第二話 5.告白(4)
再び静かな夜が訪れる。シンガーはアスタの顔を見れずにいた。
「シンガー。」
びくっと肩が震える。アスタが一歩一歩こちらに近づいてくる。呼吸が止まってしまいそうだった。バクバクと心臓が鳴り続ける。アスタの声に応えることが出来ない。
「帰ろう。」
アスタはそう言ってシンガーに手を差し伸べた。恐る恐るアスタを見返す。彼は穏やかな表情でシンガーを見つめていた。
シンガーの心が揺れる。何度も何度も自分に言い聞かせた筈なのに。アスタを選んではいけないと。選べば立ち止まることになる。進み続けなければいけない道を、望み続けた自分の道を閉ざすことになるかもしれない。此処に来るまでに乗り越えてきた苦労が報われないかもしれない。
アスタの手を取ればもう戻れない。そう思うと、シンガーの体は動かなかった。
「シンガー。」
穏やかな声に惹かれるように彼の手から顔を上げる。
「俺は、君が好きだ。」
シンガーはっと息を飲んだ。アスタの顔は優しく微笑んでいて、その中にも照れを含んでいるのが分かる。その表情を見た途端、一気に愛しい気持ちが湧き上がった。
「私、私は・・・」
声が震える。言葉が出ない代わりに衝動的に体が動く。
気がつけばシンガーはアスタの胸に飛び込んでいた。彼の腕がシンガーの体を包む。アスタの体温。彼の匂い。自分を包む腕の感触。全てに眩暈を起こしそうになる。
(あぁ・・)
頭が働かない。心臓が自分のものではないような音を立てて暴れている。けれど一つだけ分かることがあった。
もう、戻れない。
* * *
灯りの消されたアスタの部屋。窓から差し込む月明かりに照らされた彼の体には沢山の傷跡が残っていた。剣や矢による傷跡。そして肩にはオオカミに噛まれた時の傷もある。
ベッドの上で自分に覆いかぶさるアスタの体を前に、シンガーはそっとその傷に触れた。
「傷だらけね。」
柔らかいシンガーの声がアスタ耳を撫でる。それは彼女の歌とは違う心地良さだった。
「仕方が無いさ。戦争中は誰もが傷だらけで戦っていた。君は、綺麗だな。」
自分の下にあるシンガーの体。白い肌には傷一つない。まるで彼女自身が光を発しているかのように、暗い室内でも眩しく感じる。
彼女の頬にアスタは唇で触れた。彼女の香りが自分を包む。
「これ、まだ痛い?」
白い指がアスタの左肩を撫でる。その手を取って、アスタは自分の頬に持っていった。
「いや。もう平気だ。」
そのまま彼女の手のひらにも唇を落とす。
「・・ダンジェさんが言ってた。」
「ん?」
「アスタさんは、家族をとっても大事にする人だから。きっとオオカミの親子のこと、助けられなくて悔やんでたんじゃないかって。」
「・・・あいつには敵わないな。」
あの時ダンジェは何も言わなかったけれど、アスタの頭の中はお見通しだったわけだ。
アスタには家族がいない。それは先の戦争で失ってしまったものの一つだ。実家に残っていた両親も、共に戦争に参加した兄も皆が居なくなり自分だけが残ってしまった。だから平和になった今、仲間達には家族を大切にして欲しいと思っている。その思いを口にすることはなかったが、彼はとっくに分かっていたのだろう。
気まずくなってしまった付き合いの長い親友のことを思い、小さく苦笑する。そしてシンガーの唇に自分のものを重ねた。角度を変えて啄ばむ様に何度か触れた後、彼女の吐息を奪うように口付けを深くしていく。
「あ、アスタさ・・。」
苦しくなったのか呼吸の合間にシンガーが声を上げた。
「でも、今は・・」
「え?」
「あいつの話はしないで。」
鼻と鼻が触れそうな距離。真面目にそんなことを言われ、シンガーは目を丸くした。
「あいつって、ダンジェさん?」
「今、君の口から他の男の名前は聞きたくない。」
それだけ言うと、再び唇を奪う。
(話しているのはアスタさんのことなのに・・)
普段穏やかなだけに、ヤキモチを妬くアスタは新鮮だった。終わりのないキスを受け止めながらシンガーは目を閉じる。段々と二人の呼吸が乱れてきて、どちらの息も熱く混ざり合う。ベッドの上で彼に抱きしめられると、肌を通して彼の鼓動を感じる。以前抱きしめられた時よりも速い彼の鼓動がまるで自分を求めているようで、嬉しくもあり恥ずかしくもあった。
そっと彼の背中に腕を回す。それに反応するように彼の唇が段々と自分の体を降りていく。
「んっ。」
アスタの大きな手のひらが自分の体を撫でると、まるでそこから熱を持ったかのようで震えてしまう。その反応を楽しむかのようにアスタは優しくシンガーの体に触れ続ける。
(好き・・・。好き、好き、好き。)
アスタに触れられる度、体の奥から溢れてくる言葉がシンガーを支配する。アスタのことだけで一杯になっていく。こんなに自分はアスタのことが好きだったんだ、と今更ながらに実感する。好きな人に触れてもらえる体が喜びを叫んでいるかのように快感が脳に伝わってくる。
(あ・・・。)
刺激に耐えるように閉じていた目を開けると、アスタが穏やかな表情で自分を見下ろしていた。その目に映っているのが自分なのだと思うだけで、触れられていない胸の奥まで快感が走る。
「ふぁ・・」
「シンガー。」
「あっ。」
体中がアスタから与えられるもので熱くなり、その熱で頭の中にある様々な思いが溶けていく。
何もかもを忘れて、一つになれるような気がした。
第二話 完
【登場人物紹介】
《第八騎士団》
・アスタ(28):実直で不器用な第八騎士団隊長
・ダンジェ=ラムス(30):アスタの親友、ラムス家次男
・トレンツェ(29):副隊長、貴族の子息
・ロニ(18):アスタを慕う赤毛の青年
・ザック(17):情報収集に長けたの新人隊員、アーロンに恩がある
・アーロン(50):元第八の副隊長、古株の一人
《イルの街の人々》
・シンガー(24):バールの店で働く異国出の歌姫
・バール(45):酒場の店主
・キャリー(19):バールの娘
・ターナ(27):バールの酒場で働く給仕
・マナ(6):ターナの娘
・イレーヌ(28):ダンジェの妻
・ミリ(1):ダンジェの一人娘
・サムエル=トルテ(46):イルの街の領主
・ソフィー=トルテ(16):トルテ家長女
・リリア=トルテ(12):トルテ家次女
・クルス=コラーシュ(19):ソフィーの恋人
《その他》
・アルフレッド=ラムス(33) ダンジェの兄
・ジェシカ=ラムス(25) ダンジェの妹
・カシム(60):ラムス家執事
・ヨハン=ファニール(45):第二騎士団副隊長
【地名・用語】
・ユフィリル:大陸の北西部に位置する小国
・イル:第八騎士団が駐在している街
・バリ:国境沿いの街
・アンバ:ユフィリルが軍事協力の為に協定を結んだ南部の大国