第三話 4.選択(4)
* * *
朝の鍛錬場でロニは一人汗を流していた。朝早く起きるのは苦手だが、最近もやもやしたものが纏わりついてよく眠れない。きっかけはアスタの異動の話だと思う。皆口には出さないが、あれ以来隊全体の士気が下がっているのは確かだ。以前は仕事終わりによく呑みにいっていた仲間達とも大した話はしていない。口を開けば自分が一番弱音や愚痴を吐き出してしまうだろうと分かっていたから。ロニはそんな自分が嫌だった。
「はぁ・・。」
振っていた剣を下ろして息を吐く。体を動かしても頭の中は上手く空っぽになってくれない。
自分の手元に目を落としながら器用に剣の柄を捌き遊ばせる。手のひらと甲をうまく使ってくるくる剣を回すのはロニの得意技だが、そんなものは戦場で何の役にも立たないと言われたっけ。それでも暇な時間に披露すればアスタは笑って喜んでくれた。いつかこの剣が戦う為ではなく、こうやって誰かを笑わせる為だけに存在するものになったらいいな、と言ってくれた。
ロニにとってアスタは尊敬する隊長であり、頼りにする兄だった。彼がいなくなることは自分が第八にいる意味の半分を失ってしまう気がした。
『ここはもう戦場ではないが、自分の判断の過ちで大切なものを失うことはいくらでもある。』
ふと、以前アスタに言われた言葉が頭に浮かぶ。アスタがあの時見せた寂しげな表情。失うことがあると言っていたあの言葉。もしかしたらこの事を予期していたのかもしれない。アスタが異動することで、第八の仲間達を失うことになるのだと。
アスタの異動が発表されたあの時、絶望的な思いに囚われたロニは思わず取り乱し責めるような言葉を発してしまったが、アスタに裏切られたと思ったわけではない。
『自分のことばかりになると大切なものを見逃すぞ。』
彼の言葉を、その意味を自分はちゃんと理解しているのだと、受け止めているのだとロニはアスタに示したかった。それが彼から受けた数多い恩を返す為の一つの手段だと思うから。
(話をしなくちゃ・・。)
胸のもやもやの原因の一つ。アスタが居なくなってしまう前に、自分は自分なりにそれを解決しようとロニは決心した。
「ロニ?」
驚きの表情で背の高いウィズはロニを見下ろした。それもそうだろう。彼の告白を聞いたあの日から、ロニはウィズと一言も口をきいていないのだから。
ロニは朝から詰め所のドアの前に立っていた。真面目なウィズはいつも遅刻ギリギリの自分と違って勤務開始の三十分前にはここに着いている。それを知っているので待ち伏せていたのだ。
ウィズは戸惑いつつもいつものように挨拶した。
「おはよう。珍しく今日は早いんだな。」
「・・・い。」
「え?」
「いいからちょっと来い!!!」
怒鳴るような大声で言われ、目を白黒させているとロニはどんどん詰め所とは違う方向へ歩いて行ってしまう。その歩幅もいつもより大きく、置いていかれないようにと慌ててウィズは彼の後を追った。
しばらくして着いた先は先日ウィズが告白したあの広場。ベンチに腰掛けることも無く、ロニはウィズが後ろから来たことを確認すると、彼の顔を見ずに話し始めた。
「俺は・・・・男は好きじゃない。」
唐突なロニの言葉。けれどウィズはあれこれ言わずに相槌を打った。
「うん。知ってる。」
「なら、なんであんなこと言うんだよ!!」
ぎゅっと握られたロニの両拳。真っ赤な顔。彼が色々考えて、覚悟を決めてウィズに言葉を投げかけているのだと分かった。無視しておけばいいのだ。嫌な奴の事なんか。現にウィズはもうロニから話かけてくることなんて無いと思っていた。それなのにロニは自分と向かい合おうとしてくれている。それが嬉しかった。だから、気休めで嘘をつくことはしなかった。
「・・・・。好きなんだ。」
「っ!!だから・・・」
「からってる訳でも冗談言ってるわけでもない。本当にロニが好きだったんだよ。」
「・・・・・。」
ロニの顔が少し悲しそうなものに変わる。ウィズの言葉の中に込められた切実な想いを敏感に感じ取ったのかもしれない。あの時は頭がかっとなり耳を貸そうとしなかったウィズの言葉がやっと届いたのだろう。
「ロニはそうやって頭から否定するけど、俺がいつからロニのこと好きだったかなんで知らないだろ?」
「そんな・・・の・・、知ってるわけないだろ。」
「四年前だよ。」
ロニの目が驚きで見開かれる。記憶を辿れば思い出されるのは戦時中だった頃の二人の出会い。
「・・・・。俺らが、初めて会った頃じゃんか。」
「うん。それからずっと片思い。」
「・・・・。何で・・・」
揺れるロニの瞳を見ながら、ウィズは苦笑した。ウィズは今でもあの時の事をはっきりと覚えている。戦時中でも明るさを失わず、笑って自分に手を差し出したロニの事を。
「なんでだろう。俺にも分からない。いつの間にかロニのこと目で追ってた。毎日ロニの顔見るだけで満足だった。でも・・・。やっぱり俺も男だから」
真剣な目がロニに向けられる。その視線に揺さぶられてドクンッと心臓が大きな音を立てる。
(・・違う。)
今まで自分に馴れ馴れしく声を掛けてきた男達とは。感謝際で自分の肩を抱いた酒の匂いのする男とは。ウィズの想いをそれらと一緒くたにして否定した自分をロニは後悔した。
「ずっと勇気が無かったんだ。ずるずるとロニへの想いを引きずっているだけで、諦めたくても諦められなくて、苦しくて辛くて・・・。いつの間にか自分のことも嫌いになっていた。」
「え・・・」
「今は違うよ。ロニに自分の気持ちを聞いてもらえただけで満足してるんだ。まぁ、失恋の痛みっていうはあるけどさ。それでも自分の中で一つ決着がついて良かったと思う。」
ウィズがそう言って笑うとロニは自分の足元に視線を落とした。唇を噛んで何かに耐えるように眉間に皺を寄せている。
「ロニ?」
「・・ごめん。」
「え?」
「俺・・・自分のことばっかりで、ウィズが辛い思いしてるなんて全然・・」
「いいんだよ、ロニ。」
「でも・・」
顔を上げたロニの表情は今にも泣き出しそうに歪んでいる。自分がウィズを傷つけてしまったと思っているのだろう。ウィズを悪者と決め付け、自分のことばかりを考えていた自分をロニは恥じていた。そしてやっと全て理解したのだ。アスタが最後に言ったあの言葉の意味を。
『自分のことばかりになると大切なものを見逃すぞ。』
(俺、最悪だ・・・。本当に自分のことばかりで・・・)
「ロニが謝ることじゃない。俺が勝手に好きになって、勝手にフラれただけなんだから。」
傷ついているのはウィズの筈なのに、こんな風に優しく気遣ってくれるウィズの気持ちが益々ロニを惨めにした。自分はなんて子供だったんだろう、と。ぐっと涙を堪えて顔を上げると、ロニは真っ直ぐその手を差し出した。その意図が分からずウィズは目を丸くする。
「握手。」
「え?」
動こうとしないウィズの手を無理やり取って握手する。ブンブンと勢いよくその手を振るロニをウィズはぽかんと見下ろしていた。
「これで元通りだからな。」
「・・・元、通り?あぁ・・」
この握手がロニなりの仲直りなのだ。それが分かってウィズの口元から笑みが零れた。それを見てロニは顔を赤くする。
「何笑ってんだよ!!」
「いや、嬉しいよ。ありがとう。」
真っ赤な顔でしかめっ面したまま、ロニはぷいっと顔を横に背ける。そして乱暴にベンチに腰を下ろした。この場を去るのではなく腰を下ろしてくれたことが嬉しくて、ウィズは緩む顔を抑えられないまま彼の隣に座った。
(変わらないな・・・)
自分の手を見下ろしながら思う。初めてロニと会ったあの日、入隊と戦争へのプレッシャーで緊張していたウィズにロニは笑って「よろしく」と手を差し出した。あの屈託の無い笑顔が蘇る。最初は何故戦時中なのにこんな風に笑えるのかと不思議でしょうがなかった。以来彼のことが気になり始め、目で追うようになっていったのだ。
ロニへの想いが完全に消えた訳ではないけれど、それでも以前のように想いを殺していた時とはまるで違う自分の心。相手が自分の気持ちを知ってくれているだけでこんなにも心が軽くなるのだと初めて知った。きっとこれから二人の関係がウィズの求めるような形になることはないだろう。けれどそれは、この先ずっと変わらない最良の関係だとウィズは思った。彼を後押ししてくれたアスタとカイルの二人のように。