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ワイヤーを外す時  作者: 赤尾 常文
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 昼下がりの職場は、人が少ない。営業の連中は出払っているし、おばさんたちもお腹がいっぱいになって眠そうである。優斗も先ほどから大きな欠伸を連発していた。


 小さな町で古くから営業している広告会社で、優斗は事務として働いている。現在は主に経理の仕事を任されているが、WEB広告の製作にも少し携わっている。数年前に突然二人しかいない担当者の一人が退職してしまい、残された者から「猫でもいいから誰か手伝ってくれ!」という募集に応じたのだ。


 もちろん未経験。一からの勉強だった。当時はあまり忙しくなかったのでその余裕があったが、今はあまり関わる時間が取れないでいる。少し齧ったくらいの中途半端なスキルしか身についてないが、クリエイティブな仕事はやはり楽しかった。


 見積書の作成が終わったので、優斗は請求書の処理に取り掛かろうとした。が、その前に足りない備品を発注しなければならないことを思い出した。パソコンを操作して「備品発注書(ヒサヤ商会)」というタイトルのファイルを立ち上げる。中身はファックスで発注内容を送るための付け紙と発注内容の表である。さっさと作成して印刷し、ファックスをした後、ヒサヤ商会の担当者に電話で確認を依頼しておいた。


 電話を切るタイミングで、DTPデザイナーの鱒渕が近づいてきた。


「はい、おつかれー」鱒渕はオフィスに残っている少ない社員の机を回り、菓子を配っていた。優斗の机が最後だ。


「あ、ご馳走様でーす」優斗は頭を下げて礼を言う。


 ショッキングピンクの太いフレームのメガネをかけた鱒渕は、目を細めて微笑んだ。サバサバした性格と大きな声、納得いかなければ社長にも食ってかかる古参の女性社員である。きっと「姐御」と呼ばれるのがとても良く似合うだろうと思う。呼べる気概のある人間は一人もいないのだが。


「おお、黒いほうっすね」机に置かれた菓子を見た優斗が言う。


「そうそう。こないだ通販したんだよぉ」鱒渕は空になった菓子の袋を丸め、優斗の足元のゴミ箱に入れた。


「白いのも美味いけど黒いほうが美味いっすよねー」


 菓子は数年前から爆発的に全国に広まった、有名な店のラスクだった。最近では、デパートや百貨店の物産展などで良く見かける。


 バターと砂糖のノーマルなラスクに加え、ホワイトチョコがかかったタイプもよく売られている。しかし、優斗の言う「黒いほう」ミルクチョコがけのラスクは、なぜか物産展ではなかなか販売されないため、通信販売を利用して購入することが多い。


「だよね!」自分の提供したものが褒められて良い気分になったのだろう。鱒渕は満面の笑みを浮かべ、自席に戻っていった。


 鱒渕の持つ雰囲気は、ああ、この人は「サラリーマン」ではなく「デザイナー」なんだな、と納得してしまうような、他の社員にはない独特のものだった。性格も、悪く言えば気難しく、扱いづらいが、だからこそ信頼して仕事を任せられるし、彼女に仕事を依頼する営業たちも気合を入れて準備をする。それが結果的に、顧客の満足度に繋がっているのだろう。


 おそらく鱒渕のような人間は、自分のポリシーに合わない仕事をさせられるくらいならば、この会社を去ると言いだすのだろう。何の根拠もないが、優斗はそう思っている。そうであって欲しい。生活よりも大切な信念やら情熱があるはずだ。


 それならば、そこまでの想いがないということが、自分が現状に留まる理由として成立する。


 この会社は良い職場だし、仕事も楽しいと思う時もある。給料は安いし、ボーナスもほとんど無いに等しいが、優斗にとってはとても大切な場所だ。この仕事と生活を捨てるほどの情熱は、もうあの夢には持てなくなってしまった。


 それは紛れもない事実だ。


 なのに、なぜワイヤーを外すことができないのだろう。


 こんな時、もし映画だったら何かのヒントをくれる小汚い老人などが現れるものだが、現実にはそんな人はいない。優斗はそんなことを考えてしまう自分が、そして、僅かに松崎にそれを期待してしまっていた自分が情けなくなってくる。


 松崎は家族に責任を転嫁した。


 自分は自分を取り巻く全てのことに責任を転嫁している。もし老人から道を示されたとしても、会社を辞めることはできないだろう。自分そのものが責任転嫁の塊なのだ。


 同じ責任転嫁でも、松崎はワイヤーを外すことができた。


 だが、優斗は外せない。


 その理由ははっきりしている。


 見ないようにしていただけだ。


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