第一話 3.恋(1)
怪我をしてから二週間後、アスタは仕事に復帰していた。まだ完治してはいないものの軽くなら左腕を動かす事も出来るし、何よりじっとしているのは性に合わない。隊長という立場とアスタの持つ責任感の強さも相俟って、これ以上仕事を休む気にはならなかったのだ。
警備なら余程の事がなければ怪我に触るような事もない。鍛練は右手を鍛える良い機会になる。そんな言い訳を自分にしながら、アスタは朝から詰め所に顔を出していた。
「あ、アスタさん!」
詰め所のドアを開ければ真っ先にアスタに気付いたのはロニだった。その声に皆が入口を見て、次々に挨拶される。アスタはそれに応えながら副隊長の姿を探した。
「トレンツェはいるか?」
「副隊長なら城に行ったよ。」
「ダンジェ。」
アスタの問いに答えたのはダンジェだった。先ほどまで外にいた彼は、部下からアスタが顔を出したと聞いて詰め所に戻ってきたのだ。
「よう。傷はもういいのか?」
「左はまだ剣を握れない。無茶するとイレーヌに怒られるからな。」
「うちの嫁は怖いからな。」
「全くだ。」
それを聞いて、ダンジェがいつものように人の悪い笑みを見せる。
「家でもお前がちっとも安静にしてないって愚痴ってたぜ。」
「俺も散々言われたよ。美人が怒ると迫力がある。」
「伝えとくよ。」
「美人ってトコだけにしといてくれ。」
「ははっ。無理な相談だな。」
ダンジェに誘導されて詰め所を出ると、二人は別棟の隊長室へと足を向けた。隊長室と言ってもアスタは室内に籠もるのを好まないので特別何があるわけでもない。中央に置かれたデスクの他には小さな対面式のソファにテーブル、アスタの鎧や剣が置いてあるぐらいだ。
わざわざここに移動したという事は何か他の隊員には聞かせられない話があるのだろう。二人がソファに座るとすぐにノックの音がした。
「ザックです。」
「入れ。」
「失礼します。」
ドアが開くとお茶を持ったザックが顔を出した。ザックは二人に挨拶をしてテーブルの上にお茶を並べる。それを見たアスタは素直に感心した。
「ザックは気がきくな。実にうちの隊らしくない。」
「ははっ。全くだな。」
それを聞いてダンジェも笑う。ザックはいつもの涼しげな目元を少し緩めて「ありがとうございます」と言うと、すぐに隊長室を出て行った。
ザックが出してくれた茶に二人で口を付ける。これらの嗜好品は城から支給されるものだが、他の隊員が淹れたものよりも美味しく感じた。
「それで?トレンツェは何故城に行ってるんだ?」
定例の業務報告をする日は翌月の頭と定められている。それ以外で城を訪れるのには何か訳がある筈だ。
アスタが向かいに座るダンジェを見ると、彼は世間話をするような口ぶりで話し始めた。
「実は最近この辺りで噂があってなぁ。」
「噂?」
「あぁ。この街に謀反を企んでいる者が居るんだと。」
「・・それは、穏やかじゃないな。」
王への謀反は捕まれば当然極刑に処される。紛争が終わり、その脅威に怯えなくて良くなった今、謀反を起すとすればアンバとの協定が原因だろう。
「その噂が城まで届いた。まぁ、噂は噂だ。それが本当かは分からないし、城からも注意を促すぐらいだろ。」
「噂が流れ始めたのはいつからだ?」
「俺が耳にしたのは一週間前。アーロンのおっさんが街の人間から聞いたらしい。」
「アーロンさんが聞いたのは誰からなんだ?」
「何だ?突き止める気か?」
「あぁ。噂の元を辿るくらいしか出来ないが。」
「城から指示が出てない内から動く必要も無いとは思うが、まぁ、剣を振れないお前には丁度いい暇つぶしかもな。」
失礼な言い方だが的を得ているのでアスタは何も言わずに笑うに留めた。飾らないダンジェの言葉は変な気遣いをする必要がないことを示していて、アスタにとっては気が楽だ。
「警備は代わりに俺が見ててやるから、お前はどうする?誰か連れて行くか?」
噂を聞いて回る位なら一人で事足りるが、怪我をしているアスタを心配してくれているのだろう。謀反を企んでいる人間と鉢合わせ、思わぬ事態にならないとも限らない。
アスタは少し悩んだ後、部下の中から一人を連れて行くことにした。
「いい天気だな。」
アスタは空を見上げて能天気に呟いた。今は駐屯地から街への街道をのんびりと歩いている。警備をしている時とは違い、普段着に近い軽装だ。噂を聞くなら騎士だと警戒されない方がやり易い。その為、鎧も剣も身につけてはいない。当然もしもの時の為に短剣を忍ばせてはいるが、端から見ればただ散歩しているようにしか見えないだろう。それはアスタの隣を歩いている部下、ザックも同様だった。
アスタはダンジェと別れ、すぐにザック呼んでアーロンに話を聞きに行った。ザックはアスタ達よりもこの街の情報を知っているし、細かいことにも配慮できる彼の能力を考えればアスタが気付かない事にも目がいく可能性が高い。そこで彼を連れて行く事にしたのだ。
そして今、アーロンが噂を聞いた人物、トトという男の下へ向かっていた。アーロン曰く、彼は製粉業を営んでいて、この時間は小麦畑で働いているか風車小屋にいるという。馬に乗ろうかとも思ったがそれは止めた。この街はそれほど大きくないし、たまにはゆっくりと街を歩いて見てもいい。エリアという人物を自分が全く知らなかったと気付いた時、もっとこの街の事を知ろうと思ったのだ。
「ザックは何故騎士団に?」
アスタが何気なく問いかけると、少し驚いた表情をしてからザックは思い出すように遠くの景色に目を向けた。
「俺は、カタス地方の出なんです。」
「カタスか・・。」
ユフィリルの南西。カタス地方は隣国バハールとの国境沿いに位置し、バハールからの侵略を真っ先に受けた戦火の酷い地域だった。まだアスタが平の隊員だった頃剣を振るった場所でもある。
「紛争が終わってもあの辺りの被害は酷くて、町や村が元通りになるにはかなりの時間が必要でした。俺は家の無くなった子供達の世話を手伝いながら、もう必要ないと言われながらも剣の修行に明け暮れていました。」
「・・何故?」
戦争が終結したならもう剣は必要ない。だが、ザックの目は強い意思を湛えていた。
「戦時中は命を落としそうになることが何度もあって、それでも生きていられたのは俺がまだ若かったからだと思います。一度捕らえられましたが、殺されずにバハールの捕虜になりました。そこで捕虜になった自分達を助けてくれたのがアーロンさんでした。」
「・・・・。」
アーロンが第八騎士団の副隊長を務めていた頃、バハールの兵士達が陥落した町を拠点にして、そこに捕虜を捕らえていた。それに立ち向かっていった一団を率いていたのは確かにアーロンだった。後からアスタも援軍として加わったが、町の惨状は酷かった。力のある大人達は殺され、捕虜にされたのは子供ばかりだったのだ。あの中にザックもいたのかと思うと胸が痛む。
「それから、アーロンさんの下で働きたいと思ったんです。恩返しと言ったら大袈裟でしょうが、何か少しでもお役に立てたらと思って。」
「そうだったのか。その事、アーロンさんには?」
するとザックは首を横に振った。
「出来ればアーロンさんには言わないで下さい。情をかけるようなことはお好きではない筈ですから。」
「・・そうだな。」
街の景色は段々と春から初夏へと移り変わっている。あたたかい風が山側から吹くと、山の向こうには入道雲が見えた。
「トトさんの風車はあれですね。」
ザックが指差す方を見れば、そこに赤い屋根の風車が建っている。大分古いもののようだが、レンガ造りの風車はゆっくりとその羽根を回転させていた。