05
「これ、ありがとう」
「本当に読んだのか、急がなくていいと言ったのに」
なんか眠たい。
なんかお腹の調子が良くない。
なんかどうやって休み時間を過ごせばいいのかわからない。
そこにあるのは喪失感、どうして本を読み終わったぐらいでこうなんだろうか。
だから僕は寝ることだけに専念した。
寝ていればこの虚しい気持ちは忘れられる。
そのおかげでどう休み時間を過ごせばいいのかという悩みも解消された。
「川相、一緒に食べよう」
「あ……ごめん、今日は眠たいから」
「夜ふかしなんかするんじゃない」
「うん、おやすみ……」
なぜか賑やかな方が寝やすいという不思議。
なによりひとりぼっちじゃないことがいまの僕には大きかった。
というか、よく彼女は普通に話しかけてこられるものだな。
寝られなかった理由はあの顔でもあったのに。
まず間違いなく越智さんが見ていたらきゃーきゃー言っていたと思う。
なのにこれ、切り替えが上手すぎるな。
とにかくこちらは休み時間全てを使って寝るだけ。
それを実際続けた結果、2日連続で遅くまで残ることになった。
が、2日連続で彼女が残ってくれているということはなく。
「……早く帰らないと」
さすがにこのままじゃ寂しすぎる。
お腹が微妙でもなにかを入れなければいけないし。
「やっほー」
「え」
昇降口から出たら越智さんがそこにいた。
こんな時間までひとりでいたら危ないのにこの子ときたら。
「送っていくよ」
「逆だよ逆、私が送ってあげるよ」
「え?」
「川相くんさ、今日調子悪いでしょ?」
そりゃそうだ、ほぼ徹夜状態で学校に行けば大抵の人間はこうなる。
もう本はないから徹夜することは絶対にない、これからは同じようなミスは犯さない。
女の子に送ってもらうのは情けないから普通に送ることにした。
「わざわざ待ってくれてたの?」
「うん」
「天使……」
「私は人間ですよー」
あ、つい言葉が……。
もうこんなことはないからあれだが、待つときは同じ場所で待っていてほしいと思う。
にしても本当にいい子だな、伊登さんがいなければまず間違いなく狙っていたけど。
「もっと早く気づいてあげられれば良かったんだけどね」
「いやいや、調子悪くないから」
「もう、無理しちゃって」
無理しているのは君の方だ。
わざわざ待ってくれるなんて優しすぎる。
そういうのは気になっている子にしてあげればいい。
笑顔で話しかけてきてくれるだけで僕は救われているからね。
「奇遇だな」
「あ、めばえ!」
中途半端な場所で伊登さんと出くわした。
ふたりで越智さんを送っていくことになった。
女の子ふたりは楽しそうに会話をしている、なんてことはないいつもの光景。
あ、ただまた尻尾が太くなっているということは……あまりいい状態ではないのか。
「あ、靴紐が……」
わざわざ声をかけるところではないから結んで立ち上がろうとしたら上手く立てなかった。
ああ、情けない、本当は調子が悪かったのかな。
もう越智さんの家の近くだからと帰ろうとしたものの、それでは伊登さんがひとりになってしまうからと追うことに。
「なにをしていたのだ?」
「靴紐を結んでいたんだよ、明日越智さんにお礼を言っておかないと」
「帰るか」
「うん」
なんでこの時間に外にいたんだろう。
女の子なのに危機意識が低すぎる。
それこそ犬夜くんを頼ればいいのにと思わずにはいられない。
「だが、まさか香といるとは思わなかったがな」
「僕も昇降口の外にいるなんて思わなくて寝ちゃってたんだ」
待ってくれているとわかっていればすぐに出てた。
というか叩き起こしてくれれば良かったのに。
「なるほど、そういうことか」
「どういうこと?」
「いや、こちらの話だ」
尻尾はもう通常の状態に戻っている。
彼女の動きに合わせて揺れている、ただそれだけなのになんだか凄く不安になった。
先程できた物理的な距離が気になっているのかもしれない、それかもしくは調子が悪いのか。
「香と私たちは一緒に帰ったのだ」
「え、それじゃあ……」
「ああ、わざわざ戻ったことになるな」
そういうことか、だから早く気づければ良かったと発言したというわけか。
優しいから気づいたら放っておけなかったんだろう、うーむ、申し訳ないことをしてしまった。
「ま、お前は香と仲良くすればいい」
「そりゃ仲良くしたいけど」
あんないい子はなかなかいないから。
彼女だけではなく犬夜くんやともかさんとか知り合った子とは仲良くしたい。
「もう帰れ、調子が悪いのだろう?」
「もうちょっとだし送る――」
「もう帰れ、それではな」
ちょ……行ってしまった。
終わった、選択肢選びを誤ったようだ。
他の誰に嫌われるよりも悲しい結果となる。
彼女の忠告をきちんと聞いておくべきだったんだろうな。
それを聞かなかった時点で彼女からの評価も変わっていたと。
だって全く言うことを聞いてくれなかったらね、誰だってなにも言いたくなくなる、と。
「はぁ……帰ろ」
とりあえずさっさと寝よう。
それでこの寂しい気持ちをなんとかしよう。
というか、そうしておかないと押し潰されそうだった。
「熱だね、今日は休んで」
「うん……」
風邪を移すわけにはいかないからそうするしかないけど。
だけどこのタイミングはなあ、本当に悪い……。
なんとなく熱があるとか考えたのが悪かったのだ。
ただまあ休むことにしたのならとことん休んでおかないといけない。
元気に学校に行けるように、深く考えずにただそれだけでいい。
お昼頃まで休んで自分で作ってご飯を食べて。
お昼からはまた寝て起きて水分補給をして。
夕方頃になったらさすがに寝るのはやめて座っていることにして。
残念ながら誰も来てくれなかったけど、それがいまはありたいことのように思えた――風にした。
帰ってきてくれた母が作ってくれたご飯を食べてお風呂に入って寝る。
そもそも風邪だって自業自得なんだから誰も来なくて当然だろうと割り切って。
あれだけ寝たのに翌朝まで爆睡して学校に向かうことに。
「おはよ」
と挨拶したのに越智さんも犬夜くんも伊登さんも挨拶を返してはくれず。
夢かと思って引っ張ってもここが現実なことには変わらず。
元気になったから特に寝ることもせずに起きて過ごしていた。
「川相、ちょっと来て」
「あ、うん」
ともかさんの友達の――あ、名前は知らないや。
「またともかと喧嘩したから仲裁よろしく」
「仲良くしなよ……」
「だって犬夜の耳の方がいいとか言うから……」
「尻尾派なんだね」
基本的にはそういう主張を覆すことはない。
耳が好きなら耳だけを愛でるというわけではないが、優先順位は変わらないわけだ。
にしてもあっという間に気に入るんだな、格好いいってやっぱりすごい。
あ、ちなみに僕は尻尾派だ、なぜなら伊登さんのはすてきだから!
が、今日はまだ1度も話せていないと、悲しいねうん。
「ともかっ」
「耳の方が最高だから!」
「尻尾の方がいいでしょうが!」
どちらも好きでいいと思う。
押し付けてはならない、そうしたところでより対立することになるだけ。
僕のそれに比べれば微笑ましい言い争いだ、話せるだけで幸せなんだよ。
「あ、ここにいたのかお前」
「犬夜くん、君は天使だね」
「やめろ」
いや、こうして話しかけてくれただけで泣きそうになったぐらいだ。
ついでに耳派のともかさんと尻尾派のこの子の相手も引き継いでもらいたい。
「来い」
「わかった」
「は? ちょっとあんたなに逃げようとしてんの!」
「耳も尻尾もどっちもいいんだよ」
「えぇ、あんたそれ自分で言うの?」
戻るのかと思っていたけどそうではないらしい。
ただ静かな廊下で話したいだけのようだ。
「お前、異変に気づいているか?」
「異変?」
「めばえと香が1度も話してない」
え、全然気づかなかった。
そもそも僕も話せてないから違和感はなかったし。
「つかお前、休んでんじゃねえよ」
「僕も休みたくなかったんだけど熱が出ちゃって」
あんな別れ方をしたのも影響している。
なんでいきなりあんなに冷たい声で……。
別に嫌いなのであればわざわざ他人の名前なんて出さなければいい。
「犬夜くんが上手くフォローしてあげてよ」
「駄目だ、近寄ろうとしないんだよ」
喧嘩しちゃったのかなあ、昨日になにかあったのか?
僕が行ってもなにができるというわけではないから放置がいいかな。
犬夜くんも特別動くように言ってきたりはしなかったから教室に戻る。
うん、彼女たち以外は至って平和ないつも通りの光景が広がっていた。
伊登さんは読書を、越智さんはつまらなさそうにスマホを弄っている。
「正輝、お前なにかしたのか?」
「体調が悪かったぐらいかな」
「ま、なにか思い当たるところがあったら謝っておけよ」
いきなり謝っても溝が深まる気が。
「川相」
「あ、うん、どうしたの?」
「どうして香と話さないのだ?」
「あー、特に理由はないけど」
寧ろ君の方がどうして話さないのか。
いつもなら越智さんだって尻尾を愛でている時間なのに。
自分が影響を与えられるような人間だとは考えていない、そんな痛い自惚れはできない。
ということはつまり昨日なにかがあったのだやはり。
「越智さんと喧嘩しちゃったの?」
「別になにもない」
関わるようになってからもう2年になるのに大切なことはなにも話してもらえない。
馬鹿にするつもりなどない、僕程度でもできることがあるかもしれないから。
矛盾しているのはわかっているが完全に頼りにされないのはやはり寂しかった。
「私たちは喧嘩なんてしていないよ、ねえ?」
「ああ、そうだな」
「ほら、めばえの尻尾で今日も遊んじゃうし」
「楽しいならいくらでもすればいい」
その割にはどちらも笑顔がないんだよ。
なのにどこからあの明るい声が出ているんだろう。
「無理しないでよ」
「無理していたのはお前だろう」
「いや無理っていうか、わかっていなかったというか」
夜ふかししていたから調子が微妙だと考えていただけ。
彼女風に言えば馬鹿ってやつだ、本当に考えなしだもんなあと。
「馬鹿め……」
「うん、夜ふかしはもうしないよ、あと、君が言ってくれたことをちゃんと聞くから」
だからいまみたいなやつはやめてほしいとお願いした。
笑顔が見たいのにこれでは真逆だ、一緒にいると苦しいし。
「私は席に戻るね、川相くんが元気になって良かった」
「あ、そういえばありがとね」
「どういたしましてっ、じゃね!」
犬夜くんが近づいたことによって楽しそうに会話し始めた。
無理しているような感じはしない、耳や尻尾に触れて幸せそうにすら見える。
「川相」
「うん?」
「ちょっと教室を出よう」
あ、よく考えたら普通に会話できている時点で僕にとっては最高だ。
あとはただただ尻尾を愛でられたらそれで、なかなかできることではないけど。
「今朝はすまなかった、無視をしてしまって」
「正直、かなりショックだったよ」
最後があんなのでなければそれでもあまり気にならなかったと思う。
けれどあれは明確な拒絶だ、好きな子にそうされたら傷つく。
「この前のことといい、なぜあんなことを口にしたのかわからないのだ」
「たまにあるよね、なんでこんなこと言ったんだろうってさ」
「ああ、帰った後に後悔したよ、しかも謝ろうと思ったのにお前は休んだからな」
「ごめん」
僕も休みたくなんてなかった。
1秒でも多く彼女といたい、一方通行であったとしても。
そのためには必死でしがみつくしかない、それが唯一僕にできること。
恥ずかしがっている場合ではないよなこれ、積極的にいかないと。
「いや違う、悪いのは全て私だ」
「それで本当に喧嘩はしてないの?」
「喧嘩はしていない、ただ正直なところをぶつけただけだ」
「そっか、喧嘩じゃないならまだいいね」
関係消滅は誰だって悲しい。
多少笑顔がぎこちなくても一緒にいられているということはまだマシだろう。
「川相……」
「そんな顔しないでよ、話しかけてくれただけで嬉しいよ?」
「……私はお前を傷つけてばかりだな」
「そんなことないよ、その尻尾を触らせてくれればすぐに直るよ!」
「構わないぞ」
本当は1回根本の方から触れてみたいができない。
さすがにそれはね、だからどうしても中心部から先の方になる。
「…………」
「嫌だった?」
「い、いや……気にせず触れていればいい」
すぐに触るのをやめて壁に寄りかかった。
話せただけでこの落ち着きよう、自分が単純すぎて笑えてくるくらいだった。
「難しいかもしれないけどさ、越智さんと仲良くしてくれないかな? 僕、越智さんと仲良くしている君を見るのが好きなんだ、なにより僕のときには見せてくれない笑顔を見られるから」
「そんなことはないだろう、お前といるときも笑っているつもりだぞ?」
「いや、無表情だよ、だからそれが寂しい。でも、笑顔を見たい、笑わせたいって目標ができたからいいんだけどね。君はあくまで君らしく過ごしてよ、僕も必ず同じように引き出してみせるから」
ほぼ2年でこれだから焦っているんだけど。
その割にはたまにヒロインムーブをかましてくるから怖い。
あのね、君のことが好きなんだから意識しちゃうでしょって話だ。
「だからずっと僕といて、それで話してよ、君と話せないのはなによりも辛いから」
意外にも恥ずかしいとは思わなかった。
僕の内側にあったのはよく言ったという気持ちよさだけだった。