婚約破棄現場から逃げ出して……か~ら~の~。
おいおいまた続きとか。死ぬわ、俺。
クレン星系から数十光年離れた位置にある超光速航路のジャンクションエリア。様々な交易船が集い行き交うその中心空域に、円筒形の閉鎖型コロニーをいくつも束ねたトウモロコシを思わせる構造物がある。
サービスステーションを兼ねた航路官制機構。宇宙開拓時代から延々と増改築を続け存在し続けるそれは、すでに一つの独立国家といってもいい規模の存在となっていた。
その内部、コロニー部分の一角にある宿泊施設の一つ。そこにフィオーレ・ヴェレーノと名乗っていた少女の姿はあった。
かつて纏っていた簡素ながらも貴族然とした様相ではなく、簡易宇宙服を兼ねたインナーの上からシャツとキュロットを纏った宇宙生活者としてありきたりな姿。そんな彼女の前には、これまたどこにでもいそうなスーツ姿の男性。
中肉中背。髪型も顔つきもどこにでもありそうな、歩いていれば人混みにたやすく紛れてしまう印象の薄い男だ。ただ、その目つきはまるで蛇を思わせるような、鋭く不気味なものだった。
男は淡々と言う。
「任務遂行ご苦労。見事な働きであった、少尉」
その言葉に直立不動の敬礼で答える少女。
「は。しかしクレンの要人候補をこちらになびかせることは出来ませんでした。申し訳ありません」
「いや、貴官が持ち帰った情報だけで十分おつりが来る。いずれにせよ頃合いであっただろう」
男は薄く微かな笑みを浮かべた。
「予想外。だがこれでクレンとリマーは戦端を開くこととなろう。計画は前倒しとなったが、これで我らも本格的な介入が可能となる。……忙しくなるが、『後顧の憂い』は絶っているな?」
「はっ、協力者であったヴェレーノ子爵は経歴のクリーニング後に我が国への亡命手続きへと入っております。そのほかの協力者も同様に」
「よろしい。クレンからの追尾は?」
「こちら側の監視では、感づいた様子はないように思われます。ですが一つ問題が」
男の目が鋭さを増した。
「何か」
「クレン以外の間諜らしき存在がいくつか目についたようです。出所はまだはっきりとはしませんが、間違いなく」
「ほう?」
男の表情にわずかな変化が現れる。それは不気味なものだったが、確かに笑みであった。
「ピラニアどもが匂いを嗅ぎつけたか。確かに上等な餌場であるからな」
資源豊かなクレン。重工業の発展したリマー。その争いに乗じておこぼれに預かろう、あわよくば……という輩が集ってきたようだ。
「どう対処しましょうか」
「上が判断するまでは保留だ。こちらで独自に対処するのは危険だろう。……君には新たな指示も出されていることだしな」
そう言って男は懐から何かを取り出す。それは封筒であった。
「中身を読んで覚え込め。その後焼却する」
中から出てきたのは指令書だ。今時『燃える紙』というのは逆に珍しいしコストもかかる。しかし電子媒体とは違い情報が漏洩する危険は格段に少ない。そう書くと確かに有効な手段なのかもしれないが、彼らの上司はどうにも懐古主義者らしい。
指令書に目を通した少女は小さく頷く。この短時間で内容を記憶したらしい。指令書を戻された男は、それをくしゃくしゃに丸め灰皿に放り込み、ライターで火をつけた。
即座に燃え尽きる指令書。男は少女に問う。
「内容の復唱を」
「はっ、小官はフィオーレ・ヴェレーノの身分をそのままに、情報攪乱のため周辺国を渡り歩くようにと。各種対応についてはオプション6から12に該当。必要物品に関してはカイナ星系にて受領するよう指示が出ています」
「よろしい。物品の受領時に詳細な指示が出されるはずだ。首尾良く任務を果たすよう。期待している」
「はっ! 微力を尽くします」
再びの敬礼。こうして少女は新たな『仕事』に赴くこととなった。
ダウンタウンの安アパート。その一室にて少女は出立の用意を調えていた。
とはいってもたいした用意をするわけではない。元々短期のセーフハウスとして『職場』が借り上げていた部屋だから私物などほとんどないし、そもそも少女は物を持ちたがらないタイプだ。小さなトランク一つだけで事足りる。
そのトランクに荷物を詰め込みながら、少女は一人呟く。
「……クソがっ!」
そこには儚げながらも可憐な子爵令嬢の姿も、冷静な軍人の姿もない。粗野で柄の悪い若者。それが彼女の本性であった。
彼女は祖国のスラムで生まれ、幼いうちに親から売られ、軍の手が入った養育施設にて育った。
才覚があったのだろう。周囲の子供たちが次々と『脱落』していく中、少女はめきめきと頭角を現していく。成長していくたびに様々な教育を受けた。軍人としての技術。人の殺し方。人のだまし方。
そして、『性的な手管』。
はっきり言えば純潔を奪われる以外大概の事を仕込まれた。純潔が残されていたのは別に人道的な理由ではない。その方が価値がある場合もあるからだ。ともかくそういった技術も修め、彼女は若輩ながらも有能な諜報員として巣立つこととなる。
いくつかの任務をこなし、そして与えられたのがクレン王国への潜入任務だ。下級貴族の養女として潜伏し情報収集および攪乱。可能であれば将来の要人候補を籠絡せよと。
一見上手くいっているような仕事であったが、少女は常に違和感を抱いていた。それは諜報員として鍛え上げられた感覚であり、彼女が本来持つ本能的な嗅覚に障る何かがあったからだ。
あっさりと王子に接近でき、側近たちをたぶらかした。だが王子本人と側近の一人はどうにも嘘くさい。はっきりとは断言できなかったが、わざとらしく馬鹿を演じているような、そういった感覚があった。
それと王子の婚約者であるリマーの王女。これはもう諜報員とかなんと言うところをすっ飛ばし生命としての本能で感じ取った。『でらいヤバい』と。
見た目は完璧な王女様である。だが何気ない動作の端から鍛え上げた兵士……いや兵器の鱗片が見受けられる。諜報員としての目を鍛えていなければ感づけなかったそれを見て、絶対に近づかない方が良いと肝に銘じたものだ。
それらが確信に変わったのは件の婚約破棄騒動。王女はもう見てそのまんまで、パーティー会場のど真ん中にDAを呼び出し大立ち回りを演じて逃亡するなんてことをやらかし、王子は……馬鹿の仮面を脱ぎ捨てていた。
側近が伸されてもDAが目の前に現れても冷静さを崩さず、的確な避難指示を出していた。その場限りのことかもしれないが本物の馬鹿ならこうはいかない。まず間違いなく今までのことは演技であったと悟った。
騒動の混乱が収まらぬうちに協力者たちを急かし即座にクレン星系から逃れたのは、我ながらファインプレイであったと思う。でなければまとめて捕らえられるか、何らかの形で利用されるかしたであろう。必要な情報は入手したことだし、長居は無用だと思い切ったのだ。
しかし、王子の様子からすると入手した情報も信用できそうにない。何らかの目的を持って馬鹿を装い、自分を受け入れたのだから。あるいは渡された情報はすべて虚偽なのかもしれなかった。
それでも少女は、そのことを上に報告しなかった。王子が馬鹿を演じていたことも。
彼女は祖国に対し忠誠心など持たなかったのである。
普通であれば、幼少期からの『教育』によって洗脳じみた忠誠心を抱いていたのだろうが、あいにくと彼女は教育者たちが想像する以上に聡く、我が強かった。そして己の本心を隠して従順な演技をこなすぐらいには賢しい人間であった。
己が無力であることは理解していたし、学ばされる技術はいずれ役に立つとも考える。そして脱落すればどのような目に遭うかも易々と想像できたため、必死で食らいついていった。その甲斐あって優秀な成績を修め、諜報員としての道を歩み始める。
人を欺き陥れ、血も涙もないように任務を果たしながら、彼女は虎視眈々と己の目的を果たす機会を窺っていた。
彼女の目的は『自由を得ること』。国と立場を捨て、一人の人間として生きる。それだけが彼女の望みであった。
祖国に未練などない。民主主義を謳っておきながら、その実一党政権による事実上の独裁を行っている国のあり方は心情的になじめないし、親しい人間など一人もいない。むしろ憎悪じみた嫌悪感だけがある。
能力的には諜報員として高い適性を持っているが、心情と性根は不適切。少女はそういった人間だった。
ともかく、彼女は現在憤っている。休暇もなく、矢継ぎ早に次々と仕事を入れてくる上司どもの脳天に鉛玉をぶち込んでやりたいくらいだった。しかも気色の悪い貴族令嬢の真似を続けろなどと、吸着爆雷で吹き飛ばしてやりたいような戯れ言をほざいてやがる。苛ついても仕方ないだろうと、彼女は自己弁護する。
かといってこの場で逃げ出すのは悪手だ。どうせ監視が張り付いているだろうし、下手に雲隠れすれば追っ手がかかる。祖国の者たちは裏切りに対しては執念深く、偏執的に追い続けるだろう。逃亡者として無駄に人生を食い潰すなどごめんだ。
上手くやらなければならない。幸いというか、今度の任務はかなり自由がききそうだ。隙を見いだすことも不可能ではあるまい。そう自分に言い聞かせてマインドリセット。鼻息一つで普段の調子を取り戻す。
ともかく用意は調った。もはやここに長居する理由もない。少女は後ろ髪引かれることもなく身を翻し、部屋を出た。
きっちりと区画整理されてはいるが、増改築などで混沌とした様相を見せている町中を歩む。本来少女は愛らしく人目をひく容姿である。が、今の彼女は目立たない服装で、無造作に髪を束ね作業用の眼鏡をかけた様相だ。それだけで町の風景に溶け込んでいた。
迷わず歩く。目的地は決まっている。やるべき事も。迷う理由も必要もない。まずは港でヴェレーノ家の使用人に扮した同僚と合流する流れだ。
同僚といっても親しい仲ではない。ぶっちゃければ互いが互いを監視する仲だ。表面上はともかく信用も信頼も出来るものではなかった。先の上司も推して知るべし。頼りになる者など誰もなく、つまるところ味方は己一人である。
孤立無援で国を出し抜かなければならない。その策を練る中、ふと赤きドレスを纏った黒髪の女性を思い出す。
1年ほど前にヤーティェ王子の婚約者としてクレン王国を訪れた女。当初から王子にあまり構われず、孤独であった。
表面上は交流を持つ者も少なくはなかったが、当たり障りのない交流程度に留め、深く結びついた間柄は持たなかったように見えた。嫁いでくるのであればそのような状況は後々不利益を生むのではないだろうかと他人事のように思った物だが、最初から『内部疾患』となるつもりであれば、なるほど分かる。
敵のまっただ中。僅かな供回り以外は孤立無援の状態で、彼女は何を思っていたのだろうか。すでに腹据わって覚悟を決めていたとも思えるし、逆に内心では不平不満たらたらであったとしてもおかしくはない。その感じ散れる危険性から近づくことはしなかったが、今考えれば惜しいことをしたかもしれない。
リマーの情報を少しでも、と言うわけではない。自分のような、(一応)婚約者をたぶらかす女を目の前にしたとき、彼女がどんな反応を示すのか。ただ純粋に興味があった。
猫を被って演技を続けるのか、それとも……などとつらつら考えていることを自覚して、彼女は小さくかぶりを振る。
「詮無い事ね……」
ふ、と小さく自嘲。己の目的を考えれば決して関わり合いを持ってはいけない類の人間だ。そしてこれから先も関わる必要はない。フィオーレという女を名乗っている以上リマーという国から追いかけ回されるかもしれないが、王女本人が出張ることはあるまい。
……ないはずだ。多分。きっと。
(なぜかしら。断言できないのだけど)
頭を振って悪寒を追い出す。今のはきっと気の迷い。OKあたしは大丈夫と自分に言い聞かせた。
自身でフラグをぶち立てている少女。果たしてそれが折れるのか否か、それはまだ分からない。己を偽り、周囲を偽って生きる彼女は虎視眈々と己が自由を得る機会を窺い続ける。
民主主義を標榜する惑星国家【マリーツィア共和国】が若き諜報員。その本名は【ルルディ・ディリティリオ】という。
波瀾万丈の人生を送ることが定められた彼女は、果たして望みを叶えることが出来るのであろうか。
なお少女少女と呼称されていたが、実のところ地球人類換算で二十歳超えてたりする。
スイッチ諦めてスチーム入れた。GWはゲーム三昧ですごすんじゃああああ!
……とか思ってたのに色々と用事が。おのれディ●イド緋松です。
さて、また続きが出来てしまいました。今度は名前だけ出てきていた彼女の話。割とありがちでシリアスだけど、なんだか面白い方向に転がり落ちていくような予感を匂わせる感じになりました。多分続いたらいろいろな意味でがしゃんがしゃんと壊れていくのではないでしょうか。
で、これの続きを思いついたら連載しようと思います。それに伴いちょっと色々整理することもあるかと。まあ続きを思いついたらの話ですが。そして思いついたからと言って順調に連載できるとは限りませんが。
そんなこんなで今回はこのあたりで。
非常事態宣言も延長され、切迫した状況が続いております。
皆様心身ともにお気をつけて、健やかにお過ごしください。