第一話 1.アスタ(1)
大陸の北西部。二つの大きな山脈に挟まれるようにしてユフィリルという名の国がある。この辺りは小国が集まっており、国土を広げようとする隣国との紛争が絶えなかった。そんな中資源豊かなユフィリルが優先的な貿易を条件に大国アンバと協定を結ぶと、アンバの脅威を恐れた隣国はユフィリルへの侵攻を止め、その脅威に晒される事も無くなった。それが三年前。夏の出来事だ。
国王が決意したアンバとの協定は内外問わず賛否両論だった。協定を結ぶことでユフィリルがアンバの属国となることを恐れた為だ。けれど隣国との紛争の矢面に立ったことのある者達なら誰もが賛成だったろう。いつ終わるか分からない長い戦いは小国ユフィリルの多くのものを傷つけ、沢山のものを奪ってきた。もう限界だったのだ。
そして三年後の現在、アンバ優位の交易を公約したユフィリルは他国との交易を制限され、市場が急激に変化し国内の物価に多大な影響を及ぼす事となった。アンバの需要の高い製品は国内での値を上げ、ユフィリル国民にとっては死活問題。宰相を初めとした城内の文官達は近年その対応に追われていた。
城内を見れば文官達が右往左往する中、自分は関係ないとばかりにアスタは城門に向けて歩を進めている。短く刈られたブラウンの髪、同色の瞳。肌は日焼けしていて、皮製の防具から出ている手足はしなやかな筋肉で覆われている。防具の胸元にはこの国の紋章の焼印、そして腰元には同じ印の付いた剣を帯刀していた。
国の紋章を施した防具や武器を身につけることが出来るのは国の認めた騎士である証。そして例に漏れず今年二十八になるアスタもユフィリルの騎士である。しかもただの騎士ではない。彼は第八騎士団の隊長なのだ。三年前までは戦の前線で剣を振るっていたが、終戦して月日が経った今、第八騎士団は国境の警備を務めている。
今日は月に一回義務付けられている業務報告の日。その為アスタも王城を訪れていたのだ。業務報告と言っても問題が無ければ「異常ありません」の一言で事足りる。アスタは他の騎士団隊長らと共にその一言を王と宰相の前で述べ、早々に城を後にした。
本来なら各隊長は一日城に留まって、夜は彼らの為に開かれる慰労の夜会に出席しなければならない。けれどアスタは出席を断わっていた。体調不良を言い訳にして、副隊長であるトレンツェを代理に出席させる事にしている。その理由は簡単。自分よりもトレンツェの方が隊長に相応しいという上官達へのアピールである。
今年三十のトレンツェは貴族の子息。隊長にまでなれば家名にもそれなりに箔が付く。それに比べてアスタは農村産まれで、三人兄弟の末っ子。次男と共に騎士団に入団し、叩き上げで隊長にまでなった豪傑だ。だが戦はもう終わった。腕っ節だけの自分には何の価値も無い。アスタはそう思っている。
平和な世がこれからも続けば、騎士団の意味合いも違ってくるだろう。現に段々と貴族の子息達が多くなり、負傷して満足に戦えないかつての仲間達は自分達の故郷へと移っていった。騎士団は国民を安心させる為の飾りでしかなくなっていく。それをアスタはこの三年で感じ取っていたのだ。
アスタは城を後にして、国境の警備へと戻るべく一人馬を走らせた。
正午に城を出たアスタは、夕方前に第八騎士団の駐屯地に到着していた。警備中の騎士達に声をかけながら自分も周辺を見て回る。最後に城壁の物見台の上から国境の向こうを見渡した。
第八騎士団が警備しているこの場所は森が広がる山裾だ。物流の為の道がある訳でもなく、この辺りをウロウロするようなのは人よりも動物の方が圧倒的に多い。その為、ここの警備を任されてから怪しい者など滅多に見かけない。時折迷い込むオオカミなどを撃退する以外は、警備よりも剣の鍛練に汗を流す毎日だ。
この日も鬱蒼と生い茂る森にオレンジ色の光が降り注ぐ。穏やかな夕暮れだった。
アスタはユフィリルが好きだ。他国よりも領土は小さいものの、自然豊かで国民は皆穏やかな気性をしている。それが他国からすれば侵略する理由だったのだろうがその心配がなくなった今、アスタは比較的穏やかにこの生活を満喫していた。周辺を見て回り、時には森にも足を向ける。剣と肉体の鍛練に仲間達と汗を流し、夜になれば家に帰るか酒場に寄って美味い酒と飯を楽しむ。そんな日々。
アスタは陽が沈むまで空と森を眺め、交代の仲間が現れるとそこを降りた。
「アスタさん!」
「おう。ロニ、お疲れ。」
騎士の詰所となっているレンガ造りの建物の中に入ると、赤毛の若者がアスタに声をかけてきた。同じ騎士団の仲間だがまだ十八の青年で、頬のそばかすを気にしている。彼も今日の任務は終えたようで、既に鎧を脱いで軽装だ。
「最近、バールの酒場で評判の歌手がいるって知ってます?」
人懐っこい笑顔でロニは水の入った木のコップ片手にそう言った。
「なんだ? そんなに美人なのか?」
「いえ。とんでもない美人ってワケじゃないんですけど、若い娘らしいです。」
「へぇ。それがどう評判なんだ?」
「なんでも変わった歌を唄うらしいんですよ。」
「歌ねぇ……」
美人の歌姫ならば自分もひやかしに行ってみようかと思うが、歌がウリではそれも違う。あまり音楽には詳しくないし、芸術にも興味は無い。アスタは微妙な顔で相槌を打った。
「俺達これからその酒場に行ってみようって言ってるんですけど、アスタさんも一緒にどうです?」
「いや、オレは……」
「そう言わずに、たまには付き合ってくださいよ。ね?」
いくらアスタを慕っていると言っても、仮にも相手は隊長だ。乗り気でないものを強引に誘うのはロニらしくない。けれど今日の彼は違った。やけに食い下がってくるので、アスタは根負けして不器用な笑顔を見せた。
「しょうがないな。」
すると窺うようにアスタを見ていたロニの顔がパッと明るくなる。彼は他の仲間達にもアスタが一緒に行く事を伝えると、早々に詰所を出て酒場へ向かった。