第一話 5.決着
翌日。アスタは一人で動こうと決めていた。いつも朝にザックが隊長室を訪ねてくる。そこで軽く打ち合わせをしてから街へ聞き込みに出かけるのが最近のやり取りなので、アスタは隊長室で彼が来るのを待っていた。それから今日は別々に動こうと提案すればいい。
アスタがソファに腰を下ろしてから十分ほどでザックが顔を見せた。
「おはようございます。隊長。」
「あぁ。おはよう。座ってくれ。」
「はい。」
ザックが静かに腰を下ろす。立っていても座っていても彼は姿勢がいい。騎士団に入る前は街で親を失った子供達の面倒を見ていたらしいが、元々はそれなりに良い家の出だったのかもしれない。
アスタが今日のことを話そうとする前にザックが口を開いた。
「実は、ご報告があるのですが。」
「あ、あぁ。話してくれ。」
ザックは普段から表情豊かとは言えないが、それでも彼の真剣な雰囲気から重要な事だろうと感じ取った。そしてその読み通り、彼からの報告にアスタは息を飲んだ。
「実は、シンガーさんの噂は一人の男が故意に流しているものだと分かりました。」
「・・故意に?」
「えぇ。彼の意図は分かりませんが、以前私達が推測したように反感とシンガーさんのことが混ざって自然に出来た話ではなく、彼女が謀反を誘導していると話して回っていたんです。」
何故、と言いそうになってアスタは開きかけた口を閉じた。本意はその男しか分からないだろう。ならば本人から話を聞くしかない。
「その男の正体は分かってるのか?」
「はい。以前お邪魔したトトさんの畑で下働きをしている、ノルマンという男です。」
「ノルマン!!?」
驚きから、思わず大きな声になってしまう。やはりバールの酒場にいたあの男はノルマンで間違いなかったのだ。しかもノルマンがシンガーを貶めるような噂を流している。
(一体、どういう事だ・・・。)
驚愕に表情を塗り替えたアスタを、ザック自身も驚いて見ていた。
「隊長・・。ノルマンをご存知なんですか?」
戦時中騎士団にいた人間ならノルマンのことを知っているだろうが、彼が処分された後に入ってきた若い者達は当然知らない者が多い。どう話すべきか迷ったが、ありのままを話すしかなかった。
「若い連中は知らないだろうが、以前第二騎士団にいた男だ。戦後婦女暴行の罪で罰せられ、騎士団から除名になっている。」
「・・騎士団にいたんですか。」
「あぁ。ノルマンなんて珍しい名前ではないが、俺もダンジェも奴に似た男をバールの店で見た事がある。同一人物で間違いないだろう。」
思わずアスタは膝の上で拳を握りこんだ。
嫌な感じだな、と言ったダンジェの言葉が蘇る。あの時声をかけておけば良かったのか。だが、あの時はアスタもダンジェも例の噂とノルマンの関係など知らなかった。どちらにしても何も出来なかったのだ。
「・・どうしますか?」
ザックが珍しく不安げな声を出した。元騎士、と言っても相手は過去罪を犯した人間。余計な配慮は必要ない筈だ。そう結論付けてアスタは顔を上げた。
「噂を流しているだけなら罪とは言えないが、それでもノルマンから話を聞く必要はある。連行して聴取だな。」
「はい。」
そこからしばらく打ち合わせをして、二人は隊長室を出た。
昨夜のシンガーの表情が蘇る。真っ直ぐ射抜くような目。あの時は責められていると思ったがそうではない。彼女の意志の強さに後ろめたさがあったアスタが勝手に罪悪感を持っただけだ。
彼女は強い。女性一人で旅をするには誰に頼る事もなく、自分で自分を守らなければならない。だからこそ持ちえる強さ。だからこそ美しい。それはアスタを惹きつけた。一人で立とうとしているからこそ、彼女に手を伸ばしたくなるのかもしれない。せめて彼女が傷つく事のないよう、彼女の生き方を邪魔するものがないよう、自分に出来ることをするだけだ。
腹を決めて前を見る。詰め所を出ると外の眩しさに思わず目を細めた。空は綺麗な快晴だった。
* * *
男は塩焼きされた川魚をつまみに酒を呑んでいた。他の客に比べればテーブルの上は幾分寂しいが、思う存分料理を注文できる程の金は持っていない。穀物畑の下働きの給料は以前の職とは比べ物にならないくらい少なかった。
幼い頃から畑仕事などした事がなく、中級貴族の三男に生まれた彼は騎士になるべく育てられてきた。家督を継げない身ならば戦で功績を上げて名誉を勝ち取るしかない。彼の親はそう考えていたらしい。けれどそれなりの我儘を貫く事の出来た環境で育った彼に、騎士団への入隊は生易しいものではなかった。家の名前である程度の融通は利くものの、戦に出ればそれも無意味。国の為に命をかける事に誇りなど感じない男は、仮病を使って後方支援に回ることが多かった。ならば当然何の功績も残せる筈がない。同僚達が次々と手柄を立ていく中、その男――ノルマンはやり場のないストレスを抱え込む事となった。戦が恐ろしい自分。昇進する同僚。期待する家族。抱えきれないそれらの感情の矛先は、檻の中で怯える弱者――捕虜となった女性達へと向けられたのだ。一度犯した罪がバレなければ気が大きくなる。ノルマンが手にかけたのは一人や二人では済まなかった。
事件が明るみになり、ノルマンは騎士団より除名処分となった。同僚達もそして家族でさえノルマンの話に耳を貸さなくなり、恥知らずと罵られた。家から縁を切られた彼に最早行く場所などない。王都から離れた辺境の地で、自分の事など知らない街でやり直すしかなかったのだ。
(そうだ。やり直すんだ。)
ノルマンはグラスの中で揺れる酒をじっと見つめた。そこにはやせ細った自分が映っている。顎がとがり頬がこけ、目の周りが落ち窪んだ自分の顔。まさに惨めなその様相。けれどそれも変わる。変わってみせる。もう一度這い上がるのだ。
目を店内に向けるとその先には一人の女性がいた。この国では見かけない真っ黒な髪。穏やかな表情で客と会話を交わしているその姿を見てノルマンはほくそえんだ。
異国の娘。酒場の歌姫。彼女のお陰で自分はやり直せる。そのチャンスを掴む事が出来る。
グラスが空になった事に気付き、追加の注文をしようとノルマンは給仕の姿を探した。すると後ろに人の気配がして声をかけようと振り返った。
「あ・・・。」
だがノルマンは注文することが出来なかった。彼の後ろにいたのは店の者ではない。ブラウンの髪の自分よりも若い青年。筋肉質な腕が服の袖から伸び、一見どこにでもあるような私服の腰元のホルダーには剣がかかっていた。ノルマンも見知っているそれは、この国の騎士団が持つ事が許される一振り。それに気付いてノルマンの顔が青くなる。
とっさに視線を彼の顔に移すと、間違いなく自分をじっと見下ろしていた。
「ノルマンだな?」
第八騎士団がこの街の端に位置する国境を警備している事はノルマンも知っている。だが、目の前の男の事は知らなかった。自分が騎士団にいた頃の第八の隊長や副隊長ではない。平の兵の顔など逐一覚えている筈もない。
質問に答えないノルマンの表情を見て、アスタは肯定だと受け取った。
「俺は第八騎士団の隊長アスタ。あなたに窺いたいことがある。ご同行願えますね?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
有無を言わさぬ構えのアスタの態度に、ノルマンは慌てて立ち上がった。
「話があるのは俺も同じなんだ。アンタ達に聞いてもらいたいことがある。」
早口でそう言い、ノルマンはぎこちない動きでアスタに身を寄せた。アスタは表情を変えないまま、自分より背の低い彼の顔を見下ろす。
「俺、王家への謀反を企んでいる奴を知ってるんだ。そいつの名をアンタに教えてやる。アンタはそれを自分の手柄にしたっていい。」
(そういう事か・・・)
媚びるような目付きのノルマンを見て、全てのことに合点がいった。最初からこの男はこうするつもりだったのだ。シンガーを謀反の犯人に仕立て上げ、彼女を訴えることで騎士団もしくは王家に恩を売ろうとしていたに違いない。
「そうか。だがその話自体、お前の自作自演であることは調べがついている。」
途端にアスタから冷たい目を向けられ、ノルマンの背筋に悪寒が走った。彼の声は穏やかな筈なのに、圧倒的な何かがノルマンの精神を追い詰める。戦時中、前線で剣を振るい続けてきたアスタからのプレッシャーを戦から逃げていたノルマンでは受け止めることなど出来る筈もない。
目の前の男は懐柔出来ない。そう判断したノルマンの動きは素早かった。アスタから離れ、店の出口に向かって走り出そうとする。だがアスタはそれを見逃さなかった。一歩足を出して出口への道を塞ぐ。するとノルマンは座っていた椅子を持ち上げ、アスタに向かって振り下ろした。帯刀していても店の中で、まして武器を持たない相手に剣を抜く気は最初からない。アスタはその椅子の足を掴みぐいっと引き寄せた。椅子の足を握ったままだったノルマンは勢いに負け、その体勢のまま床に倒れこむ。アスタが椅子を離すと、床にぶつかったそれが鈍い音を立てて転がった。その音を聞き、周りの客達が何事かと二人に目を向ける。
アスタはすばやく彼の背に跨りその腕を捻り上げた。苦しそうな声を漏らしながら、それでもプライドがあるのか首を回してアスタを睨みつける。だがそんなものは何の意味もない。するとノルマンはシンガーに向かって声を張り上げた。
「あの女が悪いんだ!国の裏切り者だ!あんな女を庇うお前も騎士団も皆裏切りものだ!!お前ら全員罰せられればいい!!」
突端に店中の目が客席にいたシンガーに向けられる。全ての恨みを込めたノルマンの視線を受けてシンガーは顔を青くした。困惑の表情でアスタを見つめ返すが、アスタが彼女と目を合わせることは無かった。
店の外で待機していたザックが素早くノルマンの手首を縄で縛り上げ、ダンジェ達と共にノルマンを詰め所まで連行すべく店を出る。その間もノルマンは醜く喚き続けていた。
ザック達が去り店に静寂が訪れる。アスタは唖然としている客達に向かって頭を下げた。
「第八騎士団隊長のアスタです。お騒がせして申し訳ありませんでした。」
ざわざわと喧騒が店に広がり、好奇の目が向けられる。だが事の次第を彼らに説明することは出来ない。
どうするべきか悩んでいると、バールがカウンターから出てきてアスタに声をかけた。
「こりゃ、一体どう言う事だい?」
ノルマンが暴れたせいで椅子は破損し、落ちて割れた食器やグラスが散乱している。アスタは再度軽く頭を下げた。
「バール、すまない。あの男の処分が決まるまでは詳しい事は話せないんだ。破損してしまったものは必ず弁償させるよ。」
「まぁ、それなら俺は構わないが・・。」
ちらりとバールは顔色の悪いシンガーを一瞥した。その視線に気付いたアスタは不器用な笑みを浮かべる。彼女が裏切り者だと叫んだノルマンの声は店中の者が聞いていただろう。彼の意図を説明出来ないにしても、誤解は解いておかなくてはならない。
「彼女は巻き込まれただけだ。あの男とは関係ないし、なんの罪もない。」
「・・そうか。」
それだけで納得してくれたようで、バールも笑みを返してくれた。思わず安堵の息をつく。自分の至らなさのせいでシンガーが店をクビになってしまったのでは元も子もない。
「それじゃ。」
「隊長さん。」
「?」
アスタもすぐに詰め所に戻ってノルマンの取調べに参加しなくてはならない。店を出ようと踵を返すと、立ったままのバールがアスタを見て笑っていた。
「これだけ暴れてくれたんだ。また呑みに来てくれるんだろうね。」
「あぁ。約束する。」
先に詰め所に向かった仲間達を追って店を出る。道を進むと、しばらくして声が掛かった。
「アスタさん!」
声の主は振り返らなくても分かる。一度小さく息を吐くと、アスタは後ろを振り返った。
アスタの目線の先。白のワンピースを纏ったシンガーの瞳は不安気に揺れていた。夜の空のような漆黒の髪は艶やかで真っ直ぐ背中に流れている。今日初めてまともに見る彼女の姿はどこか儚げだった。店内にいた時も視界の隅で彼女が自分の方を見ているのが分かっていたが、アスタは目線を合わせようとはしなかったからだ。
「あの、私・・・。」
声をかけたものの、その後が続かないようだ。アスタは黙って彼女の言葉を待つ。気を使っている訳ではない。アスタも何を言えばいいのか分からなかったのだ。
アスタが待ってくれているのに気付いたのか、しばらくしてシンガーは頭を下げた。
「ごめんなさい。前に失礼な事を言ってしまって。」
先日アスタを責めるような言動をしてしまったことを謝っているのだろう。けれどその必要はない。アスタが彼女を疑ったのは確かだったのだから。
「いや。いいんだ。君が言った通りだよ。」
「え?」
顔を上げ、驚きの表情でシンガーはアスタを見返した。
「全部が全部ではないけど、君の噂を調べに店に行った事もある。俺の方こそ、君を疑うような真似をしてしまってすまなかった。」
「そんな・・。いいんです。よそ者なら仕方のないことですから。」
彼女の表情に翳りがさす。よそ者だからという理由だけで、今までどれだけ辛い目にあってきたのだろう。けれどアスタには彼女にかける言葉が見つからない。
「アスタさん。」
「ん?」
「また私の歌聴きに来て下さいね。」
彼女が微笑む。客の前で見せるのとは違う笑み。小さな子供のような、友達に向けるような他意の無いそんな表情にアスタも笑みを浮かべた。アスタにも分かるほど、以前まで感じていた壁が今の彼女にはない。
「あぁ、ありがとう。」
アスタの口元が自然と緩む。爽やかな夜風が通り抜けると肩にかかった彼女の髪が揺れる。月光を受けて光る黒髪が美しくて、思わず目を細めた。
後ろ髪を引かれる思いで彼女と別れ、アスタは一人詰め所に向かって星の見える空の下夜道を歩いた。心が軽く感じるのは謀反の騒ぎを起していた犯人を捕まえる事が出来たからではない。あの夜絶望的に感じた彼女との関係に再び希望が見えたからであった。
第一話 完
【登場人物】
《第八騎士団》
・アスタ(28):実直で不器用な隊長
・トレンツェ(29):副隊長、貴族の子息
・ダンジェ(30):アスタの親友、田舎貴族の次男
・ロニ(18):アスタを慕う赤毛の青年
・ザック(17):第八の新人隊員
・アーロン(50):元第八の副隊長、古株の一人
《街の人々》
・シンガー(24):バールの店で働く異国出の歌姫
・バール(45):酒場を経営する店主
・キャリー(19):バールの娘
・ターナ(27):バールの酒場で働く給仕
・マナ(6):ターナの娘
・イレーヌ(28):ダンジェの妻
【地名・用語】
・ユフィリル:大陸の北西部に位置する小国
・アンバ:ユフィリルが軍事協力の為に協定を結んだ南部の大国
・バハール:ユフィリルに侵攻した隣国