角が喋ったその日、何かが変わった
世界には、時として「理不尽な強さ」が存在する。
獅子の頭が咆哮し、ヤギの角が雷撃を放ち、大蛇の尾が毒を撒く。
その名を——キマイラ。
精鋭のパーティすら単体では太刀打ちできず、複数による連携討伐が前提とされる規格外の怪物。
冒険者たちはその姿を見ただけで逃げ出すという。
……だが、その内実は。
──戦場の片隅、誰も知らぬ“キマイラ”の脳内にて。
「なぁ……ずっと思ってたんだけどよ」
獅子の頭が沈黙を破った。彼は前方を見据えたまま、虚空に問いかける。
「お前、どんな姿してんだ?」
返したのは、尾の大蛇だった。彼女の声は低く、落ち着いているが、どこか距離を感じさせる。
「……私も知りませんよ。そもそも、私からは何も見えませんし。
見えるのは地面と、たまに跳ねた冒険者の断末魔くらいです」
「だよな……」
獅子はため息混じりに頷く。
「俺もさ、声は聞こえるけど顔は見たことねぇんだわ。
お前がどう動いてるのか、戦ってると全然分かんねぇの。今忙しいのかな?声かけても大丈夫かなって」
「空気感ですね。正直……察しが外れることも、あります」
大蛇が淡々と言う。だがそれが彼女なりの自省だった。
「こないだもな……」
獅子が回想するように呟く。
「後ろから“うにょっ”て感触来たから“今だ!”って飛びかかったら……
お前が毒霧撒いてる最中だったみたいで、俺だけ噛みつこうと突っ込んで死にかけたんだわ」
「あれ、逆合図でしたね」
さらっと認める大蛇に、獅子はぐったりと肩を落とした。
「マジでこっちの寿命削るのやめろよ……俺、主戦力なんだぜ……?」
「私だって尾ですけど主戦力ですよ?」
「……そりゃそうだろうけどさ……」
獅子が言いかけて、ふと口をつぐんだ。
「もう一つ、ちょっと聞きたいことあるんだけど——」
そのときだった。
——脳内に、これまで聞いたことのない静かな声が響いた。
「……失礼、会話に割り込んでもよろしいですか?」
二人は同時に声を上げる。
「……え?」
「今の、誰?」
「ヤギの角か……?」
問いに応じたのは、確かに角の持ち主だった。
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「はい。私です。ヤギです」
「お前……喋れたのか!?」
獅子の叫びに対し、ヤギはあくまで平然と答える。
「えぇ、ずっと喋れますよ。ただ……少々、構造上の不具合がありまして」
「構造?」
獅子が眉をひそめる。
「私の頭……どうやら上手く生えなかったようでして。
現在、獅子さんの頭蓋骨に、内側からめり込んでおります」
「…………」
言葉を失う獅子。
「つまり私は、ずっとあなたの脳幹の隣で黙っていただけなのです」
「何それこわい、やめて!!」
悲鳴のような叫びが脳内に響く。だがヤギは動じない。
「いや怖がらなくて大丈夫です。角の中に小さな意識があるだけですから。とても静かです。快適です」
「いや快適ならいいけど!いいのかそれ!?オレの頭にもう一人いたのか!?」
「角としてなら当然の話です」
場が沈黙に包まれた中、ヤギが再び語り出した。
その声には、わずかな熱と、静かな使命感が宿っていた。
「……本来、“融合”とは一方的な吸収ではなく、互いの尊厳を残したまま共存することを意味します。
しかし、我々“キマイラ”という生態系は、構造的にその配慮がなされておりません」
「急に喋りまくるな……」
戸惑う獅子。
「……頭良さそう……」
感心する大蛇。
「“ダイバーシティ”と“インクルージョン”という言葉がありますが、
我々の現状は“多様性”を内包しただけで“包摂”がなされていないのです。
見えること、触れること、発言すること——そういった基本的な参加権が、構成要素に不平等に与えられている」
「つまり……?」
獅子が、おそるおそる尋ねる。
ヤギは答えた。
「このままだと、ただの多頭生命体ではなく、“不和を強制された個の集合”です」
「!?!?!?」
二人とも、意味は半分も分かっていない。だが、とにかくヤバいことは分かった。
「多様なパーツで構成される以上、我々には“共通の価値観”が必要です」
「……えっと、それって……」
大蛇が訊ねると、ヤギは穏やかに答えた。
「コアバリューです」
その言葉を合図に、キマイラという名の多頭会議が静かに幕を開けた。
最初は、誰もが恐る恐るだった。
獅子は、「いや、これは俺のわがままかも」と前置きをしてから、尻尾の毒がいつも急すぎると漏らした。
大蛇は、「私のやり方が絶対正しいってわけじゃないんですけど」と言いながらも、獅子の突撃が雑すぎると反論した。
それぞれが、自分の価値観を初めて言葉にした。
そして、それが他者の価値観と正面からぶつかり合った。
ヤギはそのたびに話を整理し、ときに言葉の定義を見直しながら、少しずつ共通項を抽出していった。
「“伝える”とは、“意図を共有する”ことであり、“許可を求める”ことではないのです」といった調整が何度も入る。
獅子は傷ついたように黙り、大蛇は自分でも気づいていなかった苛立ちをぶつけた。
だがそのすべてを、ヤギは粘り強く、そして静かに受け止めていった。
何時間が経っただろう。
論点を洗い出し、合意点を確かめ、表現を磨き上げていく作業は、想像以上に骨が折れた。
だがその果てに、彼らはようやく一つの答えにたどり着いたのだった。
完成したコアバリューのリストを眺めたとき、
脳内には、奇妙な――けれど心地よい“沈黙”が流れた。
「……これが、俺たちの……価値観……?」
獅子の呟きに、大蛇が静かに応じる。
「ええ……悪くないですね」
ヤギの声は柔らかく、どこか誇らしげだった。
お互いの価値観をすり合わせる作業は、予想以上に困難だった。
だが同時に、それは確かに――初めて、自分たちが“ひとつの存在”であることを実感できた時間でもあった。
それぞれの頭、角、尾が、
今まで以上に近く、ひとつの意志として“結び合って”いるような、不思議な一体感があった。
⸻
【キマイラチームのコアバリュー】
1.見えないからこそ、伝え合おう。
2.合図を送る前に、意味を共有しよう。
3.毒は予告してからまこう。
4.角にも意見を。角からも意見を。
5.我らは融合体、されど他者。
⸻
「……俺たち、今まで“なんとなく一緒”だったけど、ほんとは全然見えてなかったんだな……」
獅子が、しみじみと漏らす。
「見えないから、ぶつかってた。聞こえてたけど、聴いてなかった」
「なるほど……これが……」
大蛇が感心したように呟いた。
「これが……」
獅子もつられる。
「ダイバーシティ……」
「&……インクルージョン……!!」
二人の声が、荘厳に響く。
「……いや、正直まだ意味はよく分かってないけど、たぶん、これだわ」
「私も、なんか良い響きだと思います」
ヤギが、小さく笑ったような気がした。
「大丈夫です。分からなくても、まず“共にあろう”とすることが、その第一歩なのですから」
「……ヤギ……いや、ヤギさん!」
獅子が深く頭を垂れる。しかし脳幹の隣にいるため、物理的には伝わらない。
こうして、破壊力に統率力という“聞こえのいい言葉”が加わったキマイラは、モンスター界の“ダイバーシティ”を踏みしめながら、今日も誰かを噛み砕いている。
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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した
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