第一話 2.シンガー(1)
「よぉ。最近よく来るな。」
「来たらまずかったか?」
「まさか。隊長さんならいつでも大歓迎だ。」
「金を落としてくれるなら、だろ?」
「ははっ。まいったな。」
バールと軽口を叩きながらバルム酒の入ったグラスに口をつける。ここの所二日と空けずにアスタはこの店に足を運んでいた。同僚達と来る事もあれば一人で呑む事もある。アスタは結婚もしていないし、恋人もいない。隊の仲間達もそれをおかしいとは思っていないようだ。
騎士団の隊長ともなればそれなりに稼ぎもある。店主のバールからすれば、彼が自分の店に通ってくれるのが嬉しいのだろう。一人で店に来た時は必ず声をかけてくれた。
バールお手製の料理を食べながら、さり気なく店内を見渡してみる。するとすぐに目的の人物を見つけることが出来た。この店の歌い手、シンガーだ。今日は浅黄色のワンピースを着ている。酒場で唄う女性は派手な衣装を着ていることが多いが、彼女は流れの歌手であるせいか、いつも街の娘達の普段着とそう変わらない服装をしていた。長い髪は左の耳の辺りでまとめられていて、そのまま前に垂らされている。白い花の形をした髪留めは客からの贈り物だろうか。初めて見るものだ。
彼女はいつもお客に紛れて席についている。決まった時間に歌うわけでもなく、一日に二度か三度、ふらっと皆の前に立って歌い出すのだ。客からリクエストされる事もあれば、彼女が思いついた曲を歌う時もある。そのどれもが、アスタが聞いたことのない歌ばかりだった。
今日もアスタは一人酒を飲みながら彼女が歌うのを待っていた。何故、と問われればその理由は分からない。未だ彼女と話をしたことがなかったが、ただ気になっていた。彼女と彼女の歌が。
視線を感じてふと後ろを振り向くと、数人の妙齢の女性達がこちらを見ているのが目に入る。アスタは慌てて顔を料理に戻した。アスタは既に二十八歳だ。とっくに結婚していてもおかしくない歳だが未婚である。しかも騎士団の隊長となれば女性が放っておく筈がない。
するとその様子に気付いたバールが苦笑いした。
「最近隊長さんがこの店に通ってるって噂になってね。前より女性客が来るようになったんだよ。」
シンガーと二人でうちの店の客引きだな、とカウンターの中で酒を作りながらバールが笑う。だがアスタにその気はない。昔はその手の店で女性を買うこともあったが、戦に身を投じている限り恋人を作る気はなかった。それはなんとなく紛争の終わった今も続いている。上司に勧められることもあったが、未だに所帯を持つ気にはなれない。
突然隣の席に誰かが座った気配がして、アスタは恐る恐るそちらを見た。先ほどの女性達の中の誰かが近づいてきたのかと思ったのだ。けれどそうではなかった。女性であることには間違いないのだが、席に座ってカウンターに両手を置いたのは六・七歳ぐらいの少女だった。
「・・・・・。」
夜の酒場に子供一人とは考えにくい。誰か親が同伴しているのだろうか。アスタが声をかけるかどうか迷っていると、先に口を開いたのは少女の方だった。
「お兄さん、一人なの?」
「・・あ、あぁ。」
まさに少女にかけようとしていた言葉と同じ事を言われアスタはたじろいだ。彼女は栗色の髪を二つに括り、翡翠色のくりくりとした目でアスタを見上げている。
「俺はアスタ。お嬢さんは?」
「マナ。」
「はじめまして。マナ。」
アスタが笑顔を見せると安心したのか無表情だったマナも柔らかく微笑む。真っ赤なワンピースがよく似合っていた。
「マナは、誰かと一緒にここに来たのか?」
「うん。ママと一緒よ。」
そう言って、マナが指差した先にはキャリーと共にホールで接客をしている女性の姿があった。マナと同じ髪の色。歳はアスタよりも若いようだ。
「ママが働いている時はいつも一緒に?」
「うん。私が一人になっちゃうから。」
父親がいないのだろう。母親は女手一つでマナを育てているようだ。母親が同じ店にいるとは言え、酒場に一人では放っておく事も出来ない。今日は彼女の相手をすることに決めて「何か飲むか?」と隣を見下ろした。
「ミックスジュース!」
「バール。」
「はいよ。」
会話が聞こえていたのだろう。バールは手早く小さめのグラスを取り出しマナの前に置いた。
アスタはバルム酒のグラスを持ち上げ、両手で持ったマナのグラスに軽く合わせる。するとグラス同士の軽い音が鳴り「乾杯」と言ってアスタはそれを飲み干した。マナに目を戻すと、彼女は先程よりも嬉しそうな顔で「乾杯」とアスタの真似をしてグラスに口をつけた。
「あ、シンガー!!」
アスタとあれこれ話していたかと思うと、マナは客席に向かって手を振った。その目線の先を追えば、マナに応えて手を振っているのはシンガーだ。彼女は先ほどまで座っていた席を立ちこちらに移動して来た。それを見るなりアスタはマナから顔を逸らしてグラスを煽る。彼女を目当てに通っていた事は今更誤魔化す気はないが、突然のことにどうしたらよいのか分からなかったのだ。
アスタはそもそもダンジェやロニのように口が達者ではないし、積極的に女性に声をかけるのは得意ではない。そ知らぬフリでやり過ごそうと料理を口に運んでいると、彼女がマナの隣に座った。丁度マナを挟んで並ぶ形になり、落ち着かない心地になる。
「シンガー。今日は唄わないの?」
マナはシンガーをよく知っているようだ。何度もこの店に来ているともなれば当然なのだろう。
「まだ何を唄うか決めていないの。」
彼女の声がアスタの耳に届く。初めて聞いた歌ではない彼女の声。酒場の花とは思えないほど、彼女の声は軽やかで初夏の風のような印象だった。思わずフォークを握る手が止まってしまう。
「じゃあ、マナが決めてあげる!」
「ふふっ。じゃ、お願いしちゃおうかな。」
「えーとねぇ。えーと・・。お星様の歌がいいな。」
「お星様かぁ。」
シンガーは夜空を見るように窓の外に目を向けた。首をめぐらせると彼女の黒髪が揺れる。細い指でカウンターを叩きリズムを取っていたかと思うと、座ったまま彼女は唄いだした。
“空を見上げて 何が見える?
優しい光 色鮮やかな星
お月様が夜道を照らし 星達は歌う
ほら 夜は怖くない”
目を閉じて唄うその横顔に思わず釘付けになる。いつも客の前で唄っているのとは違い、この歌は幼い子供に聞かせる子守唄のようだった。
歌に気付いた客達は次第にしゃべるのを止め、彼女の歌に耳を傾ける。
“目を閉じて 何が見える?
たくさんの思い出 みんなの笑顔
あなたの隣に私がいて 笑って手を繋ぐ
ほら その手は温かい”
唄い終わると周りの客から拍手が起こる。隣でマナも一生懸命に手を叩いていた。彼女が照れくさそうに皆に一礼すると、こっちでも唄ってくれと客の声が掛かる。
アスタも控えめに手を叩いていた。するとそれに気付いたマナがアスタを見上げ、満面の笑みを向ける。
「素敵だった!ね?」
「あ、あぁ。そうだな。」
気恥ずかしさを隠したくてアスタはマナの頭を撫でた。それが嬉しかったのか、マナも照れくさそうに笑う。その様子を見ていたシンガーとふいに目が合った。
「マナのお友達?」
華やかにシンガーが微笑む。こうして近くで見ると思ったよりも若いようだ。酒場で働いているのなら十八歳は過ぎているのだろうが、大きな目は幼さを残している。
「うん。アスタって言うの。」
すると彼女は席を立ってアスタに手を伸ばした。
「はじめまして。シンガーです。」
「あ、アスタ、です。」
差し出された手をとる。握手なんてこれまで何度もしてきた筈なのに、妙に緊張しているせいか、それとも彼女の白い肌の滑らかさに驚いたせいか、あまりしっかりとその手を握る事が出来なかった。
「最近よく見るお顔だけど、前からこの店にはよくいらしているの?」
「あぁ。自分で作った飯を食うよりは、バールの料理の方が美味いからね。」
ふとシンガーが横を見る。客席のあちこちから二人の様子を伺っている視線が向けられていたのだ。そのほとんどが女性のもの。
「アスタさんって・・、人気あるんですね?」
「え?あ、あぁ。」
シンガーが何に対して言っているのかが分かって、アスタは困ったように眉尻を下げた。
「ごめん。気にしないでって言っても無理だよな。」
「これだけあからさまなら、まぁ。」
「今日はもう出ようかな。」
グラスを煽って中身を飲み干す。カウンターに並べられた料理も食べ終わったし、彼女と話を出来ただけで今夜は十分だろう。
「アスタ。帰っちゃうの?」
マナが名残惜しそうに自分を見ているのに気付いて、アスタは再びマナの頭を優しく撫でた。
「また来るよ。」
「約束ね。」
「あぁ。約束する。」
二人の邪魔をしないよう、シンガーは一歩離れてその様子を見ている。それに気付くとアスタは慌てて清算を済ませ、マナに手を振って店を出た。
優しい風が頬を撫でる夜道。見上げればもうすぐ半月になりそうな月が浮かんでいる。雲の少ない今夜の空では沢山の星を見ることが出来た。
(お月様が夜道を照らし 星達は歌う、か・・。)
一人歩きながら思い出すのは彼女が歌った一節。そして笑顔。
妙に浮かれている自分が居る。こんな姿を人に見られたら、恥ずかし過ぎて耐えられない。
アスタは足早に自宅へと向かった。