第四十二話:爺さんとベッキー
ベッキーのモデルは分かる人には分かるかなあ。名前もそのままだし。主人公よりはベッキーの方が好きなのです。
男のそれもジジイの入浴シーンなんぞ誰にも求められとらんからのう。さっさとあがるとするか。部屋は……ふむ、ええ感じじゃがこのベッドは大きくて慣れんのう。ここは床にワシの布団を敷いて……よし、寝るかの。
「おはようございます。ゲン様……きゃあ!」
何やら女性の悲鳴と共に目が覚めたんじゃが。見ると十代半ばくらいの赤毛でそばかすの女の子のメイドさんがおった。
「どどどどうして床で寝てるだか! 起きてくんろ!」
なんか訛りがすごいのう。いや、親しみが持てるというもんじゃ。
「ああ、久しぶりに自分の布団で寝たからのう。起きるのはええんじゃがあんたは?」
「オラは……いえ、私はベッキーと申します。ゲン様のお世話をするように申しつかりました」
「そんな堅苦しい喋り方せんでも、さっきのでええよ」
「いえ、その、先程のは取り乱してしまってつい……子爵家のメイドとして言葉遣いには気をつけとったんだども……ですけども」
どうやら割と未熟な感じの娘さんじゃな。田舎から奉公に来たばかりとかじゃろうか? そういう事ならばワシが口出しすることでは無いからのう。
「それで呼びに来たというのは何か用事じゃったんかの?」
「え? ええ、はい。朝食の準備が整いまして皆様食堂で待っておられます」
「おお、朝メシか。それは待たせたら悪いのう」
ワシは元々朝はご飯と味噌汁さえあればなんも文句はないんじゃが、ここの朝メシはサラダとパンとスープなんじゃよなあ。
「おはようございます。お待たせしたようで」
「おじーちゃん、おはよう!」
「おはようございます、ゲン殿」
「おはようございます。いえいえ待ってませんよ。さぁさぁ食事にしましょう」
子爵家一同がわざわざワシを待っとったのは理由があるのじゃ。それは……
「おじーちゃん、わたし、イチゴジャムがたべたいな!」
「私はバターがいいです」
「全く二人とも……ところでコーヒーはありますか?」
とまあこの通り。食文化というのは大事じゃのう。さて、ワシはやはりこれだと味気ないので台所を借りることにした。味噌汁は味噌自体もあるんじゃがカップの朝餉用が便利でええんじゃよ。お湯だけ沸かせて貰って、カップの味噌汁に注いで……よし、ええじゃろ。
「おじーちゃん、なんかおいしそうなのたべてる?」
「ははは、これはの、ワシのスープなんじゃよ。美味いと言うよりこれを食べるとほっとするんじゃ」
「へー、ひとくちちょーだい」
エミリー嬢のおねだりには勝てんのう。仕方なくもう一個取り出して作ってやったわい。残したらワシが食べるかの。
「いただきまーす。んー、ちょっとしょっぱい?」
「まあそうじゃろうなあ。朝食のスープでも十分じゃと思うんじゃがやはりこれが無くてはのう」
「そうなんだ。でもおいしーよ」
「そうかそうか。まあ味噌は味噌で別に使いでがあるでな」
さて、朝メシも食うたし、今日やる事はあるかのう? また街を歩いてみるかな?
「フィリップ殿、今日はなんか予定があるじゃろうか?」
「いえ、特には。お出掛けになりますか?」
「そうじゃのう。昨日の今日じゃし街を見て回ろうと思うとったんじゃ」
「そうですか。でしたら是非ベッキーをお連れください」
なるほどのう。ワシの行動を見せて行儀見習いをさせたいという事じゃろうか? 年寄りについて歩いても面白いことなんぞありゃあせんと思うがの。
「じゃったら行ってくるでの」
「エミリーもいく!」
「エミリーはお家でお勉強だよ。クラリッサが待ってるからね」
「おじーちゃぁん」
そんなうるうるした上目遣いでワシを見てもダメじゃよ。クラリッサさんに逆らったらろくなことにならんとワシの頭の中で警鐘が鳴っとる。
こうしてワシは追い縋るエミリー嬢を置いてベッキー嬢と街に出掛けたのじゃった。
「ベッキーさんや」
「あの、呼び捨てでお願いします」
「ううむ、じゃあベッキーや」
「はい、なんでしょうかゲン様」
「この街は詳しいんかの?」
「いえ、ここに来てからまだ間もないですから。あ、市場への道は分かります」
スタスタ進んでいくとスラム街の様なところに迷い込んだ。道が分かるんじゃなかったんかの?
「すんません、迷っちまっただ……」
「知っとるよ」
スラム街というのはなかなか物騒なところでなあ。いやまあワシにはバリアがあるんじゃし、ベッキー嬢くらいは守れるからええんじゃが。
「あ、パチパチのおじいちゃん!」
かどっこから出て来たのは小さなお嬢ちゃん。あの子は……確かハゼを調理するのに手際が良かった子じゃなあ。
「え? マジ? ほんとだ! なあなあじーちゃん、なんか食いもん持ってねえ?」
「昨日のお魚、美味しかったあ。また食べたいなあ。で、食べ物ある?」
口々に食べ物の催促をされたわい。困ったもんじゃが年端もいかない子どもたちが飢えるのは好きでは無いのう。何とかしてやりたいのう。




