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第三話 3.決断(1)

 

 目の前には一枚の書類が置かれている。アスタは一人、隊長室の椅子に座りそれを苦々しい思いで見つめていた。


「くそっ。」


 思わず小さな声が漏れる。何度読み返しても内容は同じ。

 王城から宰相とグルドー大臣の連名で送られてきたそれは第八騎士団の人事に関する辞令だった。記されているのはアーロンの名前。そして異動先は第十二騎士団。

 突然の命令だった訳ではない。丁度一ヶ月前アスタが月例報告の為王城を訪れた際グルドー大臣から呼ばれ、前もって告げられた人事だった。あの時はまだそういう話もある、程度だったが結果決まってしまった訳だ。

 騎士の異動は珍しくない。特に戦争が終わってからは。けれどすでに五十を過ぎたアーロンに下された人事に他の意図があるのは明らかだった。


 第十二騎士団はユフィリル北部の警備を担っている。その中でもアーロンが行くことになっているのは最北端に位置するクレモール山駐屯地だ。険しい山裾にある場所で、戦で負った足の傷を抱えたアーロンでは厳しい勤務地である。小さな国とはいえ南北に長い地形をしているユフィリルの北の山は雪も深く、これから歳を重ねていくのには辛いだろう。そんな場所にわざわざ彼を異動させる意味、つまりは左遷だ。アーロンは今の騎士団では数少なくなった傭兵上がりの人物で、すでに平隊員とは言え、かつて副隊長だった彼が持つ影響力はそれなりに残っている。隊長であるアスタもアーロンの言葉は決して無視できるものではない。宰相や大臣達はそれを忌避しているのだ。

 だが、何よりアスタを苦しめたのはアーロンが先日自分に打ち明けてくれたザックとの養子縁組の話だった。二人が親子としての日々を歩み始めたばかりのこの時に、アーロンを僻地へ飛ばすなんて辞令を自分の口から告げることなんて出来るわけが無い。

 書類から目を離し、一気に力を抜いて背もたれに体を預ける。ギシッと椅子が音を立て、アスタは長い息を吐いた。


(大丈夫。大丈夫だ。)


 ずっと準備を進めてきたんじゃないか。こんな形になるとは思わなかったけれど。

 明るい室内で目を閉じる。遠くで騎士達の鍛錬の声が聞こえてくる。閉じた視界に浮かぶのは愛しい恋人の顔。

 いつだってそうだ。いつだって現実は突然やってきて、自分は決断を迫られる。立ち止まるな、とウィズに言ったのは他でもない自分。だから選ばなくてはならない。それは今までと同じこと。 

 ただ少し時期が予想よりも早くて、ただ少しタイミングが悪かっただけだ。





 * * *


 乱暴な足音が聞こえてアスタは後ろを振り向いた。外の警備を見回っていたのだが、この時間は休憩の筈のロニがこちらに向かって走ってくる。


「おい。ロ・・・」


 ビュンッと音がしそうな勢いで、彼はアスタの横を通り過ぎた。声を掛けようとして上げた手の行き場が無くなり、アスタは思わず自分の手のひらを見つめる。ロニがアスタに気付いていて無視するなんてあり得ない。下を向いたまま、ただひたすらに走り去っていく様はまるで何かから逃げているような気さえした。


(何かあったのか?)


 だがその答えをくれる相手はもういない。ロニの後姿を目で追ったがあっという間に見えなくなっていた。再び彼が走って来た方を確認すれば、そこは隊員達がよく休憩に使用している小さな広場の方角。気になってそちらに足を向けると、そこには隊員が一人ベンチに座っていた。


「・・・ウィズ?」

「隊長・・」


 彼はアスタの顔を見ると穏やかに微笑む。だがその頬が赤く腫れているのに気付いたアスタは思わず彼の元に駆け寄った。


「おい。それどうした?」

「殴られました。」


 隠すでもなくウィズはそう言って笑った。暴力を振るわれたにしてはやけに明るい彼の表情。それを見てアスタは誰の仕業かすぐに分かった。


「ロニか?」

「えぇ。さっき告白しました。結果これです。」

「・・そうか。」


 彼がウィズを殴り、走り去った所にアスタが出くわしたという訳だ。何故、なんて理由を聞く必要は無かった。ウィズが自分の想いを伝え、ロニはそれを拒絶した。同僚に手を上げてしまったのは、ロニが混乱して彼の想いを上手く受け止めることができなかったからだろう。


「はい。でも、正直言うと触るのも嫌がられると思っていたので、殴られただけでもマシです。」


 すっきりとした顔をアスタに向けてウィズは笑った。想いは叶わなかったが一歩を踏み出すことが出来たのだ。ウィズはこれから新しい恋愛をすることだって出来る。

 あぁ、もう大丈夫だ。その表情を見てアスタはそう思った。






 ドカッと椅子に座る。休憩室に置かれている木製の椅子が軋んだ音を立てるが、それにも構わずロニは背もたれへ乱暴に体重を預けた。

 他の隊員達とお茶を飲みながら談笑していたハンセンは外から戻ったロニに気付いて声を掛けた。


「おいおい。どうした?やけに機嫌悪りぃな。」

「・・・煩い。」


 ぶすっとした顔でロニは黙り込む。走ってきたのか彼の顔は赤く、うっすら額に汗を掻いていた。気になったハンセンは肩をすくめてその隣に座った。


「ウィズはどうした?一緒だったんじゃねぇのか?」

「知らねーよ。」

「喧嘩でもしたのか?」

「・・・・。」


 ぎゅっとロニの眉根が寄せられる。ウィズと何かがあったのは確かのようだ。彼はバツが悪そうに右手をさすった。


「・・ウィズが悪いんだ。」

「何だよ。本当に喧嘩したのか?普通ウィズが相手なら喧嘩になんてなんねーだろ?」

「何でだよ。」

「何でって、普段から虫も殺さねー様な性格のあいつがお前相手にキレるわけねーじゃん。」

「ウィズは・・・」

「なんだよ。」

「・・・・・・。」


 ロニが何かを言いかけるが、顔を赤くして口を噤む。いつもバカ正直なロニがここまで何かを隠そうとするのは珍しい。喧嘩して単に意固地になっているのだろうと思ったが、もしかしたら本当に他人には話せない事情があるのかもしれない。そう思ったハンセンはポンポンとロニの頭を軽く叩いて席を立った。


「ま、さっさと仲直りしろよ。」

「・・・・・。」


 ロニは何も言わずに恨めしそうな顔でハンセンを見送る。段々と休憩室から人がいなくなり、ロニは長い溜息を吐き出した。


「何でなんだよ・・・・。」


 思わず握り締めた右手に目を落とす。そこは赤く腫れていた。殴った自分の拳だって痛いのだ。殴られたウィズはもっと痛かっただろう。罪悪感が自分の胸にジワリと広がる。けれど怒りが収まったわけではない。ウィズは知っている筈だ。自分が今まで男色家にどれだけ嫌な思いをさせられてきたのか。そのことに対して相談に乗ってくれたことだってあるのだから。それなのに何食わぬ顔で自分を恋人にしたいと言ったウィズが許せなかった。自分を苦しめてきた男達と同じ事を彼もやったのだ。自分の想いさえ伝えれば相手がどんな思いをしようが関係ないのだろうか。自分勝手で一方的な要求に、ロニはウィズに裏切られた気分だった。


 ギッ。


「!?」


 休憩室のドアが開く音がして、ロニはビクッと肩を震わせた。恐る恐る入ってくる人物を見れば、それは自分の尊敬する人物、アスタだった。


「あ、アスタさん・・。」

「よう。休憩か?」

「・・はい。」


 アスタはカウンターに置いてあったポットからお茶を注ぐと、木のカップを持ってロニの正面に腰を下ろす。そしていつもの穏やかな表情で口を開いた。


「素手で人と殴るのは痛いだろう。」

「!!?え・・・あの・・・」


 何故知っているのだろう。パクパクと動くだけで声を発することが出来ないようだが、言葉にしなくてもロニがそう言いたいのは丸分かりだった。


「さっきウィズに会ったよ。」

「っ・・・。」


 ロニは顔を赤くすると唇を噛んで顔を逸らした。ウィズが一体どこまでアスタに話したのか気になるが訊けないのだろう。


「ロニ。」

「・・・・。」

「ロニ。」

「・・・はい。」


 二度目でやっとロニはアスタと目を合わせた。アスタは叱るわけでもなく優しい視線を向けている。彼が自分の隊長であることなど忘れさせるような、そんな暖かさがあった。泣き言を言いそうになる自分を叱咤して、ロニはアスタの言葉を待った。


「俺がいくら隊長でも、お前の人間関係に口を出す気は無い。けど後悔はするな。ここはもう戦場ではないが、自分の判断の過ちで大切なものを失うことはいくらでもある。」


 言いながらアスタの瞳が悲しみで揺れる。それを見逃さなかったロニは不安に駆られて彼の名前を呼んでいた。


「・・アスタさん?」


 自分でも表情の変化に気づいていなかったのか、アスタは意外そうに目をしばたいた後、ふっと微笑んだ。何故か気まずくなってロニは再び目を逸らす。

 アスタは手元のお茶を飲み干すと席を立った。


「ロニ。」

「はい。」

「自分のことばかりになると大切なものを見逃すぞ。」

「え?」


 それだけ言うとアスタは簡易キッチンのシンクにカップを戻して休憩室を出て行ってしまった。ロニはどうすればいいのか分からず、しばらくアスタが出て行ったドアを見つめていた。

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