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第三話 4.選択(5)

 

 * * *


「シンガー。今日も出かけるの?」

「・・うん。いってきます。」

「いってらっしゃい。」


 キャシーはエプロンを外して店を出て行くシンガーを見送った。時計は夜中の三時を指している。酒場であるこの父の店も他と同様店じまいはいつも夜中だ。それから片づけを始めれば仕事が終わるのは大抵この時間。いつもならそのまま店続きになっている自宅に戻って眠るのだが、最近シンガーは仕事が終わると同時に出かけて行く。店の仕込みが始まる時間には戻ってくるから問題はないけれど、ここの所毎日それが続いている為、キャシーはつい『今日も』と声を掛けてしまったのだ。


「恋人でもできたのかしらね?父さん。」


 父であるバールに声をかけると彼は「かもな」と言葉短に応えただけだった。キャシーとしては恋愛話は気になる所だが、バールはそうでもないのかもしれない。彼女はそっけない父の返事に肩をすくめると、自宅に続く店奥のドアを開けた。

 娘がいなくなるとバールは酒瓶を拭いていた手を止めた。そしてシンガーが出て行ったドアをちらりと見る。


(どうして気付かないのかね。)


 シンガーはこの街で既に皆に知られた歌手だ。店に来る男性客の多くが彼女に熱い視線を投げかけている。その中でシンガーが目を向けているのはたった一人だということに、バールは随分前から気付いていた。この店に来た当時から比べればぐんと頻度の増えた恋の歌も客からのリクエストだけではなく、彼女の心情とリンクしているのだろう。

 二人は関係を公にしていないようだが、例え皆に知られて男性客の足が遠のいたってバールは構わないと思っている。真面目に働き、この店を大切に思ってくれているシンガーはバールにとってキャシーと同様自分の娘みたいなものだ。その娘が恋人を作り幸せに暮らしてくれるならこれ程嬉しいことは無い。


「もう、半年か。」


 働かせて欲しいとシンガーがこの店に飛び込んできてから約半年。流れ者の歌手としては長い方だろう。

 そろそろこの店を離れる頃かもな。誰もいない店の中で、バールはそう呟いた。






 煩くない様静かに鍵を差込みくるりと回す。カチッと音がしてシンガーはゆっくりと玄関のドアを開けた。まるで泥棒にでもなったような気分だが、時は深夜。とっくにこの家の主は寝ている時間だ。

 中に入ると再びドアを閉めてまっすぐ奥のベッドに向かう。するとそこには穏やかな寝息を立てているアスタが横になっていた。彼の顔をしばらく見つめた後、上着を脱いでそっと布団をめくり彼の隣に身を滑り込ませる。するとアスタはシンガーの腰に腕を回した。起きているのかと思ったが、見上げても彼の瞼は閉じられたままだ。長い間戦場に身を置いていた彼は深く熟睡することはないのかもしれない。少しの物音でも敏感に察知して眠りから目を覚ましているのかもしれないが、彼が何も言わずにいるのならシンガーもそのまま彼の腕の中で目を閉じていればいいだけだ。


 アスタの異動の話を聞いてから、シンガーは毎日彼の家を訪れていた。と言ってもシンガーの仕事が終わるのはいつもこの時間。アスタとは時間が合わない。それでも渡された合鍵を使い、こうして彼のベッドに潜り込んでいる。彼女が目を覚ます頃アスタはとっくに出かけているが、お互いの顔を見るだけで良かった。傍で彼の体温を感じるだけで良い。限られてしまった時間を会えずに過ごすよりはずっとずっと。


 まだシンガーは答えを返していない。アスタはこんな自分をどう思っているのだろう。自分を振り回すとんでもない女だと呆れているだろうか。それとも毎日来るのは会えなくなるのを覚悟しているからだ、と諦めているだろうか。

 お互いの休みが重なり、顔を合わせて話が出来る日でもその答えを彼は求めてこない。いつも通り、何事も無かったかのように二人は過ごしている。ただそんな日は今までよりも体を重ねる時間が長かったりするのだが。そしてその時間、アスタは今までシンガーが見てきたどんな彼よりも積極的で情熱的だった。そんなアスタの熱に溶かされ、何も考えずにいられる時間が幸せでたまらないのだ。もしかしたら、それはアスタも同じなのかもしれない。


 彼の胸に自分の額をそっと置いた。アスタの匂いがする。日なたに似た彼の匂いが。

 シンガーの目から自然と涙が零れた。

 どうあがいても逃れる事の出来ない選択の日が、もうそこまで迫っていた。

 

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