第三話 4.選択(1)
ダンジェは欠伸を噛みしめながら詰め所のドアを開いた。彼は毎日勤務時間の十五分前にここに着いて準備を始める。いつもと同じ時間、同じ場所。だが、中に居た同僚の騎士達に挨拶しようとすると、いつもと違う空気に気がついてダンジェは眉を顰めた。
「なんだぁ?随分騒がしいな。」
騎士達の荷物置場になっているその部屋では今日勤務の者達が何やらざわついている。勤務前なのだから雑談くらいいつもの事だが、それにしては落ち着かない様子が気にかかった。
すると彼に気付いたロニが振返り、声を掛けた。
「おはようございます。ダンジェさん。」
「おう。おはよう。なんかあったのか?」
「それが俺らにも分からないんですよ。何か聞いてませんか?」
「はぁ?」
質問を質問で返され、ダンジェは改めて周囲を見渡してみる。そういえばいつもより騎士の人数が多い。
「もしかして、非番の奴らも来てんのか?」
「よう。ダンジェ。」
落ち着いた低い声が掛かってダンジェはそちらに顔を向けた。ぼりぼりと頭を掻きながら、背の高いダンジェを見上げていたのはアーロンだった。
「あ、おはようございます。アーロンさんって、今日昼からでしたよね?」
「あぁ。だが今日は朝から来いって連絡があったぜ。何かあったのか?」
「いや、俺は何も・・・」
突然の騎士達の招集。何か緊急事態でもあったのかと思ったが、それにしてはここに居る騎士達が何も知らされていないのはおかしい。
「そういえば、アスタもトレンツェもいねぇな。」
召集の命を下したのはどちらかの筈だ。アーロンの言葉を聞いて隊長室まで行ってみようかと思ったが、ダンジェは踏みとどまった。いくらアスタと気の置けない仲であっても相手は隊長、自分は平の騎士。トップ二人がいないとなれば隊長室で打ち合わせをしている可能性が高い。そこに自分が顔を出すのはお門違いだ。
「ここに居る誰も招集の理由を聞いていないとなれば、俺達は大人しく待っているしかないな。」
肩をすくめてそう言うと、ダンジェは手近にあった古びた椅子に腰を下ろした。それまでダンジェ達の話を聞いていた騎士達も、ダンジェとアーロンの二人も理由を知らないと分かるとそれぞれにまた雑談を始める。
「どうせロクでもねぇ話だろうよ。」
そう言って隣に腰を下ろしたアーロンの言葉にダンジェは苦笑した。確かに彼の言う通りだ。また王城から面倒な任務でも押し付けられたのかもしれない。もし良い話だとしても、大分前から揉めていた第二王子の婚約者が決まったとか、そんな所だろう。
時間があると見越したダンジェは席を立ち、併設されている小さな給湯室で二人分のお茶を淹れて席に戻った。そしてアーロンにお茶を手渡し、再び座る。その時不意にハンセン達と話をしているザックの横顔が視界に入った。
「そういや、どうです?ザックとの新生活は?」
丁度カップに口をつけた所だったアーロンは動揺してお茶が気管に入ってしまったのか、ゴホゴホとむせながらダンジェを睨み付けた。
「っば・・か野郎!新婚じぇねぇんだ!おかしな言い方するんじゃねぇよ!!」
近くに居た騎士達がどっと笑う。一緒になって笑っていたロニはアーロンに脛を軽く蹴られて顔を歪ませた。
「・・・なんで俺だけ。」
「そこに居たお前が悪い。」
「そんなぁ・・。」
みなまで聞かなくても義理の親子として始まった彼らの生活は上手くいっているらしい。二人の養子縁組は今や第八騎士団の誰もが知っている話だ。だがどうやらアーロンはそれが照れくさいらしく、自分からは中々そのことを話そうとはしない。実際ダンジェがこの話を聞いたのも、本人からではなくアスタを通してだった。
「早くザックが嫁を連れてくるといいですねぇ。」
「・・ダンジェ。お前の言い方、一々引っかかるな。」
「そうですか?早く孫の顔が見たいだろうと思っただけですよ。」
「俺をジジィ扱いするとはいい度胸じゃねぇか。」
「いやいや。そんな恐れ多いこと俺がするわけないでしょう。」
そんな二人の会話を笑いながら騎士達は聞いているが、古株であり、前副隊長でもあるアーロンをからかえるのは実際ダンジェくらいのものだ。アーロンはアスタにも心を砕いているが彼の性格上そんなことはしないだろうし、トレンツェはアーロンとプライベートな付き合いをしようともしない。若い騎士達に至っては天地がひっくり返っても無理だろう。
いつの間にか控え室が和やかな空気になっていた所で、広間へ続く扉が開かれた。そこから顔を見せたのは固い顔をしたトレンツェだった。
全員が入ることの出来る広間に騎士達は整列している。彼らの前では隊長のアスタと副隊長のトレンツェが皆を見渡していた。広間と言っても王城のように磨かれた床でもなければ絨毯が敷かれているわけでもない。石造りがむき出しの床に、レンガ造りの壁。正面の壁にはユフィリル王国の国旗が掲げられている。朝礼など騎士達が集合する時や、簡単な儀礼や行事を催す時に使われる場所である。
窓から降り注ぐ眩しい朝日に国旗が照らされている。深い赤の生地に金の刺繍で獅子が縫い付けてある国旗は何度見たか分らないほど騎士達にとっては馴染みのあるものだ。それを背にしてトレンツェは口を開いた。
「昨日王城から人事異動の知らせが届いた。今日は全員の前でそれを発表する為に召集したが、非番の者はこれが終われば自宅に戻って構わない。」
途端騎士達がざわつき始めた。人事異動はそれ程珍しいことでない。けれどわざわざ全員を集める程となれば平の隊員ではなく、それなりに地位や力のある者の異動ということになる。
一緒になって口を開くことはなかったが、それを聞いてダンジェは嫌な胸騒ぎを覚えた。異動の知らせならばそれを騎士達に伝えるのは当然隊長の役目だろう。けれど皆の前で話を進めているのは副隊長であるトレンツェだ。ならば――
「静かに。」
トレンツェの固い声で騎士達は口を閉ざした。
(俺は、何も聞いてない・・・。)
ぎりっとダンジェは拳を握る。もしもダンジェの予想が正しいならば何故当人は今まで黙っていたのだ。何故相談してくれなかった。何故今まで報告してくれなかった。
今、先を予想できているのはダンジェくらいのものだろう。他の同僚達は黙ってトレンツェの言葉を待っている。
「来月よりアスタ隊長が第十二騎士団に異動になった。」
一瞬、しんとした空気が広間に流れる。誰もが皆トレンツェの言葉の意味をすぐに飲み込めていないようだった。ぽつり、と呟いたのは誰の声だったのか。
「アスタ隊長が・・・異動?」
その声を皮切りに一斉に動揺が走る。
「嘘だろ・・・。」
ダンジェの後ろでそう零したのはロニだった。彼は泣きそうな目をアスタに向けている。
「嘘ですよね?アスタさん!!」
思わず前に出ようとしたロニの腕をダンジェが掴んで止めた。一瞬非難の目をダンジェに向けるが、彼が首を横に振るとロニは悔しそうに唇を噛んだ。
これは王城から正式に下された辞令なのだ。誰の意思であろうと一介の騎士が騒いだ所で覆らないし、返って立場が危うくなることもある。それが分かったのか、元の位置に戻りながらロニは目に滲んだ涙を乱暴に拭った。
「何でだよ・・。なんでアスタさんが・・・」
アスタを尊敬し、慕っていたロニの言葉を後ろで聞きながら、ダンジェは顔を前に向けた。当のアスタは感情の見えない顔をしている。その目は誰を見ているわけでもなく、騎士達が立っている場所より少し遠くを見ているようだった。
アスタの異動に落胆しているのはロニだけではない。ここには彼を慕っている騎士が大勢いる。しかしその中で関心を次に移している者達も居た。隊長であるアスタが居なくなるならば、当然その席が空くことになる。誰が次の隊長になるのか想像するのは容易いが、野心のある者は同時に空くであろう副隊長の席に期待する筈だ。
だが、新しい隊長・副隊長の任命となるとそう簡単なものではない。必要なのは同騎士団の隊長・副隊長だけではなく、他騎士団の副隊長以上の地位に就く者二名以上の推薦が必要となる。その為ある程度家に力のある者は根回してその地位を手に入れることも珍しくはない。
騎士達の喧騒が収まると、トレンツェは咳払いしてから再び口を開いた。
「アスタ隊長異動の為、空いた席には私が就くことになった。正式な就任は来月からになる。それと・・」
一瞬トレンツェとアスタ、二人の目がダンジェに向けられる。それに気付いたダンジェは睨むようにアスタを見返した。すると今日初めてアスタが表情を動かした。それは穏やかだが複雑な感情を浮かべた顔。あの顔をどこかで見たことがある。ダンジェはそう思った。
(あぁ。そうだ。あの時・・)
戦時中。負っていた足の怪我を隠して任務に参加し、二度とそんな真似をするなとダンジェに怒鳴られた時、アスタはあんな表情をしていた。口では「悪かった」と言いながらも、必要があれば同じことをするだろうと思わせるあの表情。あれは嘘が下手な親友が見せる、本心を隠す時の顔だ。
「副隊長の席には第二騎士団ニコライ=オンラッド隊長、ヨハン=ファニール副隊長両名の推薦と国王の名の下にダンジェ=ラムスに任命する。」
再び広間に騎士達のざわつきが広がる。ダンジェは一言も言葉を発しないアスタから目線を逸らすことのないまま心の中で呟いた。
アーロンの言葉通り、ロクでもない話だった、と。