第一話 4.疑惑(3)
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今日も多くの客で賑わう酒場でアスタはダンジェと共にテーブルについていた。角に位置するテーブル席で、ここからなら店全体が見渡せる。テーブルの上には焼いた川魚にピクルス、から揚げなどダンジェの好きな料理が並び、彼がバルム酒を飲んでいるのに対し、向かいに座るアスタは以前と同じお茶を飲んでいた。
「で?なんだよ、改まって。」
ダンジェは上手い料理に舌鼓を打ちながらアスタを見る。今日はアスタがバールの店に誘いをかけていた。話がしたいと言って、ここまで連れてきたのだ。アスタは一度店内を見渡してから口を開いた。
「ノルマンって覚えてるか?」
先ほどまで上機嫌で酒を呑んでいたダンジェの顔色が変わる。グラスから口を離し、苦々しい表情で「あぁ、あの騎士団のツラ汚しか」と吐き捨てた。
「まだ見習いの頃、あの男がいた第二騎士団の補給係を手伝った事がある。その時に会ったよ。ロクに話をした覚えもないけどな。」
ノルマンが起した事件の事も良く覚えているようで、それを語るダンジェの顔には不愉快と貼り付けられていた。
「それがどうした?」
「実は、ノルマンに良く似た男を見かけたんだ。」
「・・ここでか?」
「あぁ。俺が前に見た時よりも大分痩せていたんだが、どうにも気になってな。」
するとアスタ達を見つけたシンガーがグラスを持って席にやってきた。今日は給仕の必要が無い様でエプロンはしていない。真っ直ぐな黒い髪をそのまま背中に流している。
「こんばんは。アスタさん。ダンジェさんも。」
「やぁ。」
笑顔で挨拶を交わす二人を見て、ダンジェは何を思ったのか「俺はついでか」と口を尖らせる。
「そんなことありませんよ。」
シンガーは笑って、アスタの隣の席に腰を下ろした。
「奥様はお元気ですか?」
「あぁ。そうか。アンタはイレーヌに会ったことがあるんだったな。」
「えぇ。とっても綺麗な方でした。最初はアスタさんの恋人かと思ったんですけど。」
それを聞いてアスタは思わず咳き込んでしまった。
「なっ・・。」
「おいおい。お前勘違いされるような事をイレーヌとしてたんじゃないだろうな。」
「そんなわけあるか!」
苦しそうに咳き込みながら、アスタは向かいのダンジェを睨みつける。一方、シンガーは二人のやり取りを見ながらくすくすと笑っていた。
「シンガー。変な事言わないでくれよ。」
「すいません。お茶のお代わりもらいましょうか?」
「あぁ。ありがとう。」
やけに親しげな雰囲気に、ダンジェは黙って二人の様子を眺める。その視線に気付いたアスタは眉根を寄せて見返した。
「なんだよ。」
「いや、別に。」
ダンジェはそっぽを向いて酒を煽った。その顔がやけに楽しそうでアスタは納得がいかない。それを誤魔化すようにダンジェはシンガーに話しかけた。
「今日はまだ唄わないのか?」
「えぇ。そうですね。いつも唄うタイミングを決めているわけではないので。最近は大体お客さんからリクエストを貰って唄う事が多いんです。」
「じゃあ、俺がリクエストしようかな。」
そう言って、グラスをテーブルに置くと腕を組んで考える仕草をした。
「アンタ前にこの国の歌を覚えたいって言ったけど、あれから何か覚えたのか?」
「えぇ。『春の賛歌』を教えて貰いました。」
「じゃあ、それ。唄ってくれよ。」
「はい。」
微笑んでシンガーが立ち上がる。カウンターとテーブル席の間にある空いた場所に行くと、いつもの様に優雅に一礼した。途端にお客の目が彼女に集まる。他の客と同様アスタも笑顔の彼女を目で追った。
やがて彼女の口から流れ出るメロディーに皆が耳を澄ませる。ユフィリルに古くから伝わる誰もが知っているこの曲に、彼女と共に口ずさむ者もいた。皆に囲まれ美しい旋律を紡ぎ出す彼女は誰よりも綺麗だ。
ふと、視線を感じてアスタは目の前の男を見た。するとダンジェはにやにやとした笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「・・なんだよ。」
「お前、いつから彼女と仲良くなったわけ?」
「別に・・。仲良いって言ったって、普通に話をする程度だろ。」
どんな顔をすればいいのか分からずに、顔に力を入れると自然と眉間に皺が寄る。だが動揺しているのがバレバレのようで、ダンジェは更に笑みを深くした。
「ほー。俺には随分彼女がお前に気を許してるように見えたがなぁ。」
(え・・。)
その言葉に思わず顔が熱くなる。それが本当ならアスタにとっては喜ぶべきことだ。シンガーは毎日沢山のお客さんを相手に笑顔を振りまいている。だから最初の頃は笑って話をしてくれていても、やはり客と店側としての距離があったのだ。それがいつの間にか無くなっていたのなら、少なくとも他の客よりは好意を持って接してくれているのかもしれない。
ダンジェの言葉につい浮かれて顔が緩むと、彼はそれを見逃さなかった。
「お前、惚れたな?」
「っ!!!!」
途端に耳まで熱くなるのを感じる。自分では見えないが、恐らく顔は真っ赤だろう。お茶しか飲んでいない身では酒のせいにもすることが出来ず、アスタは負けを認めるしかなかった。
「・・いい歳しておかしいか?」
「何言ってんだ。いいじゃねぇか。男が女に惚れるのに歳なんか関係ねぇよ。」
何故かアスタよりも嬉しそうにダンジェはそう言った。お前は頭が固いんだ、といつもの言葉も付け足される。ダンジェが背中を押してくれるのはありがたいのだが、どうもこの手の話題は気恥ずかしい。
そうこうしている内に彼女の歌は終わっていて、初めてシンガーが唄ってくれたユフィリルの歌をアスタはしっかり聞き逃してしまったのだった。
唄い終わるとシンガーも他の席に移動してしまい、そこからしばらくはダンジェがアスタをからかって時間が過ぎていった。
そして二人が店に来てから一時間程経った頃、アスタは目的の顔を客席の中に見つけた。
「ダンジェ。」
「あ?」
「入口に一番近いカウンター席の男。」
それだけ聞くと、ダンジェもすばやく視線を横に動かす。そこには簡素な格好をした中年の男が座って酒を呑んでいた。こげ茶の髪に口髭。よく目を凝らしてみれば、爬虫類の様な目にダンジェも見覚えがあった。
ダンジェの表情を窺いながらアスタが問いかける。
「ノルマンだと思うか?」
「・・・確かに似てるな。だが、本人だとしたら何故この街にいるんだ?」
「元々出身がここだったとか?」
「俺達は二年以上前からここにいるんだぞ。気付かない筈がない。」
「そうか・・。」
ダンジェの言うことはもっともだった。この街には騎士団の者が約五十名いる。ノルマンは悪い意味で有名なのだ。それなのに二年以上誰も彼の存在に気付かないのはおかしい。となれば、最近この街に来たとしか考えられない。
「あっちは俺達のことなんか覚えていないだろうが、アーロンさんは十年以上副隊長を務めていたんだ。ノルマンならすぐ気付くだろ。アーロンさんの顔を見たらしっぽ巻いて逃げ出す筈だぜ。」
「なら、最近この辺りに来たってことだな。」
「だろうな。」
誘う者がいればアーロンもこの店に顔を出すが、普段彼はもっと駐屯地に近い店を贔屓にしていてあまり個人でここに来る事はない。そして暗い前科を持つノルマンは騎士団の者と会いたくはない筈。まだ顔は合わせていないのだろう。
「ただ居るだけならいいが、嫌な感じだな。」
ダンジェの感想にアスタも同意した。彼には話をしていないがシンガーの事もある。
今日もノルマンらしき男は彼女の姿を探して視線を彷徨わせていた。