第三話 4.選択(2)
夕暮れの陽が注ぐ隊長室。いつもなら暖かに感じる赤い光は逆光となってアスタの顔を暗く見せている。はっきりとした感情を表そうとしない彼の表情に、ダンジェは苛立ちを感じていた。
「・・なんで黙ってた。」
ダンジェの感情をのせた言葉は重く室内に響く。二人だけしか居ない隊長室は、それでもどこか狭く閉鎖的に感じられる。朝から勤務だったダンジェは既に業務が終了している時間だが、隊服から着替え終わるとその足で隊長室を訪れていた。通常業務だった隊員達とは違い、アスタは一日トレンツェへ隊長業務の引継ぎを行っていた。その為朝礼以降一度もダンジェとは顔を合わせていないのだ。そしてダンジェから行かなければアスタは自分の前に顔を出さなかっただろう。
「そうやってずっと黙ってるつもりか?」
怒りの感情が滲み出る。アスタも分かっている筈だ。何故ダンジェがここを訪れたのかということに。それでも冷静な表情を崩さないアスタが今は憎らしかった。
「急な人事だったんだ。」
「嘘付け。」
アスタの嘘は分かりやすい。今朝と同じ顔で目線を逸らす彼を見て、ダンジェは間髪入れずに言葉を返した。
「・・・参ったな。」
そこで初めてアスタが表情を崩した。苦笑と共に息を吐き、力を抜いて座っていた椅子に体を預ける。観念した、とその態度は示していた。
アスタも最初からダンジェに隠し事が出来ると思っていた訳ではない。当然彼が自分と話をしたがることも分かっていたし、話さなくてはならないとも思っていた。同じ隊に所属する者としてではない。親友として。ただ、それを行動に移すにはダンジェの方が身軽だっただけだ。
「アスタ。お前何を隠してる?」
他の隊に異動だとしても隊長の地位にあった人間が突然平になることなんて考えにくい。アスタは地位を剥奪されるような不正を犯した訳でも、責務を怠った訳でもない。他の隊員達がどう思っているかは知らないが、ダンジェにとって今回の人事は違和感だらけだ。
だが、確信を突くその質問にアスタは口を開かなかった。
「なんとか言えよ!!」
ぐっと襟首を掴んでアスタの顔を引き寄せる。一瞬苦しそうな顔をするが、アスタは真っ直ぐに怒りの感情をぶつけるダンジェの目を見た。アスタの目は穏やかで、けれどその裏に読み取ることの出来ない感情を隠している。
「言わない気なんだな・・・。」
アスタが隠し事をする時の顔。それが分かるのはダンジェだけだろう。そして言わないと決めたら決して口を割らないこともダンジェだからこそ分かるのだ。
「ごめん。」
「・・・異動の話があったのはいつだ。」
「二ヶ月前だ。」
二ヶ月前。グルドー大臣から呼び出され異動の話が伝えられた。だが、その時名前が挙がっていたのはアーロンの名前。そして彼を第八から出すことが出来なかったアスタは自ら異動願いを大臣に提出した。代わりに自分が第十二騎士団へ異動する為に。けれどその事実は誰にも話すつもりはない。アーロンにもそしてダンジェにも。だからアスタは話せることだけは全てダンジェに話そうと決めていた。
ダンジェの顔が歪む。それは怒りではない。様々な感情が交じり合った複雑な表情だった。
「・・なんで今まで言わなかった。」
「二ヶ月前に話があった時はまだ正式な話じゃなかった。辞令が下りたのは昨日だ。」
ダンジェはアスタの襟を掴んでいた手を離した。肩から力を抜き、中央に向かい合わせに置いてある革張りのソファにドカッと座る。背もたれに体を投げ出し天井を仰ぐと、長い息を吐き出した。
「黙っていてすまなかった。」
「・・・・。本当に、それでいいのか?」
「あぁ。もう決めたことだ。」
ダンジェはアスタの言葉を聞き逃さなかった。辞令はあくまで大臣から下りてきたもので、そこにアスタの意思は含まれて居ない筈だ。だが彼は『決めたこと』と言った。『決められた』ではない。やはりアスタは何かを隠している。そう確信したが、ダンジェはそれを追及しなかった。しても無駄だと分かっていた。
「ダンジェ。お前がここに居てくれるから、俺は第八を離れることが出来る。」
「それを言われて、俺が喜ぶとでも思ってんのか?」
「いや、ただ言っておきたかっただけだ。」
それはアスタの心からの本音だった。信頼しているこの親友がいてくれるからこそ、この第八騎士団を、尊敬する隊長から受け継いできたものを任せることが出来る。大切な仲間達から離れることが出来るのだ。
「ついでに言っておくと、お前を副隊長に推薦したのは俺じゃないからな。」
「何?お前が第二に話をしたんじゃないのか?」
ソファから体を起し、片眉を上げてダンジェが怪訝な表情を向ける。アスタは口の端を少し上げて親友を見た。
「違うさ。俺の異動が決まった時、ニコライ隊長とヨハン副隊長から直接大臣に推薦したいと話があったらしい。」
「またなんで・・・。」
「ヨハン副隊長は前回の任務以来お前を随分気に入っていたらしいからな。」
やけに嬉しそうなアスタの顔を見て、ダンジェは眉間に皺を寄せた。
「誰から聞いたんだ。その話。」
「ニコライ隊長本人からさ。」
チッと舌打ちをしてダンジェは再びソファに沈み込んだ。その目はじっと目の前のテーブルに注がれている。その間アスタも黙って彼の横顔を見ていた。しばらくの静寂が二人を包む。遠くで聞こえる隊員達の声。外は段々陽が沈み、橙から紫へと空の色は変化を始めている。
沈黙を破ったのはやはりダンジェだった。
「・・・ここを離れて」
アスタはじっと続く言葉を待つ。ダンジェはアスタの顔を見ないまま言った。
「シンガーはどうするんだ?」
ぴくっとアスタの肩が揺れる。それをダンジェは視界の端に収めていた。途端にアスタは顔を逸らし、机の上に置かれた自分の手元に視線を下ろす。
「話はしたのか?」
「・・・・。いや、まだだ。」
第八を離れることに寂しさはあったが、それを決意するのは難しいことではなかった。ダンジェやアーロン達がいてくれる限りは第八騎士団は大丈夫だろうと確信していたからだ。唯一アスタが迷ったのは他でもない。ダンジェが指摘したシンガーの存在だった。誰にも言わず事を進めながらもずっと彼女の存在が頭から離れることは無かった。言わなくてはと何度も思ったけれど、話をせずにずるずると今日まで来てしまったのだ。彼女を手放すのか、それとも・・・。その結論に、未だ答えが出ないでいる。
その迷いが見て取れたのか、ダンジェは初めて心配そうな表情を浮かべた。
「惚れてるんだろ?」
「・・・あぁ。」
「なら、連れて行けばいいじゃねぇか。」
ダンジェらしい答えだ。けれどアスタは同じ言葉を口にすることが出来なかった。
彼女も確かに自分を好きでいてくれると思う。けれどこの街を出て、遠い北の地へついて来てくれるのかと考えると自信はない。
彼女はずっと旅をしているのだと聞いている。アスタは今までその理由を尋ねたことがなかった。旅の目的を知るのが怖かったからだ。もしもそれが歌を唄ってお金を稼ぐ為だけなら自分について来てくれるかもしれない。けれどそうではなかったら?旅の先に譲れない目的があるとしたら、自分の願いは彼女を苦しめるかもしれない。それを思うと、どうしても異動の話が出来なくなってしまうのだ。
失うのが怖くなってしまうほど、アスタの中でシンガーの存在が大きくなっている証拠だった。
「・・怖いんだ。」
一隊の隊長でありながら情けないことだが、そんな本音もダンジェの前なら零すことが出来た。それを聞いた彼の顔が緩む。やっと出たアスタの本音がそうさせたのだろう。
「それでも話はしろ。じゃなきゃ、一生後悔するぞ。」
「あぁ。・・ホント、お前には敵わないよ」
「何言ってやがる。いいからお前はとっとと帰れ。」
「分かったよ。」
肩をすくめてアスタが立ち上がった。シンガーのことを思うと不安は付きまとうけれど、それでもどうにかダンジェに笑い返すことが出来た。
今回の一件を黙っていたことでダンジェの怒りを覚悟していたからこそ、こうして話が出来て良かった。言葉にはしなかったけれどそう思った。そして心から、この親友に感謝した。