳腫瘍との闘いに挑まなければなかった。ところが、だ。当の本人に治そうという気がない。死ねばそれでいい、とでも言うような諦めがあった。それをシャーロックとワトソンが度々訪れては何事か言って帰って行っていた。それでも、エルシーの気持ちは上向きにならなかった。この病は気力も使う。希望を強く持つことが一番なのだ。
そんなある春の午後、技師のエドワードがエルシーの車椅子を押して庭に出て行こうとした。そのエルシーに穏やかな微笑みが浮かんでいた。エドワードは気づいていない。だが、しきりに話かけている。二人は庭園の中に消えた。そこで何があったのかはわからない。ただ、回診に行くとエルシーは今までになく穏やかな表情だった。
「何か、いいことでもありましたか?」
「別に。ただ、陽の光の下に咲いている小さな花をみて嬉しかっただけです」
「それはいい! 何よりも小さな命に触れる事が一番です。力をもらえますから」
にこにことクリストファーが言う。エルシーは不思議そうにそれを見る。
「そんなに大事な事なんですの?」
「ええ。それにエドワードが気にかけているようですね。よく話して心の中を綺麗にしてください。きっと光が見えてきます」
「あ。ええ」
何を言われているのかさっぱりわからない、といった感じでエルシーはクリストファーを見る。
「今にわかます。時期が来れば」
そう言ってクリストファーは鼻歌を歌って別の患者の元へ行く。
そんな主治医を見て、エルシーはいつまでも不思議そうに考え込んでいた。
一方、クリストファーは思った。エドワードをエルシーの補助員しよう。技師の仕事は当分辞めてもらう方がいい。クリストファーは回診の合間に指示を出していた。厄介な恋は希望の恋に変わろうとしていた。人の心とは不思議な物だ。いつでもやり直せる。エルシーにもやり直す時が来たのだ。過去はどうであれ。そうクリストファーは思った。
次の日も、その次の日もエルシーはエドワードと一緒に庭園を散歩していた。その時のエルシーには穏やかな微笑みが浮かんでいることをクリストファーは見ていた。これが、恋、とわかってくれれば話は早いのだが。ただ、不運な恋に終わるとそれは水疱に帰してしまう。少なくともエドワードの側には恋心がある。あの傷跡を見ても尚、恋をした。それだけでエルシーは報われるだろうが、それをまだ彼女は知らない。希望の恋にするにはどうしたものか、とクリストファーはうろうろと診察室を歩いていた。
「やぁ。従兄弟殿はどうしてそんな熊みたいな事をしてるんだい?」
「ジョン!」
従兄弟のワトソンのファーストネームはジョンである。二人きりの時はファーストネームで呼び合うのがいつもだった。
「彼女の朴念仁ぶりに困ってるんだよ」
女性に使う言葉ではないだろうが。
「それならあの姉妹達に任せたら良い」
窓の外を示すと、庭園であの賑やかな三姉妹とアミィの夫のシャーロックが幼子をあやしながら話していた。エドワードもいる。賑やかな笑い声が聞こえてくるようだった。つられてエルシーも笑顔だ。それを確認するとほっとしてクリストファーは椅子に腰を落とした。
「慣れないキューピッド役はするもんじゃないよ」
「私はそんなつもりでは……!」
「なくとも花嫁の父のような心境だろう?」
クリストファーには図星だった。あの傷跡を確認してから彼女に起こった出来事を推察していた。そしてその言動からも命への執着が薄かった。それをなんとかしたかったのだ。
「みんな、同じだよ」
従兄弟のワトソンが持っていたコーヒーを渡す。
「そうか。未沙が一番、力になってくれると思うが。経験者だからね」
「困難な恋ならアミィの方が上だ。あの三姉妹がきっと良い方向に持っていくさ」
「そうだな。今日はみんなに任せて診察に力を入れるよ」
「入れすぎて注射を痛くさせるなよ」
「何を言う。私は小児科医の名医だぞ。そんな事ある物か」
「そうなのか? 看護師達から最近君が上の空で幼子を泣かせっぱなしと聞いているが」
う゛。
クリストファーが固まる。それを愉快そうにワトソンが笑う。
「気をつけるんだな。君の上の空は浮気ととられるかもしれないぞ」
「まさか! 私は未沙一筋だ」
「だったら、早くあの中に入って熱々ぶりを見せるんだね。ここは私が代診を務めよう」
「ジョン……」
「その可愛いお目々は未沙のためにおいておくんだな」
「ジョン!!」
クリストファーが真っ赤になって声を上げる。
「ほら。行った行った」
そうやって、従兄弟のワトソ医師はクリストファーを追い立てたのだった。自分に何ができるのかわからない。医者の勤めは果たせるが、死を希望している患者を救うことは難しい。まさに、娘の病を思いやる父親の気分だ。
暗い気持ちの人間には明るい気持ちの人間を嫌いやすい。そんな自分達が行って、エルシーの役に立てるのか? 疑問は尽きなかった。エドワードと二人で静かに時間を過ごす方がいいのではないか、そうも思っていた。
あのとんでもない一味の笑い声が外に出ると一層聞こえてきた。シャーロックの双子の娘もギャン泣きだ。
少し、病人にはうるさし過ぎやしないか?
それでもエルシーは文句一つ言わず微笑みを浮かべているようだ。
ちらり、と物陰からエルシーの表情が見て取れた。いつになく頬が紅潮している。調子は良さそうだ。
希望のロマンスは花咲くのか。
クリストファーは祈るような思いで足を運んだ。
☆
「やぁ。楽しそうだね」
「クリス!」
未沙が嬉しそうに近寄って頬にキスする。
「ま。熱々ね」
「お姉さんこそ、家族まるごとつれて幸せいっぱいじゃないの」
アミィが言うと未沙が言う。その素直に好意を示す未沙達にエルシーは驚いていた。
「いつもこうなんですの?」
「ええ」
と三姉妹が声をそろえる。
「まぁ」
エルシーは開いた口が塞がらない。
「この奥方達は異次元の人間何でね。いつも驚かされるよ」
シャーロックが言う。
「じゃ、またマイクロフトの家に厄介になろうかしら」
「アミィ~」
「ママ。おじちゃんのところに行ったらパパが手出しできないよ」
「まぁ。ジュニア、手出し何て言葉いつの間に」
「パパがいつも言ってるよ」
親子漫才に呆れる親戚達の中でエルシーが声を上げて笑った。
「エルシーが笑った!」
三姉妹は手を取り合って喜ぶ。
「私が笑って何が嬉しいんですか?」
「そりゃぁ、療養中は暗い気分になりがちだもの。そんな人が笑えれば私達は嬉しいの。私達はそんな事をたくさん経験してるから、そんな人が笑うとそれだけで嬉しいの。ねぇ、エドワードさん?」
未沙が話を振る。
「エルシーの笑い声、僕はじめて聞きました。ありがとうございます。奥様方がいらっしゃらなかったらこんな事もなかったでしょう。僕はエルシーの笑顔が見れて嬉しいんです」
「エドワード?」
「あら。いつもそんな風に呼んでるの?」
エリザベスが聞く。丸いお腹に我が子がいることは明らかだ。
エルシーの顔が真っ赤になる。
「なんだかつい、そんな風に呼んでしまったの。みなさんと一緒だとなんだか嬉しいんです。こんなに嬉しいのは夫が亡くなってからはじめてですわ」
「つらい、思いをしてきたのね」
アミィがエルシーの手を取り涙を浮かべる。
「まぁ。涙が! これでお拭きになって」
ハンカチを出すとアミィの涙を拭く。
「エルシーは優しいのね」
「優しいだなんて! どこにでもいるような女ですわ」
「さっきからびっくりしっぱなしね。体に悪いわ。そろそろ病室へ戻りましょう」
未沙がエドワードに目をやると立ち上がって車椅子の持ち手を持った。
「待って。もう少しお話したいの。エドワードは仕事があるから戻って下さらない?」
「僕の仕事はエルシーと一緒にいて気持ちを軽くすることだよ。だから、今は技師の仕事はないんだ」
「そう……なの?」
「Dr.ワトソンの指示だよ。僕もエルシーには早く治って幸せになってもらいたいからね」
「し……あわせ?」
なっては行けない物。そうずっと考えていた言葉が少しずつ、形を取り始める。エドワードが穏やかに話す。
「そうだよ。エルシー。君は幸せになっていいんだ。その権利は誰もが持っている。一人孤独に身を落として苦しむ必要はないんだ。一緒にこの病を治せば、僕と結婚してほしい」
「エドワード!」
エルシーがまた声を上げる。
「ちょっと。そんな、ロマンティックな事はここで二人きりの時にしなさいよ。こんな大勢の前でするものじゃないわ」
エリザベスが勝気な態度でいう。
いえ、とエルシーは強い口調で言う。
「皆さんが証人としていていただければいいわ。私には告げられない過去があります。それでもいいのならその申し出をお受けしますわ」
自分で言っていてエルシーは不思議だった。ずっと亡き夫の財産管理と慈善に務めると決めていたのだから。今更他の男性と結婚なんて考えもしなかった。けれど、それもいいような気持ちがエルシーにあった。孤独な自分に疲れ果てていたのだ。エドワードと一緒にいると昔に戻った気がする。あの穏やかな一年間を。亡き夫も優しい人だった。だが、面影を重ねてはいないことにエルシーは内心驚いていた。新たな男性としてエドワードを見ていたのだ。
「エルシー。過去なんてどうでもいいよ。君が苦しんだことは検査したときから気づいていた。その内容がどうであれ、僕は聞くつもりはない。それはエルシーの気持ちを大事することと一緒なんだ。病院にはいろんな事情の人が来る。それを詮索しててはやっていけない。それに重い病の人には聞いちゃいけないんだ。自分から話すまで。そんなことを聞くまでもなく僕は君を愛してしまった。君の口に微笑みが浮かぶことが希望だった。今、君は笑っている。それで十分だ。君への愛はもう止まらないよ」
「エドワード」
エルシーの目に涙が浮かぶ。エルシーの中で幸せの高揚感があふれてきた。爽やかな春の風がエルシーの頬を撫でていく。
あらあら、と言って今度はアミィが拭ってやる。エルシーがエドワードに力のない手を差し出す。それをエドワードは取る。気持ちが通じた瞬間だった。
三姉妹も涙を浮かべていた。特にアミィは困難な恋を経験し、未沙は同じ病を患った。比較的ましなエリザベスも一度は愛するマイクロフトと別れようとし、そして、マイクロフトの無償の愛を知っている。三姉妹には二人の愛が見えていた。ただ、手を取り合っただけだ。それでもその間に愛の河が流れていることは確かだった。
「さ。若い二人はこれからが大事な時間だ。お嬢さん方はクリスと一緒にお茶会だ」
「シャーロック! 大好き!」
アミィがシャーロックに抱きつく。
「ママ。一番幸せにならないといけない人の前でそれはNGだよ」
息子に言われて慌てて離れるアミィである。そそっかしいのは相変わらずだ。
「ジュニアは早くおムコに行きそうだな」
「僕は外科医になるんだ。女の子なんていらないよ」
「そうか? パパとママみたいな家庭を築くのもいいもんだぞ」
アミィ達家族が動き出して他の姉妹達も動き出す。
「あ、あの……」
「よろしくおやりなさい」
エリザベスはそう言って院内に入る姉達の後を追いかける。
「よろしくって……。ねぇ。エドワード」
あまりの怒濤の展開にエルシーの感覚が麻痺していた。そのエルシーにエドワードはそっとキスをする。
「もう、離さないよ。愛しい人。一緒に病を治して結婚しよう」
しばらくエドワード見つめていたエルシーだったが静かに、はい、と返事を返したのだった。
夫を殺害され、自ら命を絶とうとして命拾いしたエルシー。そして、また死の病についている。だが、クリストファーの薬はエルシーに未来を与え始めていた。それは次の検査で朗報となろう。最近の検査でもいい兆候が見られている。
いずれ、病の癒えたエルシーとエドワーはきっと幸せになるだろう。近々二人の結婚式に呼ばれることを想像して、クリストファーと未沙は顔を見合わせて微笑み合う。
「何、いちゃついてるの」
「べ、別に」
エリザベスは夫のマイクロフトがいないため機嫌が悪い。幸せそうな夫婦を見るとつい嫉妬する。さっきは抑えていたのだ。
「おや、あそこにマイクロフトがいる。行っておいで。ベス」
「言われなくても行くわよ」
シャーロックに言われるまでもなく、エリザベスがマイクロフトに駆け寄って熱い抱擁を交わしている。
「我が兄も普通、ってとこか」
「それ、本人の前で言わない方がいいわよ」
「わかっている」
時空を越えて出会った男女の会話が入り乱れる。そしてこの同じ時空の下で出会った二人も今は幸せに向かって歩き始めた。
すべての人に愛と幸せがあらんことを。
アミィも未沙もエリザベスも一緒に心の中で祈っていた。
はい。あの事件の不遇のレディに幸せをと。珍しく病院だけで事が済むという。これよねロマファンって。次の番外編も甘々嫌じゃなかったらどうぞ。また崩れます。