03
約3週間ぐらい経った頃、犬夜くんが本当に転校してきた。
しかも同じクラスという奇跡っぷりを見せてくれた、越智さんがかなりハイテンションだったのはつまりそういうことだ。
その点、伊登さんは平常運転、本を読んでうるさそうに集団を見つめるだけ。
「ちっ、うるさい……」
「まあまあそう言わないでさ、犬夜くんが来てくれて伊登さんも嬉しいでしょ?」
「なぜだ?」
「なぜって、だってゲームで知り合って会いたくなるぐらいなんだからさ」
そんな子とこれから毎日同じ教室で学校生活を送れるんだから。
それでも彼女は「興味がないな」と素直にならずに本を読むだけだった。
それとも越智さんがいるからと変な遠慮をしているのか?
いやまあ取られないで済むのならそれに越したことはないが、我慢しているだけなのだとしたら嫌だ。
また言おうとしたらぱたんと本を閉じて彼女がこちらを向く。
「川相、お前は私が――」
「正輝っ、正輝助けてくれ!」
「え、どうしたの?」
先程まで向こうで盛り上がっていたのにどうしたのか。
よく見てみたらこちらに1歩ずつ確実に歩いてくる越智さんが見えた。
手には櫛やらスプレー缶やらを持っている、なるほど、確実にあのときのそれがトラウマになっているという感じかと納得。
「少しは静かにできないのか」
「そう言うなよっ、あれ見て同じことが言えるか?」
「やってもらえばいいだろう」
「いやいや、あいつは執拗に――ひぃ!?」
越智さんは「借りていくねー」とあくまでにっこり笑顔で彼を連れて行った。
伊登さんはひとつため息をついてからまたこちらに向き直る。
「川相、お前は私にいてほしいのではないのか?」
「え、いてほしいけど」
「だったらいちいち言うな、大体犬夜が来たからなんだというのだ」
「だけど嬉しくないの?」
「その度にこちらに来させるようにしておけば良かったのだ、甘やかしてもいいことはなにもない」
毎回長距離移動を繰り返していたらお金の負担が半端ない。
それにどうしてそこまで冷たいのかがわからなかった。
だって彼女が会いたいと言ってできた関係なのにおかしい。
「正輝ぃ……助けてくれぇ」
「越智さん」
「はぁ、わかったよもう……」
やるなら家みたいなふたりきりになれる場所でやる方がいいだろう。
伊登さんはともかく彼は気にしているようだから。
「気持ち悪いと言って悪かった……お前はいい奴だ」
「それより来てくれてありがとね、お金とかどうなってるの?」
「とりあえず今月分は小遣いで払った」
「お金持ちなんだね」
「……1回触る度に1000円くれるんだ」
なら自分は2回触ったから2000円払わなければならないと。
だから財布から取り出して渡したら返されてしまった。
「気にしなくていい」と残して席に戻る犬夜くん。
「めばえの尻尾をもふもふしておこうかな」
「構わないぞ」
こちらはまだなにも言っていないのに僕は駄目だと言ってくれた彼女に苦笑。
今日はどうやら不機嫌なようだ、これが女の子版のツンデレなのかもしれない。
わざわざ現実世界で会いたくなるぐらいの魅力を感じて出会った子が側にいる生活になったのに、この態度はおかしいから。
「めばえってさ、素直じゃないよね」
「は?」
「犬夜くんが来てくれたのに喜んでなかったり、川相くんに冷たいこと言ったりさ、いまだって尻尾をふりふりしているのに」
「犬じゃないぞ私は、感情とリンクしたりはしない」
「そういうところだよ」
「いいから静かに触れておけばいい、余計なことは言うな」
「はーい……ごめんね川相くん、私のめばえが素直じゃなくて」
「お前のものではない」
くっ、あのときの笑顔はなんだったんだ。
喜んだ自分だったけど、自分の向けられたものではなかったのかもしれなかった。
「まーくんっ」
「お、なんか久しぶりだね」
帰っている途中に伊登さんの妹ちゃんに出会った。
なぜか寂しくひとり下校だったから大変ありがたい遭遇だ。
「ん? めーちゃんは?」
「友達とまだ学校にいるよ」
なんだかんだ言っておきながら犬夜くんとも盛り上がっていた。
それを邪魔するのは悪いからとひとりで出てきた形になる。
なぜかじゃなかったね、自分から動いた結果だ。
「高校、行く」
「え、ひとりじゃ危ないよ」
それに多分そわそわして落ち着かないと思う。
小学生にとって高校生とは遥かに大きくて大人に見えるもの。
集団で来られたりするとそれはもう怖いことだろう。
「ならまーくんが付いてきて」
えー……だってそうしたら仲良さそうに会話している彼女に出会ってしまうわけだし……。
「い、いいよっ、それじゃあ行こうか」
「うんっ」
でもこの笑顔を曇らせたくないからしょうがなく連れて行くことに。
結果を言えば学校を出てから少し移動した場所で遭遇した。
越智さん、ともかさん、犬夜くんと彼女、見方によってはハーレムみたいな感じ。
だけど越智さんは犬夜くんの尻尾を掴んでいるし、ともかさんは耳を掴んでいるから実際は女の子に逆らえない情けない男の子のように見える。
「めーちゃん!」
ああ、このまま帰りたい。
目的は達成されたのだから必要のない存在というのは事実。
「なんでまーくんといっしょに帰らないの?」
「川相が先に帰っただけだ、仲間外れにしているわけではないぞ」
「かーちゃんも?」
「なんかお母さんみたいな感じになるからやめてほしいなぁ……」
「なら香ちゃんって呼ぶっ」
「ぐはぁっ、らんちゃんは可愛いなあ! これぐらい犬夜くんも可愛ければいいのに」
「女と男を一緒に扱うな」
よし、帰ろう。
帰っても特にやることはないからとにかくだらだらとしたいと思う。
先程、越智さんたちは犬夜くんの家に言っていたからそもそも別行動だろうしね。
「先に帰っちゃだめぇ!」
「わっ」
なぜまだ引き止めてくるのかがわからない。
単純に優しさを見せてくれているのだろうか、ひとりぼっちは寂しいからと。
もし仮にそうならかなり惨めな存在になるわけだが……。
「香、先に犬夜の家に行っておいてくれ」
「わかった」
「ともかはらんを頼む」
「う、うん」
おっと、ふたりきりになってしまった。
特に逃げることはしない、というか逃げられないだろうし。
「川相も行こう」
「え、それならなんで別行動にしたの?」
「特に理由はないが、いいだろう?」
「うん、誘ってくれるということなら行くよ、先に帰ったのは伊登さんたちが盛り上がっているのを邪魔したくなかっただけだからさ」
一緒にいてくれるということなら喜んでどこだって付いていく。
矛盾しているようだけど彼女との時間を他のなによりも大切にしているのだ。
ただ教室だとなぜか冷たくなってしまうから困ってしまうこともあるだけで。
「……すまなかったな、学校ではあんな反応になってしまって」
「いや、僕も勝手に考えて発言していたからね」
「確かに犬夜が来てくれたのは嬉しかった、なにかあればすぐ直接言えるからな。ただ、お前はまだ勘違いしているのだろう? 私が犬夜のことを好きとかそういう風に」
「え、違うよ? ゲームで誘って会ったぐらいだから嬉しいだろうなって思っただけだね」
なによりともかさんの練習相手として最適だからありがたい。
彼もまた気に入っているようだから相性もいいんだろう。
問題となってくるのは恋のライバルになるかもしれないということ。
越智さんは特に嬉しそうにしていたからね、この前のがちょっと影響を与えてしまったかな。
「……ちょっと待て、もしかして私はかなり恥ずかしい勘違いをしていたということか?」
「どうだろうね、越智さんが言うように素直じゃないのは本当だね」
「すまない……」
「いや、謝らなくていいよ」
感情とリンクしないと口にしていた割にはしゅんと垂れている彼女の尻尾が見えた。
また冷たい対応をされても困るからと口にはせずに歩きだした。
結局彼の家を知らないから彼女に先導してもらうことになったけど。
「おぉ」
行ってみた感想は綺麗、だった。
必要最低限しかないことがかえって見栄えを良くしている。
らんちゃんは床に寝っ転がっている犬夜くんの背中に座って楽しそうにしている。
「なかなかいい家ではないか」
「ああ……小遣いが吹き飛んだけどな」
「ふむ、だがここにひとりは贅沢すぎだな、香、住むといい」
「えぇ!? む、無理だよ同棲なんてっ」
そりゃ誰だってそういう反応になるだろう。
泊まるだけならともかくとして、これから同級生の異性と毎日一緒に生活しろと言われてもね。
あ、でも伊登さんなら「構わないぞ」とか言って冗談が通じなさそうだ。
「冗談に決まっているだろう、一緒に住ませたらまず間違いなくなにかされるだろうな」
「失礼だな……手を出すようなことはしねえよ、その場合は大事に扱うだけだ」
「ふむ、つまり恋愛対象として見ないと?」
「ちげえ、そういう場合はゆっくりやっていくということだ」
というか、これって遠回しにそういう目で見ていると言っているようなものでは?
越智さんはインパクトが大きかったのかひとりぶつぶつ言っているし、ともかさんは依然として犬夜くんの耳を引っ張って遊んでいる、鈍いのか鈍くないのかがわからない。
「らん、川相、帰るぞ」
「僕はいいけど」
「わたしはまだいるー!」
「ふっ、なら帰りは犬夜に送ってもらえ、それじゃあな」
ないって言ったけど彼女はどうなんだろうか。
結局口から出た言葉を信じるか信じないかは他者であるこちら側次第。
1度気になってしまうと止まらないが、先程言われたことを思い出して自分で落ち着かせた。
取られたくないって言ったのは自分だ、なら変に興味を示してくれない方が自分にとってはいいから。
「なあ川相、犬夜と香、いい感じだと思わないか?」
「うん、でも気になるのはともかさんだね」
「なんでだ?」
「犬夜くんのことを気に入っているみたいだからさ、もしそこが仲良くなったらほら」
「なるほど、確かに出会ってから犬夜とばかりいるからな」
そう、練習相手として選ばれることはなくなっていた。
なにができるというわけではないから助かっているけれど、やはり寂しくはある。
「恐らくともかが選ばれることはないだろうな」
「そう、だよね」
あまり他人事ではないのが怖いところ。
どんなにアピールしていても報われる可能性は高くないと。
相手に気になる人がいるのならそれよりも可能性が低くなる、0と言っても過言ではないぐらい。
そうなったときに上手く片付けられる人ばかりではないから、恋をすることがいいことばかりではないと物語っている気がする。ただどうしたっていい面ばかりしか視界に入らなくなるんだけど。
「そういえば川相に指摘されて本を変えてみたのだが」
「面白い?」
「やはり現実との差がありすぎて困惑するな、今度貸してやるから読んでみるといい」
「それなら読ませてもらうよ」
本をとにかく大切にしているから扱うときは丁寧にしないと。
そういうところは気を使わなければならないから大変かもしれない。
「ところで、どうして2次元の中の少女は少しスケベな人間が好きなのだ?」
そ、それを男の僕に聞く?
逆に非現実的すぎる方が楽しめるからじゃないだろうか。
馬鹿らしくてもいい、気分が落ち込んだときなんかには最適だと思う。
リアルすぎる内容だったら現実と対面しておけばいい話だし、そういうのを好む人だったらそもそもリアルが充実していて読む必要もないかなと。
「あ、だが川相も私の尻尾を見るときはやらしい目をしているか」
「ご、語弊がある……」
「じっと見つめる癖、直した方がいいぞ?」
「はい……」
いやでもね、授業中でもゆらりゆらり揺れていたら気になってしまう。
仮に僕が猫だったら間違いなく飛びついているところだ、人間だからこそ我慢できているわけで。
どれほど大変なのかを知ってもらいたい、が、残念ながら尻尾がついていないから無理だ。
「そんなに触りたいのか? ほら、ここにあるぞ?」
「挑発には乗らないよ」
「そうか、残念だな」
残念なのはこちらだ。
貴重なチャンスを自らの手で壊してしまったことになる。
変なプライドを捨てて触れておけば良かったかと後悔した。
「川相、これからは先に帰ったりするな」
「僕だってひとりで帰りたくないよ」
「なにか用事があるとき以外は残っていてくれ、その場合はなるべく早く終わらせるから」
「わかった、うん、僕も伊登さんと帰れた方が嬉しいからね」
あの笑顔を引き出すためには一緒にいなければならない。
学校であんな感じなら、ふたりきりとか外で会うしかないわけで。
変に考えていたりしても無駄なだけだ、愚直なぐらい真っ直ぐ向き合うのがいいだろう。
「先程はひやりとしたがな、らんに手を出したのかと思ったぞ」
「そんなわけないでしょ、そんなことしたら悲しませることになっちゃうし」
伊登姉妹は笑顔だからこそいいのだ、気軽に触れてはならない。
それでも我慢ばかりできる人間ではないからこうして近づいてしまうけど。
「そうか、なら良かった」
「もう、君の中の僕は変態みたいだね」
「それはそうだろう、耳さえ生えていれば男にも欲情する男なのだからな」
「だから語弊が……」
結局あれから触れてはいないのだから誤解しないでほしかった。