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第二話 1.それぞれの夜(2)

「ただいま。」


 ダンジェが家に帰ると、リビングで繕い物をしていたイレーヌが出迎えてくれた。


「お帰りなさい。早かったのね。」

「のんびり酒を交わす仲じゃないからな。」


 鍵を閉めてイレーヌが座っているロッキングチェアまで移動した。彼女の隣には養父お手製のベビーベッドが置いてあって、二人の愛娘が既に静かな寝息を立てている。それを見ると自然と口元に笑みが浮かび、ダンジェは彼女を起さないようそっと頬を撫でた。温かく柔らかい感触が指に伝わり、先程までのイライラが和らぐ。

 その間にイレーヌはお茶を淹れてくれていた。二人分のカップを持ってリビングに戻ってくる。


「あぁ。ありがとう。」


 イレーヌからカップを受け取ると、ダンジェはベビーベッドから離れてソファに座った彼女の隣に腰を下ろした。


「お父様のお葬式はいつなの?」


 カシムがこの家に来て告げたのは父の訃報だけで、詳しい事は話していない。ずっと気になっていたのだろう。当然ダンジェの父の葬式となれば妻であるイレーヌも出席すべきだが、幼い娘を連れて長距離を移動するのは難しい。


「三日後だ。この家にはミリがいるし、葬式には俺一人で行くよ。」

「・・・いいの?ミリのことなら母さん達に預けても構わないと思うけど。」


 気遣ってくれるイレーヌの言葉にダンジェは首を横に振った。


「ミリのことだけじゃない。実は、今誰があの家を継ぐかで揉めてるらしいんだ。そんな所にお前を連れて行きたくない。」


 膝の上に置かれたイレーヌの手をダンジェの大きな手が覆う。彼女は夫らしくない苦痛に満ちた表情に、それが深刻なのだと悟った。


「お義兄さんが継ぐんじゃなかったの?」

「カシムの話では、お袋が兄貴じゃなく俺に継がせたいと言ってるらしい。断わったけどな。」


 そう言ってカップの中のお茶に口をつける。イレーヌが好きな花茶で、眠る前にいつも淹れてくれるものだ。


「お袋は俺に継がせる為に、わざわざ他の家との見合い話まで持ってきやがった。」


 一度ぎゅっとカップを持つのとは反対の手で彼女の手を握る。カップをローテーブルに置くと、ダンジェは対面するように顔を向けた。


「イレーヌ。俺の妻はお前だけだ。」


 言葉と共に彼女の手にキスを落す。それは子育てや家事の為に荒れた手だった。貴族の娘とはまるで違う。だが、誰よりも愛しい者の手だ。

 すると彼女は憂うのではなく、ダンジェに快活な笑みを見せた。


「当たり前でしょ。私とミリを捨てようとしてごらんなさい。地の果てまで追っかけてやるわよ。」

「はははっ。流石俺の嫁だ。」


 こういう所が妻の魅力だと思う。彼女はどこまでも前向きで、いつかやってくるかもしれない幸せを待っているような性格ではない。男性の後ろで守られているのではなく、自分の足で進んでいける。そういう女性。

 ジェシカとは正反対だな、とダンジェは思った。


「イレーヌ。一つ頼みがあるんだが。」

「何?」

「妹がいるって話をした事があっただろ?」

「えぇ。確かジェシカさん、だったかしら。」

「あぁ。親父が死んで、兄貴がでかい顔をするようになれば増々あの家には居づらい筈だ。」

「放っておけないのね。」


 カシムからジェシカの話を聞いた時からずっと考えていた。どうにか妹をあの家から出せないかと。自分はここで仕事も家庭もある。こんな機会でもない限りは実家に戻る事はない。彼女を説得して連れ出すなら今しかないのだ。


「スマン。」

「馬鹿。どうして謝るの?あなたの妹さんなら私の義妹でもあるのよ?」

「イレーヌ・・。」

「二人でこの家に帰ってきて。」

「あぁ。」


 彼女の言葉が嬉しくて、ダンジェは妻をぎゅっと抱きしめた。実家の農業の手伝いもしている彼女はお世辞にも色白とは言えない。けれど健康的な肌はダンジェにとって魅力的で、娘に触れたように彼女の頬に指を滑らせる。そのまま唇に移動してそっと撫でると、それが合図であるかのようにイレーヌが目を閉じる。そしてそのまま唇を重ねた。

 すると、するするとダンジェの手が腰から背中に伸びて彼女の服を捲り上げる。裾から入った大きな手が彼女の背中を撫でるのに気がついて、イレーヌは抗議するように唇を離すと夫を見上げた。


「ちょっと、ダンジェ!」

「ごめんごめん。なんか我慢できなくて。」

「もう!」


 口では謝っていても彼の手の動きは止まりそうにない。


「そこでミリが寝てるのに・・。」

「赤ん坊は寝るのが仕事って言うだろ?そう簡単に起きないよ。」


 そう言ってダンジェは再び妻の唇を塞ぐ。


(まぁ、いっか・・・)


 夫がやけに幸せそうな顔をしているので、イレーヌはもう何も言わなかった。






 翌日。一日の勤務が終わり、ダンジェは隊長室に向かった。ノックをして許可が下りてからドアを開ける。アスタは大きなデスクで城に提出する為の報告書を書いていたようだが、書類から上げたその顔はなんだか覇気がない。


「悪いな仕事中に。」

「いや。適当に座ってくれ。」

「あぁ。俺の用事はすぐに済むからこのままでいい。」


 ダンジェはアスタの前まで来るとデスクに広げられた書類を眺めた。大した量もないし、アスタが疲れるほどではないと思うのだが。

 その視線に気付いたアスタは首を傾げた。


「用件は?」

「あ、あぁ。急で悪いんだが、明日から三日ほど休みが欲しいんだ。」

「何かあったのか?」

「明後日親父の葬式なんだ。」


 そう告げたダンジェの表情は、アスタから見てもそれほど気落ちしてはいないようだった。


「・・そうか。こちらでは何もしてやれなくてすまないな。」

「いや。構わないさ。貴族暮らしで好き勝手やってたんだ。親父も大往生だろ。だが、実家に帰るには、ここから移動に丸一日はかかるからな。急なことで申し訳ない。」

「何言ってるんだ。ずっと帰っていなかったんだろう?たまにはもっとのんびりしてきたらどうだ?」


 だがアスタの提案にダンジェは肩を竦めた。


「詳しい事は今度ゆっくり話すが、実家の方がゴタゴタしててな。出来るならのんびり留まっていたくないんだよ。」

「そうなのか・・。」


 アスタには実家というものが無いので良く分からないが、ダンジェのように貴族の家柄なら色々と問題があるのだろう。何より本人が今度話をしてくれると言うので、アスタもそれ以上は聞かないことにした。


「それで?お前の方はどうした?」

「え?」


 突然ふられた問いにアスタは目を丸くする。


「俺より辛気くせぇツラしてるくせに。何かあったんだろ?」

「・・・・。」


 アスタ自身は気付いていないがどうやら顔に出ていたらしい。元々隠し事が得意ではないのだ。特にこの親友の前では。

 アスタは一つ溜息をつき、昨夜酒場で客達に言われた事をそのまま話して聞かせた。それが終わると引き出しの中から白い封筒を取り出してダンジェの前に差し出す。


「これは?」

「今日トルテ侯爵の使いの人が持ってきた。次女の誕生日パーティーの招待状だそうだ。」


 噂は噂に過ぎないだろうとどこかで高を括っていたのだが、それは今日の昼に間違いであったことを知らされた。トルテ侯爵の使いがここを訪れ、アスタにこの招待状を渡していったのだ。誕生日パーティーとは銘打っていても、今までトルテ候からそういった行事に招かれた事は無い。


「要はここで長女のお嬢さんとお前を引き合わせるつもりなんだな?」

「・・・そう言う事だろうな。」


 それだけ言うと、アスタは肩を落として溜息をついた。


「見合いを受けるつもりはないのか?」


 まさかダンジェから見合いを勧められるとは思っていなくて、アスタはがばっと顔を上げて親友を見た。彼はあくまでも冷静な顔で招待状を見下ろしている。


「まさか・・。貴族の家に婿入りする気なんてないさ。」

「そうか。じゃああっちは?」

「あっち?」


 一体その言葉が何を指しているのか分からず首を捻る。するとダンジェは意地の悪い笑みを浮かべた。


「歌姫のお嬢さんだよ。お前のお気に入りの。」

「なっ・・・・!!!」


 途端にアスタの顔が真っ赤になる。皆まで言わずとも理解したようで、それを見たダンジェの笑みが深くなった。


「成る程ねぇ。」

「・・何が成る程なんだよ。」


 意地になって言ってはみるものの、耳まで真っ赤になった顔は誤魔化せない。アスタは恥ずかしい思いと共になんだか悔しくなってくる。アスタがいくら言い訳をした所で結局この親友はお見通しなのだろう。


「いいんじぇねの。パーティーに行って、はっきり惚れた女がいるからお嬢さんとお見合いは出来ません、って言ってくれば?」

「そう簡単にいくものなのか?」

「さぁ?トルテ侯の本気具合によるかもな。」

「はぁ・・。」


 結局悩みの種はなくならず、アスタは深い溜息をついた。

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