Morendo
休日が偶然一致して、久しぶりに遊ぼうと誘われたのは、お洒落な雰囲気のカフェ。
案内された席が一番隅だったので一安心している間、荷物を置くなり2人分の水とお絞りをドリンクバーから取ってくれた那由多にいつも通りお礼を言って、メニューを眺める。
那由多が期間限定のフルーツポンチサイダーと猫の顔のムースケーキを注文したのを横目に、定番のクリームソーダとガトーショコラを頼んだ。
大人になると仕事以外で体力を消耗したくないからと大抵遊び=飲食になるので、腹回りが気になるところ。しかし目の前の贔屓目抜きにしてもイケメンな幼馴染みは僕と真逆の体型で、全く太らない。本当に羨ましい限りだ。
凸凹コンビだの散々言われてきた、趣味や特技もそこそこズレているのに何だかんだ長続きしている腐れ縁。その秘訣は沈黙が辛くなく、無理なく付き合えているからだろう。
「やっぱり定番も強いね」
「外れないのが一番だろう?……いやムースもいいな」
今も最初の一口をお裾分けする恒例行事が自然と行われていた。いつからか同じものを注文するより、別々のものにした方が両方試せてお得だと味をしめたらしい。次男次女は甘え上手だというが、あれは本当だと思う。最終的に僕も得するから良いんだけど。
最近の事から趣味の話まで、他愛ない話題が転がっていく。
「ねぇ、卓ちゃんは結局高校行かないの?」
たった漢字二文字で心が淀み、胸が軋む。僕にとって青春時代とは、友達と仲良く勉学に励むようなものではなく、ただ、苦痛で仕方のないものだったからだ。
中学2年生の頃には“絆”という言葉に吐き気を催す程度には辟易していたし、教室だと給食も受け付けなかった。
仮に那由多とクラスが同じだったとしても、無理だったろう。
今思えば家庭環境はともかく、学校の居心地悪さに関しては、僕が歩み寄る努力を怠った結果なのだから。
「やっぱりさ、高卒の資格は取っといた方が良いよ」
「……うーむ。わかって、は、いるんだがなぁ」
苦虫を噛み潰したような心境でも、彼の言う通りなのは痛感している。世間はまず学歴で評価し、大学はおろか通信制の高校を中退した実質中卒はゴミと同等に扱われてしまう。
それでも正直、どんな良い大学を出ても犯罪者になった輩よりはマシだろうと逃げたくなる。
新しいものを学ぶのは好きだ。知らなかった事を教えて貰うのも、楽しい。ただ数学となると話は別だ。
算数から徐々に積み上げなければならない土台を疎かにしてきたので、一切合切わからない。
数学さえやらなくて良いなら幾らでも行ってやりたい気すらしているのだが、一部先生に対してのトラウマ……は大袈裟だな、嫌悪感……不信感?は未だにあるしもう今年26歳まで来てしまったのだから諦めたい。
「来世の僕に期待してくれ」
「またまた。言い続けるからね」
(死ぬ才能がないから生きてるだけで、生きるつもりなんてなかったんだぞ、僕は……)
もし、安楽死の薬が配られたら有り難く飲む。僕の人生は終わっているも同然なのだから。
打ち明けた数々の将来の夢も死なない為にただ口にしていた、虚ろな宣言。
唯一、諦めきれていないのはオペラ歌手になる事だろうか。幾つも浮かべては消した空っぽな夢の中、それだけは今も奥底で燻っている。
大学を出ていないとプロ入りはまず無理だと知りながら。ツテも技量もないのに、取り残した幼い僕が情けなく縋っているだけの夢だ。
心境を表すようにアイスをソーダに沈め、溶かしてみせる。綺麗に混ざらず濁っていく様は、儘ならない現状を上手く再現できている気がした。
「昔はそんなじゃなかったのにねぇ」
「仕方ないさ、こればっかりは」
愛は有限であり、見返りがなければただ消耗していくだけだと知ってしまった。結局のところ、父の言う通り、僕が役立たずだったのが悪いに尽きるんだろう。
一度挫折した人間は、立ち上がっても白い目で見られてしまうから。価値がないと見放されても文句は言えない。
だけどこの先ロクな人生送れないとしても、叶えられそうな夢もとい宣言が1つだけある。この幼馴染み兼、親友のご祝儀は11万渡すという些細ながら、一番大事な予定だ。
二ヶ月後めでたく彼女さんと同居するらしいので、用意しても良い頃合いだろう。
いつぞやの一方的な口約束を果たしてハッピーエンド、それだけで僕の人生は報われる気がする。
幸せそうに、珍しく照れ臭げに彼女自慢してくる姿に此方も胸が熱くなった。
余談だが那由多は渾名で本名は苗木 優太郎であり、小学1年生の頃ノリで呼び出したものだから、そろそろ止めようかと提案してみたら「落ち着かない」と切り捨てられた。助かるような、すっかり定着してしまったなぁと微妙な罪悪感。
(まぁ奴も成人してそれなりの男を未だにちゃん呼びしてくるのでお互い様、か?)
端から見れば異様かもしれないが、今更呼び捨てにされても確かに嫌だ。
「じゃ~ね~」
「ああ、今日もありがとう。またな」
他愛なくも楽しい雑談を続け、上機嫌で別れた帰り道。地味で大変なパート生活の日々だけど今日、順調に進む親友を見れて良かった。
負け惜しみではなく、羨ましいとか妬ましいとも思わず、ただ祝福の感情しか浮かばなかった自分を、少しだけ誇らしく感じた。
それというのも、那由多が素晴らしい奴だからなんだけど。そんな奴と親友で在れるのが光栄な事を忘れないようにしたい。
(うん。今日は、良い日だった)
夕暮れの中、一番星を見付けてから、満足して歩き出す。明日は仕事だ、家に帰ってすぐに寝なければ。
仕事を頑張る理由がまた増えて、死んでいる暇はないなと苦笑した。
「ただいま」
返事がないと知りながら、それでも呟いてドアを開けた。玄関に並ぶ靴で父が帰って居ないのと弟達の無事を確認し、シャワーを浴び、髪を乾かし、歯磨きを終えたら自室のベッドに寝転がる。
生家だというのに、落ち着かないのは母が出ていった原因である負い目を感じているからだ。
母はどういう育て方をされたのか、僕の声変わりに酷く絶望した表情で驚き、慌てて家を出て、それきり行方知れず。
家族の情なんてものは、風前の灯だと思い知らされた。
父は母の楔として子供を利用したかっただけで、僕自体を愛してはいない。親も人間で、人間関係とは、とどのつまり利用価値で決まるのだと学んだ。
声変わりし、父が母に吐いた何らかの嘘を暴いた僕は無価値に成り下がった。詐欺まがいの事をした父が悪いのであって、僕は悪くないじゃないかと今は反論できるが、それでも疎まずにはいられない。
(せめて、バスでなければ良かったのに。)
歌うのは好きだが、疎まれた自分の低い声は嫌いだ。恩師が居なければ潰してしまっていただろう。
(やめよう、楽しい事を思い出すように……いや、今は寝るんだ。何も考えるな)
目を閉じ、無意識へズブズブ沈んでいく感覚に身を任せる。豆電球も消して真っ暗になった部屋に自分という個を溶かすように、ゆっくり眠りに落ちていく。
水中に投げ込まれ、一度深く沈んだ後、細かい気泡と共に水面へ上がっていくような浮遊感で目を見開いた。
いつもならセットした携帯のアラームを止めるべく、頭上を探るのだが、どうもおかしい。横たわっていた筈が座り込んでいたので、ゆっくり立ち上がった。
起き上がる前から毛布の温もりがないし、何より目の前に金髪の少女が此方を愕然とした目で見ている。
わなわなと震える唇が示すのは恐怖なのか怒りなのかは判らないが、彼女は勢い良く僕を指差した。
「な、何よこのデブーーーッ!」
「失礼な。僕の体型は、わざとだ」
怯えたような第一声に緩やかな抗議で返せば、響く嘲笑らしき声の群れ。驚いて周りを見渡すと、講堂らしき場所で僕達が立っている扇形に広がるステージを囲むように設置された椅子があるのに、誰も居ない。二階から覗き込むみたいな、まさに高みの見物と言わんばかりに見下ろされている。
見世物扱いがハッキリと伝わってきて気分が悪いし、何より罵倒らしき言葉が聞き取れない。悪口を言われているニュアンスだけ伝わるのは、相手が笑い声に混じる嘲りを隠そうとしていないからだろう。
視線から重力の様な圧を感じ、喉が渇く。数年前の僕なら過呼吸になっていたとこだ。
少女に視線を戻すと、さっきの勢いはどこへやら、自分の足元しか見ていない。微かに震えながら、降ってくる言葉を受けている。
異様な光景ばかりで段々頭が冷えてきた。彼女の様子から、やはり侮辱的な意味の暴言が浴びせられているのは間違いない。
ならば、と舞台の真ん中に躍り出てボウ・アンド・スクレープした。束の間の静寂が訪れ、困惑したざわめきに変わる。
もうこれが夢だろうが現実だろうが関係ない。言葉が通じないなら態度で示すまでだ。屈辱を与えたい相手に丁寧なお辞儀で返されたら困るだろう、たぶん。
「なに、してるの」
此処でも挨拶の意味だと良いんだけど、宣戦布告とか物騒なやつだったらどうしよう。そんな不安が過った所で声を掛けられ、視線を向ける。まだ少し青ざめてはいるけど、震えはマシになったようで何よりだ。
「無礼者に礼儀を教えてる。」
正確にはつもりのハリボテであり、何かしないと僕まで震えそうだったからという至極情けないものだけど。
「君も、どうせ動けないなら一緒にやるかい」
「……いい、こっちに、来て。」
か細い声に従って移動すると、すれ違いで別の人影が中央へ歩いて行った。フードで見え難かったが、頭の角度から恐らく視線は床に釘付けだ。また下卑た嘲りか、蔑んでいそうな声が響く。
何処かは知らないが、とんでもない場所に出たな。小さな背を追いながら溜め息を飲み込んだ。