第十六湯 失われた文明(前編)
「それで、残り8か所の温泉はどこにあるの? 一日で全部回れるかな?」
今まさに幕を開けた壮大な冒険叙事詩を、RTAで打ち切りエンドに追い込む気マンマンで、ユーナは聞いた。
「この①塩の泉を含めて、②炎の泉、③森の泉、④鉄の泉、⑤酸の泉、⑥大地の泉、⑦四季の泉、⑧成長の泉、⑨星の泉の合計9か所が、聖なる温泉です。しかし……他の温泉の場所は、今の私には詳しく分からないんです。おそらく②炎の泉は、火山地帯のあたりだろう、くらいしか……」
「なんだあ。外湯めぐりのノリでイケるかと思ったら、桃鉄の温泉ラリーカード的なパターンかあ」
「外湯? 桃鉄?」
「何でもない。それだと、見つけるのはかなり大変だね……でも、また水竜になって乗せてくれるんでしょ? 毎日八時間飛んで空から探せば、一週間くらいで何とかなるかな?」
「……五分間なんです」
「何が?」
「変身できるのは、一日五分間だけです」
「マジで⁉ じゃあ、今日の分は、もう終わり?」
「はい……」
「そうなんだ。全力でサービス飛行してくれてたんだね……」
一日五分だけ高速飛行するよりは、ライアンやヴァン・ダインと合流して、馬車で旅したほうが移動距離は稼げそうだ。王国を隅々まで漫遊するのに、一年? 二年? まあ、桃鉄百年プレイよりは短く済むか……少し気が遠くなりながら、ユーナは温泉の湯で軽く顔を洗うと、言った。
「泉女ちゃん。取りあえず、いつまでもそこに立ってないでさ、座らない? せっかくこの温泉に帰って来たんだから、一緒に肩まで浸かろうよ」
「あっ、はい……」
泉女は素直に応じて、青いローブをスルスルと脱ぎ、丁寧に畳んで岩の上に置いた。
泉女はユーナと向かい合って座り、幼い体に似合わぬ落ち着いた声で語り続けた。彼女が紡ぐ言葉には、遥かな歴史の重みが感じられた。
「原始の時、あらゆる命は、温泉から生まれたんです」
「だよね。分かる」
泉女の言葉に、ユーナは強く共感した。
科学的にも、数十億年前の地球で生命が誕生した場所は、熱水が噴き出す海底の熱水噴出口か、もしくは地上の火山性温泉だとする説が有力だからだ。
「つまり、この世界の温泉は、人々が『魔法』『魔力』と呼ぶ聖なる法則と力の、文字通り『源泉』なのです」
「ちょ、ちょっと待って。温泉が、魔力の源泉?」
いきなり話について行けなくなった。いくらユーナがお風呂バカでも、温泉に入れば魔法が使えるとか、そんな発想は前世でも妄想したことはなかった。そもそも、この世界で十六年間暮らして学んだ常識にも真っ向から反する。
「魔法って、王族と魔法貴族だけが使えるものでしょ? 魔力がある人は生まれた時からあるし、彼らは温泉に入らなくても、魔法使ってるけど?」
ユーナの疑問を聞いて、泉女は悲しそうに首を振った。
「この国の王族や魔法貴族は、古代文明の時代から続く古い家系です。だから、政略結婚で出来るだけ血を濃くし、代々の当主に魔力を集中させて、残りカスのような『魔力』を遺伝と相続に頼りながら細々と受け継いでいる。しかし、その力も代々弱まっています」
ピアー王国に騎士学校はあっても、魔法学校はない。魔法は、努力で身につくものではないからだ。
代々魔力を受け継ぐ血筋に生まれた者だけが、魔法を使える。そして生まれ持った魔力の最大値を増やせる機会は一生に一度、その家を継いで当主となる時のみ。代替わりの儀式の時に、前当主から全ての魔力を受け継ぐのだ。それ以外に、魔力の最大値を増やす方法はない。
ユーナたち軍人貴族や騎士・庶民階級は、魔力を持たない。魔法の恩恵を受けるには、魔法貴族が作った魔道具を買うか、魔法を直接かけてもらうしかない。
「かつて栄えた古代文明は、聖なる力と科学が調和した、平和で理性的な社会を築いていました。しかし、およそ約千六百年前、その文明は相次ぐ反乱で崩壊しました。その混乱の中で、この地にピアー王国を建てたのが、この国の王族や魔法貴族の先祖たちです」
泉女の口調は静かだが、深い悲しみをたたえていた。
「古代文明は、入浴を日課とする、健康で清潔な社会でした。公衆浴場は、みんなで湯に入るだけの場ではなく、人々の平和な交流と文化の中心として社会を安定に導いていました。そして9か所の温泉は、聖なる力で世界を浄化し、結界を張って守護していました」
「じゃあ、どうして滅びたの?」
「人々の欲望が、争いを生んだのです。しかし文明を破壊し、風呂文化を隠して、結界の守護も失った人間たちは、たびたび魔族の侵攻に悩まされたのです」
ユーナは、泉女の言葉に納得しながら問い返した。
「じゃあ、世界は今、どうなってるの?」
「人口の一パーセントにも満たない王族と魔法貴族だけが『魔力』を独占し、残りの九十九パーセントを支配する時代。それが今の世界の姿です。彼らは『魔法』を使って、あらゆる権力と富を独占しました。そして、軍人貴族や騎士たちが武力で、その支配を補完しています」
泉女の声には、怒りと悲しみが溢れていた。ユーナ自身も、騎士あがりの軍人貴族に生まれた人間だ。ユーナは複雑な心情で、泉女の話を聞いた。
「でも、魔法って便利なものには違いないでしょ?」
ユーナの反問に、泉女は厳しい表情で答えた。
「確かに『魔法』は、自然にも優しく、便利です。浄化魔法を使えば、風呂がなくても清潔を保てる。治癒魔法を使えば、病気や怪我も治せる。でも、この国の現実は、今どうなっていますか?」
「人々はとても不潔だし、風呂に入ると病気になるとかいうニセ医学に頼ってる……」
「そうでしょう。魔法をかけてもらったり、魔導具を買うたびに、高価な代償を要求されるからです」
「しかも年々、値段が上がってるよね……」
「もはや、生活の心配もなくそれらを買えるのは、一部の特権階級だけでしょう。庶民にとっては莫大な出費です。
王族と魔法貴族は人々を魔法に依存させ、魔法の奴隷にして、富を蓄えている。そんな人々の嘆きの声を、私は千六百年間、水辺で聞いてきました」
「魔法の独占が進み、科学の発展も阻まれた結果、風呂もなく、不潔で、不健康な世界が生まれたのね……」
ユーナは肩を落とした。泉女はうなずきながら、静かに言葉を続けた。
湯鳥野柚菜「次回、ユーナのレベルアップ特典とは?
ブックマーク&評価よろしくね。ではでは、またねー!」




