First impression
洞窟の奥。ジメジメした湿気と、緊張感だけが漂っていた。
かつてはただの空洞だったこの場所も、今では大量の魔導石によってゴブリンたちの巣窟となった。
ゴブリン、ゴブリンメイジ、ハイゴブリン――さらには、ついにオーガまでが誕生したという。
ゴブリン1が小声で言う。
「なぁ……聞いたか? この前のハイゴブリンさんの件」
「……あの怖い人だよな? なにやらかしたんだ?」
ゴブリン2はキノコをかじる手を止める。
「ミーティング中に居眠りしてたオーガさんに――」
ゴブリン1の声が一段と低くなる。
「“生産性のないだけではなく、周囲のやる気まで削いでしまうあなたの存在意義はなんですか? 答えてください”って言ったらしい」
「……え? それ……オーガさんって“脳筋でキレると3日火葬場”の……」
「そう。けど、そのオーガさんが土下座して謝った上に、今じゃミーティング5分前にスタンバってるってさ」
「え、なにそれ怖……てか逆にカッケェ……」
「あと昔、ゴブリンメイジ連中が集会サボったときも、」
「また?」
「“目的なき無言の抗議は、ただの怠惰です”って言い放って、全員に議事録書かせたらしい」
「……ハイゴブリンさん、パねぇってレベルじゃねぇぞ……」
そのときだった。
「……ほう」
低く響く声。振り向くと、そこにはすでにハイゴブリンが立っていた。
「この入り口の岩のレイアウト……考えたのは誰ですか?」
一瞬で周囲の空気が凍る。
「わ、私ですが……」
ゴブリン3が死にかけの声で手を挙げた。
ハイゴブリンはゆっくり歩きながら、岩を見上げる。
「ここは……冒険者の皆様が、命を賭けて希望を抱きながら入る、夢とロマンの入り口ですよね?」
「……は、はい」
「聞きます。この岩のFirst impression……トキメキますか?」
「えっ……」
「“えっ”ではなく、“はい”か“いいえ”でお願いします。定量的評価が困難な主観要素こそ、即答が重要です」
「い、いえ……」
「なるほど。ではあなたは、“なんとなく”で夢の門構えを作ったと。素晴らしいですね。では、なぜそんな設計をしたのか、お聞かせください」
「えーと……その、掃除をしていて……」
「掃除。ほう。つまり、命懸けで挑む冒険者の期待よりも、コケの清掃を優先されたと?」
「……はい」
「ありがとうございます。Priorityの再確認という意味では、極めて有意義な時間でした」
ハイゴブリンが去ると同時に、空気が溶け出した。
「こ、怖ぇ……」
「けど……見えてる世界、俺らと違いすぎる……」
「俺、明日から岩の配置で泣ける気がする……」
しかし彼らの戦慄は終わらない。
ハイゴブリン、再びターン。今度は罠エリアに向かった。
(やばい)
(罠担当、オレら……!)
ハイゴブリン、静かに口を開く。
「この罠を作ったのは……どなたですか?」
「はい!!!」
ハイゴブリンが無言で近づく。
一歩ずつ、一歩ずつ――地面が揺れるわけではないのに、足音が震える。
そして彼は、ふたりの肩にそっと手を置いた。
「Excellent.」
「……えっ?」
ハイゴブリンはまっすぐに彼らを見つめながら、静かに言った。
「このスイッチの土の盛り上がりがゼロ……つまり、存在が“知覚の盲点”に滑り込んでいる。まるで概念的カモフラージュだ」
「……が、がいねん?」
「そして作動音。これが素晴らしい。あの“カチン”という一瞬の高周波は、“人間の聴覚が最も警戒しやすい帯域”に位置している。しかも、脳が“来世”を想像する直前の領域だ」
「ら、らいせ?」
「つまり、ただの罠ではない。あなた達は“死”という体験に、“納得”と“受容”を提供する感情設計トラップを構築したわけですね?」
「は……はい」
「これは……芸術ではありません。“虚無と歓喜のデュアリズム”です。」
「……」
「あなた方は、死の哲学者です。私は、敬意を表します」
「……あり……がとう……ご……ざいます……!」
ふたりのゴブリンは完全に白目になりながらも、震える声で礼を言った。
ハイゴブリンは満足げに頷き、再び洞窟の奥へと消えていった。
ゴブリン1と2はその場でしばらく動けなかった。
「……お前、聞いたか……?」
「聞いた……耳じゃなくて、魂で聞いた……」
「Priority……First impression……あれが本物の、言葉ってやつなんだな……」
「うん……俺も、ちゃんと考えるよ。Priorityを」
「よし。まずは昼飯、どれ食うか、First impressionで決めよう」
「……First impression、って見た瞬間決めるってこと?」
「たぶん。お前、キノコどれにした?」
「これかな。カビ生えてるけど、色がド派手で来世感あるだろ?」
「OK、じゃあそれPriority高めだな」
二匹は、確信を込めてうなずき合った。
それは、かつて泥水をすすって生きてきた存在が、初めて「自らの意思で選んだ優先順位」に出会った瞬間だった。
無知であることは罪ではない。だが、知らないまま“言葉”を使うことの重さを、彼らはどこかで——ほんの少しだけ——理解したような顔をしていた。
その目には、愚かさすら肯定された者だけが持つ、奇妙な尊厳があった。
彼らは今、“Priority”を持ったのだ。たとえ意味がわからなくても——。
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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した
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