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あなたに贈る最後のクリスマスプレゼント

作者: 寄辺なき

 雪が舞い散るホワイトクリスマス。

 世の恋人達は幸せを謳歌し、永遠の愛を誓い合う。

 幸せの色に染まる街からにげるように、俺は背を向けて歩いた。



 ちょうど2年前のこの日、最愛の彼女が死んだ。持病が急に悪化したらしい。まだ大学を卒業したばかりだった。だというのに、病室のベッドで見た笑顔は本当に幸せそうだった。この世に思い残すことは何もないと言っているようで。


『私は決して長くない人生でしたが、あなたと出会えて幸せでした』


 亡くなる直前に彼女はこう言っていた。

 無責任だとその時の俺は思った。静かに瞳を閉じてゆく彼女を叩き起こして、今からでもその言葉を訂正してほしいくらいに。残されたこっちの思いも知らずに、何を言っているんだと。


 でも、2年も経ってまだ彼女を思い続けているということは、つまりそういうことなんだろう。

 この日俺は数年来の思いに決着をつけるべく、降り積もる雪を踏みしめ歩いていく。



 〇



 彼女と初めて出会ったのも、こんな風に雪が舞う頃だった。


『最近すごく寒いですよね。あれ、そんなことないですか?』


 健気で優しくて決して弱さを見せない強い人間だった。いつも笑顔が絶えなくて、どんなに辛いことがあったとしても笑って誤魔化すような人。一人で悩み抱え込んでしまうところが、憎くもあり愛おしくもあった。


 頭の中に、彼女と過ごした日々の記憶が手に乗った雪のように次々と浮かんでは消えていく。思い出に浸るほど、去来する喪失感に胸が締め付けられる。



 ふと足を止めてみると、俺はすでに目的地にたどり着いていた。

 小高い丘の頂上に続く石畳の階段を登ると、そこは寂れた公園になっている。ろくに光源の整備がされていない公園に人が集まるはずもなく、辺りは闇夜に包まれていて静かだ。そこからは温かい家庭の光が灯る町並みが見渡せる。彼女と幾度となく訪れた思い出の場所だ。

 俺は抱いた感傷をそのままに、そっと呟いて静寂に言葉を溶かす。


「俺はおまえが紛れもなく好きだった」


 それは今更隠すことができない事実だった。

「だけど」

 俺は言葉を短く切って呼吸を整える。

「だけどこれから先、ずっと生きていけば忘れてしまうのだろう。忘れまいと胸に刻みこんだ君の笑顔でさえ、新しい出来事に上書きされていく。だから」


 息を噛み殺した声で続ける。


「だからこの薔薇の花束を君に贈る。この先何年が過ぎようとも俺がお前を愛していたという事実が失われないいように。そしてこの思いに決着をつけるために」


 俺はくるぶしあたりまで積もった雪の上にそっと花束を置いた。

 白い絨毯の上で情熱の赤が傲然と輝く。しかし雪は着実に降り積もる。鮮やかな赤は徐々にその色味を失っていき、やがては完全に覆われた。俺はそれを払おうとはせず、ただその様子をぼんやりと眺め続けていた。



 〇



 それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。

 いつの間にか雪は止み、眼下に広がる家々にもぽつぽつと明かりが見えるばかりだ。気分も来たときとは打って変わって冴えわたっている。不意に感じた夜風の冷たさに体を震わせ、帰路に向かって身を翻す。 

 ためらいもなく足を一歩踏み出したそのとき、


 『あなたはもう気に病む必要がないのよ』


 どこからか聞き覚えのある声がしたような気がした。あるいはそれは記憶の一部だったのかもしれない。

 焦燥に駆られるまま背後を振り返るが、当然のようにそこに人影はなかった。

 その代わり、開けた視界いっぱいに広がる満天の星空の姿に、俺は息をするのも忘れてその光景に見入ってしまう。ただただ綺麗だ。


 ――たしか前にも、こんな風に夜空を見上げたような


 次の瞬間、俺は光の濁流に呑み込まれた。鮮明な記憶の数々が俺を襲う。それはあたかもの雲間の月影ように頭に流れ込んできた。


 ああそうだ、いつだって彼女は変わらない。


 眩しくも愛らしい強かさも。

 その合間にみせる弱気な姿も。


 鍵が解けて、雲がかった記憶が晴れた今ならいくらでも思い出せる。


『私、ほんとうは怖いんだ』


 別れの日の三か月前。

 同じ場所で、彼女は涙ながらに病気のことを告白してくれた。


『怖くて堪らないんだよ。死んでしまうのが』


 俺だって本当は覚えていたんだ。ただ辛い記憶に蓋をし、一生懸命に思い出さないようにしていただけ。

 いつの間にかそれが事実であるかのように振舞っていた。


『死ぬのが怖い! 一人になるのが怖い! あなたと会えなくなるのはもっと怖い!!』


 ふと耳に届いた嗚咽はだれのものなのだろうか。感情が決壊した俺には判別がつかない。

 記憶の中の彼女は涙を拭って、気持ちを押し殺すように笑うと、落ち着きを払った声で言う。


『私が死んでもあなたはきっと私を思い続けてくれるのでしょう。だってあなたは優しいんですから。でも私はそれを望みません。あなたにはもっと幸せになる権利があるのです。私が保障します。だからどうかお願いします。幸せになってください。私のことは、ふとしたときに思い出してくれる、それだけで十分ですから』


 あの日以来乾ききっていた涙腺から大粒の涙がこぼれる。拭っても拭っても枯れることはない。まるで、ため込んでいた感情を吐き出すかのようにあふれ出てくる。

 身に染み渡る恋しさと同時に、どうしようもない罪悪感が体を突き動かした。


 俺は一目散に元いた場所まで駆け戻る。

 夜の冷気を吸い込んだ新雪に膝をついて、積もった雪を素手でかき分けていく。

 しばらくして姿を現した赤い花びらを認めると、そっと手の平で包んで持ち上げた。


「ごめんな。やっぱり俺は優しくない。まったく優しくなんかないんだ」



 〇



 俺は心地よい風が吹き抜けるダイニングテーブルに腰掛けて、思い耽ていた。四人分あるイスの内、右下が俺の定位置だ。


 風に揺られながら、今でも考えることがある。

 彼女が最後にみせた幸せそうな笑顔。

 あの笑顔の意味を。


 あれはきっと。


 彼女が、不甲斐ない俺に贈った最後のクリスマスプレゼントだ。


 カーテンがなびく窓際で、瓶のふちに首をもたげた赤い花が微笑んだような気がした。


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