第一湯 ゆなってユーナ⁉(前編)
プロローグ かけ湯をしてからお入り下さい
――ドオオオォンッ!
雷鳴のような爆音が、古代都市の遺跡を揺るがした。大地を裂く衝撃。立ちのぼる煙が、空を覆う。
今の爆発? 私の魔法が炸裂した音だよ。狙い通り、目標を一撃で仕留めたところ。
私だって、最初からこんなに強かったわけじゃない。
どうしてこうなったのか――話せばちょっと長くなる。
私は、お風呂が大好きだった。
いや、好きなんて生易しいもんじゃない。
お風呂がないと、生きていけない。
人生は、お風呂と共にある!
そんな私が、ある日、異世界にやってきた。
美しい城。広がる大自然。
勇者と竜が、しのぎを削る。
ロマンあふれる剣と魔法の国――
……そう、夢のような世界、のはずだった。
でも、致命的な問題があった。
「……え? この世界って、お風呂ないの?」
「お風呂? 何それ、おいしいの?」
――絶望だった。
温泉旅館も、銭湯も、シャワーさえない。
人々は疲れ果て、髪は脂でベトついて、空気は異臭に満ちている。
耐えられるわけがなかった。
「私は、こんな所、もう無理っ!」
でもその時、私は決意した。
「……作ろう。私の手で、お風呂を!」
健康で清潔な文化を、この世界に広めるんだ!
異世界初の「お風呂」、爆誕!
自作した浴槽にお湯を張って、いざ、初入浴。
「あぁ……あったかい……最高……」
この幸せを、独り占めするだけじゃ面白くない!
みんなにも、お風呂の良さを伝えたくて、声をかけた。
「体がポカポカして、疲れが吹き飛ぶよ!」
「髪も肌もサラッサラ!」
「気分スッキリ、寝つきもグッスリ!」
なかなか好評だった。ところが――
「湯に入るなんて、魔族の儀式に違いない!」
「辺境でおとなしくしてろ! お前は病気だ!」
まさかの、危険人物認定&追放。
でも、あきらめない!
追放先へ向かう旅の途中、襲い来る敵と死闘を繰り広げながら、私はついに見つけた。
この世界にも、あったんだよ。
人知れず湧き出る、神秘の温泉が。
しかも、ただの温泉じゃなかった。
――魔法の温泉だった!
「レベルアップ、おめでとうございます!」
謎の声が、虚空に響く。
新たな温泉に入るたび肉体が強化され、魔力が高まる。
お風呂に入るだけで、どんどん強くなれる!
こうして私は、王国最強の魔法騎士になったわけ。
でも、これはまだ、始まりでしかない。
この世界には、まだまだ秘湯が眠ってる。
もっとすごいお風呂で、世界を変えてみせる!
――なぜ、この世界にお風呂文化がなかったのか?
――なぜ、温泉に入るだけでレベルアップできるのか?
気になるでしょ?
さぁ、ページをめくってごらん――
私と一緒に、最高のお風呂を探しに行こう!
「はーいどうも! ユーユーの温泉チャンネルこと、ユーユーでーす!」
ライトアップされた夜の温泉街。 湯鳥野柚菜は、スマホに向かって満面の笑みを浮かべ、元気いっぱいに声を張り上げた。
「今回は、岐阜県の名湯・下呂温泉を紹介しまーす! イェーイ!」
彼女は入浴剤メーカーに勤めるかたわら、温泉マニア向けのレビュー動画を個人で配信する、無類のお風呂好きだった。
「イェーイ!」
「今日も始まったな」
「今日は浴衣だぁ」
チャンネルに集まった視聴者たちが、次々とコメントを打ち込む。
「温泉と言えば、温泉グルメ! 下呂温泉なら、これっ!」
柚菜は、下呂大橋のベンチに銘菓「下呂の香り」の箱と、ビン入りの「下呂牛乳」を並べる。
「wwwww」
「ゲロの香りって」
「絶対酸っぱい」
視聴者たちの茶化しに、柚菜は即座に突っ込んだ。
「こらこら、風評被害禁止! 下呂の香りは、ムチっとした皮の中に粒あんがぎっしり詰まった、超おいしいスイーツなんだからね!」
パクパクと和菓子を頬張り、牛乳をグイッと飲み干す柚菜。
「ご覧ください! 橋の下に、無料の温泉があるんです!」
カメラに映し出されたのは、河原の露天風呂「噴泉池」。 コメント欄が一気に盛り上がる。
「おっ、脱ぐのか?」
「まさかの公開入浴配信来る?」
柚菜はニヤリと笑い、浴衣の裾をひらりとめくった。
スラリと伸びた美脚を、そっと湯に浸ける。
「脱ぐわけあるかーい! ここは、足湯専用です!」
昼間に温泉街の射的場でゲットしたカエルのぬいぐるみを抱きかかえながら、柚菜は配信を締めくくる。
「下呂温泉は、アルカリ単純温泉! 湯あたりは刺激が少なく、まろやかです。お肌スベスベ、美人の湯ですよっ! これからも、いろいろな温泉・銭湯・お風呂の良さを、お伝えしていきますねー! ではでは、またねー!」
◆◇◆◇
王国暦一六一六年、四月二十六日。
「ぐおー……ぐおー……」
「お嬢様! お嬢様!」
「……ぐお?」
十六歳の男爵令嬢、ユーナ・ユトリノは、メイドのリンに揺り起こされて、馬車の中で目を覚ました。 馬車はちょうど、王宮前の広場に到着していた。
急に起こされたせいか、体と頭がどこかズレたような、ぼんやりとした気分を引きずりながら、ユーナは起き上がる。
(なんだろう……今、胸がギュッと痛くなるほど懐かしくて、とても大切な夢を見てた気がする……でも、詳しく思い出せない……)
純白のドレスに身を包んだユーナは、一六八センチのスラリとした体を起こした。彼女の琥珀色の瞳が、夕陽にキラキラと輝いていた。
ユーナは、馬車から降りながら、乗ってきた馬車を操縦した男爵家の副御者、ライアンに優しく声をかけた。
「ライアン、ありがとう。帰りもお願いね」
「は、はいっ! お嬢様!」
気さくに挨拶してくる同世代の令嬢に、ライアンは耳まで真っ赤になって返事する。
今日、ユーナは社交界デビューを果たす。 王宮で開かれる、第一王子の誕生日パーティーに出席するのだ。
第一王子のユート殿下、御年十八歳。 気難しい性格で知られ、これまでほとんど表に出てこなかった王子が、ついに姿を現す。
多くの令嬢たちが、お妃候補の座を目指して集まる。
だが――
ユーナは、まったく乗り気ではなかった。
(私は本当は、剣の腕を磨いて、お父様みたいな騎士になりたかったのに……)
「ドレスも、アクセサリーも完璧です。行ってらっしゃいませ、お嬢様」
メイドのリンが微笑み、長髪の護衛騎士ヴァン・ダイノン・トッドが、スッと腕を差し出す。
「急ぎましょう、お嬢様」
「う、うん……ヴァン、頼むね」
少しためらいながらも、ユーナは彼にエスコートされながら、王宮の門をくぐった。ユーナに剣術を教えてくれたこともあるヴァン・ダイノンの力強い腕に、ユーナはちょっぴり、頼もしさと気安さを感じた。
大広間に入ると、そこには千人規模の人間が一堂に会していた。
(お父様たちは、どこだろう……)
ユーナは大広間全体を見回し、先に王宮入りしているはずの男爵夫妻を探したが、人が多すぎて見つからない。
人波に圧倒され、ユーナはだんだん気分が悪くなってきた。
その時だった。
キーンと耳が鳴り、視界がグニャリと歪んだ。
(な、何これ……?)
ユーナは、彼女の大きな目をさらに見開いた。目の前には白い湯気がモクモクと立ちのぼり、その向こうには、ハイテンションで話す、浴衣を着た女性の姿が見えていた――
そう、あの異文化の服は「ユカタ」と言うのだと、この時、ユーナにはなぜか分かった。
「……いろいろな温泉・銭湯・お風呂の良さを、お伝えしていきますねー!」
(あの人、さっきの夢に出てきた人だ……!)
ユーナが驚いている間に、耳鳴りと視界の歪みは治った。そして、湯気と浴衣女性の幻も、スーッと波が引くように消えていった。
ユーナの目に、再び大広間のパーティー風景が映る。
その瞬間――
「うっ……臭い! 臭すぎる!」
鼻をつく猛烈な異臭に、ユーナは思わずドレスの袖で口元を覆った。
(えっ……ここ、王宮だよね?)
まるで酔っ払いのゲロを拭いた雑巾のような、人々の体臭。それらと混ざり合いながら、異臭をかえって悪化させている、強すぎる香水の毒々しい香り。
パーティー会場は、豪華絢爛どころか、ユーナの目には阿鼻叫喚の不潔地獄絵図と映った。
(どうなってるのよ……この人たち、「オフロ」に全然入ってないんじゃないの? 貴族なのに……って、あれ? そう言えば……)
ユーナは、この世界に生まれてからの十六年間をふと振り返って、愕然とした。
(この世界って、もしかして「オフロ」が……お風呂が、ないんじゃない⁉)
馬車で見た夢。あの女性の姿―― あれはきっと、かつて自分が生きた、別の世界での記憶だ。
お風呂を愛し、お風呂なしでは生きられなかった、そんな前世の自分。
でもこの世界には、お風呂という文化自体が存在しなかったのだ。彼女自身、この世界に生まれ、前世の記憶を忘れたまま育った。
異世界の常識を何ら疑問に思わず、昨日も今日もお風呂を知らず、お風呂に入らないまま過ごして……
真実に気づいてしまった今、ユーナの中で、何かが決定的に変わった。
「放して! 私は、こんな所、もう無理っ!」
ユーナはヴァン・ダイノンの腕を必死で振りほどくと、人混みをかき分け、中庭へと駆け出して行った――!
湯鳥野柚菜「次回、ついに王子様との運命の出会い⁉
ブックマーク&評価よろしくね。ではでは、またねー!」