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第一話 4.疑惑(4)

 

 * * *


 その日、一日の勤務を終えたアスタは真っ直ぐ自宅へと向かっていた。駐屯地から自宅までは歩いて三十分。詰め所でも寝泊りは出来るが、基本的には自宅へ帰るようにしている。上の者がいつまでも詰め所にいたのでは騎士達の息抜く間がないし、自分でも気を緩めることが出来るからだ。駐屯地から距離のある場所に家を持ったのも気持ちを切り替え易くする為だった。

 元々歩くのは嫌いじゃない。春から夏に変わる心地の良い夜風を肌に感じながら、アスタは街を南西に走る道を歩く。駐屯地と自宅の間にある食料品や衣服を売る店舗が並ぶ商店街や酒場が集まっている所だ。バールの酒場もここに位置していて、それらを横目に道を進むと酒場から漏れる喧騒に紛れて女性の声が聞こえてきた。


「違います!」


 職業柄か、気になってアスタは声の方に鋭く視線を走らせる。そこはすでに閉まった店舗と店舗の間。人通りのない細道だった。

 足音を殺しながらそちらに近づく。すると段々声がはっきりと聞こえてきて、男性と女性が何か揉めているのだと分かった。痴話喧嘩なら他人が首を突っ込む事でない。

 アスタは店舗の壁に身を寄せて様子を窺った。


「・・っだよ。金なら払うって言ってんだろ。」

「私はそんなことしません。離してください!」


 女性の声に覚えがあってアスタの思考が止まる。聞き間違える筈がない。声の主は間違いなくシンガーだ。状況を判断する前に飛び出すなど自分らしくないが、彼女の声だと認識した途端、衝動的に路地へ足を踏み入れていた。

 そこに居たのは若い男と彼に手首を掴まれたシンガーの二人。アスタよりも年下の酒の匂いがするその男は彼女に迫っていたようだ。男は突然現れたアスタを睨みつけ、シンガーは驚きで目を見開いた。


「・・アスタさん。」


 アスタは迷わず彼女の手首から男の手をもぎ取り、そのまま後ろに捻り上げた。


「いってぇな!テメェ誰だよ!」

「彼女の友人だよ。ここで何をしていた?」

「関係ねぇだろ!離せ!!」


 いつまでも喚き散らす男の声を聞く趣味はない。アスタは路地から押し出すように男の腕を離した。その反動で男が路地の出口に向かって転がる。立ち上がり様アスタを見上げるが、自分を睨みつけている男が鍛えられた肉体を持っていることに気付き、敵わないと悟ったのか舌打ちだけ残してその場から早々に立ち去っていった。


「大丈夫?」

「あ、・・はい。ありがとうございます。」


 彼女に向き直り様子を窺うが、礼の言葉を口にしていてもそこに笑顔はない。よほど怖かったのだろう。彼女の表情は硬かった。一瞬だけ彼女の全身を見て、衣服の乱れがないことを確認するとアスタは安堵の息を付いた。


「今日仕事は?」

「今日は、お店お休みなんです。」

「そうか。店まで送るよ。」


 そっと彼女の肩を押してアスタは路地を出た。そのまま大通りまで出てバールの店へ向かう。


「よくあるのか、ああいう事。」


 ちらりとアスタを見上げて彼女は苦笑した。


「えぇ、まぁ。私みたいな商売していると、しょうがない事なんですけど。」


 金を払う、と男は言っていた。恐らく体を売っていると勘違いされたのだろう。流れ者なら売春も珍しくもない話だ。酒場の歌姫と言えば聞こえは良いが、彼女のことをそういった商売をしていると誤解している者も客の中にはいるだろう。

 アスタは以前、自分も同様の疑いを持ってしまったことを深く後悔した。当然彼女はそういった男達に声をかけられる度に不快な思いをしていたに違いない。


「最近は、歌のことでも言われる事があって。」

「え?」


 アスタが店にいる時、いつも客達は沢山の拍手を彼女に送っている。その表情を見れば、それが義理やその場だけのものではない事は十分に分かる。歌について不満を持っている者などいるとは思えない。もしかしたら、あの噂のせいなのだろうか。

 彼女は冴えない表情で言葉を続けた。


「お客さん達の話だと、私の歌が問題になっているんですって。」

「歌が、問題?」

「えぇ。私の歌を聞いた人が、謀反を誘導する歌だって訴えたらしいんです。」

「え?」


 その言葉にアスタは目を見開いた。まさか彼女の口から謀反の話が出るとは思わなかった。アスタ達は国府への不満が噂として出回るうちに大きくなって謀反などと言われるようになったのでは、と予想を立てていたのだから。

 けれど歌の中に謀反を誘導するようなものなどあっただろうか。彼女の歌はユフィリルにはないものばかりだ。王や国ではなく一人一人に向かって問いかけるような、メッセージを伝えるような、そんな詩の歌が多い。だが、アスタが聴いてきた彼女の歌の中に謀反を連想させるような物騒なものは無かった。


 店舗の集まった通りから少し離れた場所で彼女が立ち止まる。それに気付いてアスタも足を止めた。遠くで虫の鳴く声が聞こえている。

 彼女の顔から笑みが消えた。


「だから最近バールさんのお店に騎士の人達が出入りしているのは、私の事を探る為だって。」

「・・・・・。」

「本当ですか?アスタ隊長。」


 真っ直ぐな彼女の黒い瞳が向けられる。それは暗にアスタを責めていた。彼女に自分が騎士だと話した事はない。けれど彼女は分かっていたのだ。


「・・・。俺の事、知ってたのか。」

「えぇ。バールさんに聞きました。」

「そうか。」


 それ以上アスタは何も言えなかった。

 シンガーの事を知ってから頻繁にバールの店に通っていたのは最初から彼女のことを疑っていたからではない。それは仲間達も同様だ。しかしそれを説明した所で何の意味があるだろう。実際アスタが彼女を疑った事があるのも、噂を探ろうと動いていたのも全て真実なのだから。

 責めるように彼女の真っ直ぐな目が射抜く。アスタは自分の中で何かが音もなく消えていく気がした。それと共に彼女の前で笑顔を作る力がなくなっている事に自分でも気付いていた。






 自宅に着くとアスタはそのままベッドに突っ伏した。今夜は何もかも投げ出したくなるような気分だけれど、基本的に規則正しい生活を送っている彼はそのまま寝てしまう事も出来ず、やがて溜息を付いて立ち上がる。キッチンで鍋の中に残っていた肉と野菜のスープ、パンを温め夕食を済ませた。

 風呂に入り、部屋に戻るとキッチンの隅の置かれた酒のボトルが目に付いた。傷が完治するまで酒を呑む気はなかったが、今日は無性に呑みたい気分だ。

 グラスに琥珀色の酒を注ぎ、そのまま一気に飲み干す。つまみがないのが残念だが構わずグラスに次を注いだ。舌に残るまろやかな味。部下から貰った見舞いの品で、上等な酒だったがそれを楽しむ余裕はない。思ったよりもダメージを受けている自分に、アスタ自身驚いていた。


(なんだ。俺・・・・)


 グラスの中の液体を見つめる。そこにはランプに照らされた冴えない顔をした自分の顔が映っている。


(彼女の事、結構本気だったんだ・・・)


 先日。ダンジェはシンガーが心を許してくれているのではないかと言っていた。それを聞いた時舞い上がっていた自分を今もでもはっきりと覚えている。嬉しかったのだ。少なからず想いを寄せる彼女が自分を近しい存在だと認めてくれた気がして。

 けれど真相は違った。あの時もアスタとダンジェが彼女のことを疑って店に来たのだと、シンガーは思っていたのだ。最近店に行くと彼女が必ず声をかけてくれていたのも、好意からではなく自分から何かを聞き出そうとしていたのかもしれない。もしくは疑いを晴らす為に取り入ろうとしていたのか。

 何を弁解してももう遅いだろう。彼女にとって自分は疑いを向けている存在。そんな相手に好意を持っている筈がない。全て勘違いだったのだ。


(情けないな・・。)


 再びグラスの中を空にする。こんな時、自分の酒の強さが嫌になった。そう簡単にアスタは酔わない。酔ってしまえば腹の中に溜まったものも、胸を痛める原因も忘れて眠りに付けるだろうに。だが、美味く感じない酒は中々進まない。悪循環だ。

 グラスをテーブルに置くと、足を投げ出してベッドに寝転がった。見慣れた天井が見える。けれど眠気は降りてこない。


(これも失恋、か・・。)


 彼女との出会いはアスタにとって確かに恋だった。単に好意を持っている、好感を持っているのではなく、彼女の笑顔を見て愛しいと思う自分が居た。幼い頃の恋とはまるで違う。実らなかった恋がこれ程自分の胸を抉るのをアスタは初めて経験していた。

 この歳で失恋に苦しむなんて、情けなくて笑うことも出来ない。


(そう言えば、謀反を誘導する歌ってなんだ?)


 はっとその事を思い出してベッドから上半身を起こす。あの時は彼女の目に思考を奪われ、詳しく聞きだすことが出来なかったが、そんな歌が本当にあっただろうか。少なくとも周りがそう感じるような歌を彼女が唄っていたのだとしたら、謀反を企んでいる犯人はシンガーだという事になる。本人にその意思があろうとなかろうと関係なくだ。

 アスタはあの時追及できなかった事を悔やんだ。こうなってしまっては、彼女はアスタに何も話してはくれないだろう。それは一緒に酒場を訪れた事のある仲間達も同様だ。けれど、もし他の騎士に彼女のことを話せば、問答無用で謀反の罪を着せられてしまうかもしれない。


(どうする?)


 自分の失恋などと言っている場合ではない。このまま噂が広がれば、アスタでなくとも彼女が疑われている事に皆が気付く。その前に事を収めなければ彼女はこの街に居られなくなる。


(とにかく真実を確かめなければ。)


 彼女への想いは忘れ、そのことだけを考えよう。

 アスタは明日に備えて目を閉じた。警備と訓練で疲れた体にやがて眠気が降りてきて、夢を見ることなく夜は過ぎていった。

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