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第二十二湯 火山地帯へ(前編)

 荒れ果てた岩場は、見渡す限り、あちこちから噴き上がる白い熱煙に覆われていた。


 すぐ近くでは、なんと地面がグラグラと沸騰している。


 まさしく、ここは灼熱の地獄――


「ハーイどうも! ユーユーの温泉チャンネルです!」


 湯鳥野柚菜はマスクを着けて、カメラの前に姿を現した。


「今回は、長崎県島原半島の、雲仙温泉に来てます! 見て見て! 湯けむり、すごいでしょ?」

 

 柚菜はカメラをクルリと回して、「雲仙地獄めぐり」の遊歩道を映し出した。

 

「画面真っ白w」

「もくもく地獄」


 視聴者から次々とコメントが届く。


「そうなんですよ! そして冬なのに、ここだけは湯気が温かくて、ぬっくぬく地獄なんです。ちょっと暑いくらいですね」


 高温の湯けむりで蒸気浴を満喫しながら、柚菜は、うっとりとした笑顔になった。


「硫化臭が、ほのかに漂ってますね! 腐ったゆで卵とか言われて、好き嫌いが分かれる匂いです。私はこの香り、硫黄泉の証明って感じで、ワクワクします」


 湯けむりの先に進むと、何匹もの猫が地面へ腹ばいに座って、気持ち良さそうにくつろいでいた。

 

「ここは地面も温かいから、猫がたくさん集まって来るんですよね! かわいいニャー!」


柚菜はしゃがみこみ、猫たちを撫でて触れ合った。


「ここの猫ちゃん、すっごく人馴れしてますね。あっ、カメラに猫パンチしないで! みんな見てるんだから!」


 猫動画は、ネット有数の鉄板コンテンツだ。視聴者たちもチャットですぐさま反応した。


「へえ、雲仙地獄って、こんなに猫いるのか⁉」

「モフりたい! さっそく旅館予約するわ」

「猫様にコラボ出演料、払うべきでは?」


 そして柚菜は、お目当ての温泉たまご屋に到着した。

 

「さて、そろそろ温泉たまごをいただくとしますか!」


 店の入口には「地獄温泉たまご」と書かれた看板があった。看板の横にも、一匹の黒猫が寝っ転がっている。


「ここにも猫がいますニャー! 看板猫ですニャー!」


 柚菜は猫を指でチョンチョンと突っついてから店に入り、ゆでたての温泉たまごを二つ購入した。


「あっつう! 温泉たまご、あっつう! それでは、付いてるお塩をちょいとかけて、いただきまーす!」


 硫黄泉の香りが白身からほんのりと漂う、雲仙地獄の温泉たまご。黄身は、半熟と固ゆで卵の中間くらいのゆで具合だった。柚菜は一口食べると、感動の声を上げる。


「うん、んマーイ!」

  

 柚菜は食べかけの卵を手に持ったまま、地域の歴史について語り始めた。


「さて、島原半島といえば、江戸時代に起きた島原の乱が有名ですよね。祈ろう皆(1 6  3 7)で、島原の乱」


 温泉たまご屋の近くにも、キリシタン殉教碑がある。柚菜はカメラをその方向に向けた。

 

「ここの熱湯で拷問して、改宗を迫ったんだよなあ」

「何それ怖い」 

「スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』で見たわ……」


 視聴者たちが、チャットで情報を補足する。


「それから雲仙は昔、火砕流(かさいりゅう)が起きて、多くの人が亡くなった場所としても、名前がよく知られてますよね」


 柚菜は、雲仙・普賢岳の災害にも言及した。火山噴火のニュースをリアルタイムで見ていた世代が解説する。

 

「一九九一年だな。覚えてる」

「マグマ水蒸気爆発ってのが起きたんだよな」

  

 柚菜は遠くの山々を見つめた。

 

「さまざまな苦難を経て、今は観光地として賑わってます。この風景の裏には、そういう歴史もあるんですよね」


 柚菜はそっと手を合わせた。


「ご冥福……」

「歴史を学ぶことは大事だよ」

「今日は社会派路線だな」


 雲仙地獄の湯気を、彼女は遠い目で見つめる。

 

「そういう歴史を知ると、人の心も、火山の力も、そう簡単に押さえつけたり、制御したりできるものじゃないんだなあって。私はそう思いますね」


 柚菜は言葉を続けた。


「そして、私たちが今こうやって温泉を楽しめるのは、温泉地の人たちの優しい心と、大自然の恵みのおかげ。ありがたいことですよね……」


 歴史語りに夢中になる柚菜。その時、彼女の右手を、黒い影がバサッとかすめた。次の瞬間、食べかけの温泉たまごが、柚菜の手から消えていた。

 

 先ほど店の入口にいた黒猫が、柚菜から温泉たまごを奪って口にくわえ、トコトコと走り去ったのだった。


「やりやがったw」

「猫グッジョブ」

「結局、猫に出演料回収されてて草」


 盛り上がる視聴者たち。何が起きたのか、まだ分かっていない柚菜。

 

「えっ? あれ? あっ、ちょっと待ってよー! 私の温泉たまご!」


 柚菜はあわてて、猫を追いかけた……

  

 ◆◇◆◇


「……わ、私のたまご返してー!」


 ユーナは、声に出して叫びながら目を覚ました。


「どうしました? ユーナ様」 


 横に寝ていた潮音が驚いて、ユーナに声をかけた。


 少し離れた所で、剣を腰に差したまま寝っ転がっていたヴァン・ダイノンも半身を起こして、心配そうにユーナを見つめる。


「なんだ夢かあ、良かった。いや、ちょっと寝ぼけただけ……」 

 

 ユーナは照れくさそうに答えた。


 ライアンに別れを告げて街道を外れ、火山地帯に踏み入ったユーナたちが、山道を進むこと半日。日が暮れて、三人が最初の野営地に選んだ場所が、この高台の岩場だった。


 岩場に着いた時、ユーナは、岩の間から蒸気が立ちのぼり、一帯の地面が地熱で温かくなっていることに気付いた。


「ほら! 触ってみて。ここ、ただの岩じゃないよ? 地面がじんわりと、熱くなってるでしょ?」 


 彼女の発案により、今夜はここで天然の岩盤浴をすることになったのだった。


 温かい岩の上へ敷物を敷いて仰向けに寝っ転がると、ユーナはあまりの気持ちよさに、居眠りを始めた。

 

 そして先ほど見た通り、前世の温泉たまごを夢見て、飛び起きた次第であった。


「それにしても、もう夜なのに、ここはとても温かいですね……」


 潮音は横たわったまま、気持ちよさそうに笑顔で言った。背中と腰が、岩からの熱でポカポカと温まる。


 「火山の地熱が伝わってくるんだよ。汗が出るから、後で水魔法でいっぱい水分取ろうね」


 ユーナも再び寝っ転がって、星空を見上げる。


「お嬢様、火山地帯を無事に縦断するには、体力を温存しておくことが大事です。もうしばらく、ここで温まっていきましょう……」

 

 ヴァン・ダイノンは、剣の柄に手をかけて周囲を警戒しながらも、やはり岩盤浴の温かさを楽しんでいた。


「サウナとは、また別の魅力がありますね。もう少しこのまま休憩して、身体を温めておきましょう……」


「何とも不思議な感覚ですね、ユーナ様。温泉ともサウナとも違う、岩からジワジワと伝わってくる温かさ。私、もうここから動きたくないです……」


 潮音が、意外なグータラ発言を口走る。ユーナとヴァン・ダイノンも、内心同じ気持ちだった。夕食の支度をしなければならない時間だが、誰も動こうとしない。


 三人は汗をかくまで、火山地帯の地熱による「天然岩盤浴」を楽しみ、まったりとした時間を過ごして、戦いと登山の疲れを癒やすのだった。


湯鳥野柚菜「次回、サルヴェイ伯爵の動向は?

ブックマーク&評価よろしくね。ではでは、またねー!」

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